KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

梶原景時追放!! なんと善児を「置き土産」に。いよいよ義時が頼朝に優るとも劣らぬほどダークサイドに陥り殺戮を繰り返す

頼家の代に入り「鎌倉殿の13人」の合議制が敷かれて僅か8カ月、ついに梶原景時が追放されます。以前も書きましたが梶原景時は元々頼朝の信任厚く、源平合戦の時には義経の監視役として、鎌倉幕府成立後は侍所別当として御家人を監視する役を受け持っていました。そのため「梶原景時の讒言」といわれる事件が義経だけでなくずいぶん起きてしまいます。これは頼朝の時は機能していました。

しかし頼家の代に入り、今日の鎌倉殿の13人」で結城朝光の「忠臣は二君に仕えずという。故将軍が亡くなった時に出家遁世しようと思ったが、ご遺言により叶わなかったことが今となっては残念である」の讒言は結果として梶原景時が自分で自分の首を絞めることになってしまいました。

景時は確かに頼朝の時代から「憎まれ役」を買ってでたわけですが、それが今までの鬱憤がたまった御家人mの間で不満が爆発。三浦義村和田義盛ら諸将66名による景時排斥を求める連判状が頼家に提出され、結果的には鎌倉幕府から追放されることになってしまいます。


梶原景時

私見では梶原景時は戦国時代の石田三成に似ています。

石田三成も文禄、慶長の役での大名たちの働きを秀吉に「いい面も悪い面もあます所なく報告した」とされますが、権力者の秀吉としては「悪い報告」の方が気になるもの。結果としてそれは「石田三成の讒言」となり、それが反三成派を形成し関ケ原での敗北につながります。

梶原景時石田三成も「私心がなく働いた」点は共通しており、自らの利益のために行動した形跡はありません。その点も共通しています。

しかし政治というのはやはり「人気がない」というのは致命的ですね。

そこで鎌倉を去るときに前々から引っ掛かっていた件が今日出てきました。

善児です。

実はもしかしたら、と思ったらやはり善児は義時配下になったんですね。これから義時が頼朝に優るとも劣らないほどダークサイドに堕ちるので、善児はたぶん多くの暗殺を実行すると思われます。誰を暗殺するかはこれからのドラマ次第ですが..

考えられるのは

比企能員ー時政の家に比企を誘う時に暗殺

一幡 ー(もし愚管抄説を取るならば)母が抱いてかろうじて逃げ出したものの北条の郎党(善児?)に討たれる

和田義盛 ー和田合戦で活躍

源頼家 ー 幽閉先で暗殺??

辺りですかね?

これ以外に義時自体は不本意でしたが、畠山重忠を滅ぼしたり、鎌倉殿の13人、文官以外は大半がいなくなります。北条義時が頼朝に優るとも劣らぬほどのダークサイドに陥ってしまうわけですね。

あと気になるのは実朝暗殺の時の義時はどのように描かれるんでしょうね。

公暁の実朝暗殺には義時の黒幕説もあるんですが.. 果たして??

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