KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

山口4区「統一教会の聖地問題」ー文章読解力と「言葉の一部」のみ切り取り意味を捻じ曲げて拡散するネットの惨状

先日の多摩市内で統一教会が広大な土地を購入した件について書いたが、統一教会問題は何も解決されていないし、全く終わっていない。

その関係で今回統一教会の広告塔の役割を果たした故安倍晋三元首相の選挙区に立憲民主党有田芳生氏が立候補したことは、人々が忘れかけていた統一教会の問題を注目させる意味でも大きな意味があり、私は大きく評価していた。

何よりも単なる「消化試合」と思われた補選を面白くした功績は何物にも替え難い。マスコミも単なる一地方の補選ではなく統一教会と日本の政治の問題として報道すべきと思うが、どうも民放とNHKが僅かに報道しただけで残念ながらそこまで状況が行っていない。

勿論結果はわからないが有田さんのこの気構えだけでも評価すべきである。 

ところが、である、

実際には有田氏が「下関は統一教会の聖地」という発言は、統一教会がそう言っていることの指摘しているに過ぎない。また別の発言では「下関を統一教会の聖地にしてはならない」という発言をしており、これは下関市民を揶揄した発言でもなければ、下関市民を卑下したものでもない。

ところがこの「下関は統一教会の聖地」という言葉が一人歩きし、あたかも有田氏が下関市民を卑下したことであるかのように拡散された。きっかけはロンドンブーツの田村淳氏の発言である。

そもそも田村氏は有田氏の発言を前後きちんと読んでいるのだろうか?ただ発言の中で 「下関は統一教会の聖地」という部分だけを切り取って拡散しているとしか思えない。実際有田氏もそのように述べている

 

また田村淳氏は以下のように述べている

統一教会が過去に聖地同等と言った発言は存じております。今回、僕が怒ったのは教団や信者が聖地と言ってる事が、あたかも下関市が市民がそれを受け入れてると捉えられる発言

 

?????

「聖地にしてはならない」という発言をどこをどう読めば「あたかも下関市が市民がそれを受け入れてると捉えられる発言」というふうになるのか?

もし有田氏が「聖地にさせない」と発言しているにも関わらず有田氏が山口県民を統一教会信者呼ばわりする、山口県民がそれを受け入れているという意味にしか受け取れないというなら田村氏には申し訳ないが「国語」を小学校からやり直した方がいい。

そしてそもそも怒る相手が違うだろう?田村淳氏は下関で故安倍元首相が統一教会の事実上の広告塔になっていた事実を下関市民として何とも思わないのか?そして統一教会の力がすごいことは下関市民なら知っているはずだ。それに対して何の怒りも覚えないのか? なぜ統一教会を批判せずに、「下関を統一教会の聖地にさせない」と言った有田芳生さんを批判し「軽蔑する」などという表現までしたのか?

本当のところ、実は田村淳は統一教会が下関の活動に対して何とも思っていないのではないか?そう思わないと同氏の行動の説明がつかない。

本当に統一教会の行動に批判的なら寧ろ有田氏を批判せず、この動きに同調するのが普通ではないか?なのに実際は発言の一部を切り取り、結果的には自民党統一教会を利する行為を行っている。少なくとも統一教会に対して本当に怒りを覚えている人間の行動とは思えない。

だからこういうバカも出てくる

 

それに大して原口議員は

news.livedoor.com

優しいな。原口さんは。私などはバカみるとイライラしてくるのでこういうことはできない。まあ私は政治家には向いてないということだ(笑)

まあひどい印象操作の記事だ。
原口さんは、田村淳氏を気づかって大人の対応をしただけ。謝罪撤回すべきなのは田村淳のほうなのは明白。しかしいまだに発言を撤回していない 

正直言って田村淳 氏の統一教会に対する本当のスタンスは何なのだろう?統一教会が下関を聖なる土地としていた事を知っていたなら有田氏を批判せずに寧ろ同調するのが普通だ。だが実際は自民党統一教会を利する行動をとり有田氏のイメージダウンを必死に行おうとしているようにみえる。まともな感覚なら有田芳生さんが印象操作したという解釈など成り立たないはず

多摩市内に統一教会が広大な土地を購入ー自民党は統一教会問題を有耶無耶にするな、それとも自民と統一教会はまだズブズブ?

統一地方選挙。前半戦が終了し後半戦が事実上始まっている。個人的には地元の多摩市議会選挙が公示が16日の日曜日だが、衆議院参議院補欠選挙を含め他では選挙戦はスタートしている。

 

そうこうしているうちに地元で看過できない情報が舞い込んできた。

 私の地元、多摩市で統一教会が広大な土地を購入したというのだ。この報告をしてきたのは共産党の市議団で既に法務局での登記を確認したという。

しかも、

これに伴い共産党市議団は「統一協会への解散命令を求める意見書」を提出も、自民公明維新の反対で否決

そう否決したのである。

このことは自民,公明,維新が統一協会との関係を絶つつもりはない、宗教法人としての解散の必要はないといっているのと同じである。 

つまり自民党は本音として反日かつ反社会的な性質を持つ統一教会との関係を絶つつもりはない、と言っているのと同じである。

この事態を反映して、普段は失礼ながら単なる「消化試合」に過ぎなかった多摩市市議会選挙で私は大きな争点として提起したい。つまりこのまま統一教会の巨大施設を多摩市市内に建設することを容認するかどうかが争点となる。

わたしとしても地元に統一教会の巨大施設ができる、なんてことは悪夢でしかないので、何が何でも阻止したい。そのためには今回の多摩市市議会でも反日かつ反社会的な性質を持つ統一教会を事実上支援する(ように見える)自民党を徹底的に追及し糾弾しようと考えている。

 

自民党公明党、維新の会はどうやらそれを容認する、という姿勢のようだ。統一教会の解散命令を求める意見書」反対したのが何よりの証拠である。

そしておりしも、山口4区の補欠選挙、ここは故安倍元首相の選挙区で安倍元首相の後継候補の応援に来た自民党代議士はいずれも統一教会とズブズブの関係だった者ばかりである。

この写真はSNSでだいぶ流れているので見た方もいるだろう。

この選挙区に古くはオウム真理教、そして統一教会の取材もしてきたジャーナリストの有田芳生氏が立候補したことが話題になっている。

www.nikkansports.com

有田氏には是非がんばってもらいたい。そして自民党統一教会の癒着について選挙戦で統一教会として都合の悪い点をどんどんしゃべっていただきたい。それができるのは有田氏だけである。

こだわるわけじゃないが、自民党公明党日本維新の会統一教会の解散命令を求める意見書」に反対したこと、そして選挙に統一教会の話題を意図的に避けている点からするに、自民党及び公明党政権は反日かつ反社会的な性質を持つ統一教会の宗教法人解散などハナからやる気がないことは明白である。

こういう写真もあるし..

そして統一教会の関係がズブズブー殆ど信者レベルに近かったこの男が政調会長の地位にまだいること自体、自民党統一教会との関係を絶つつもりがない、何よりの証拠である。

jbpress.ismedia.jp

統一教会自民党は以前からズブズブで、おそらく今でもズブズブといっていいかもしれない。自民党に投票するのは統一教会に投票するのと同じことになることを理解してほしい

放送法解釈問題で小西氏を袋叩き、高市に批判の姿勢を見せないマスメデイアにこの国にはもはや報道機関といえるものがない事が明白。もはや腐りきっている

とにかくこの問題、最初から何かがおかしいと思っていた。

まず総務省文書問題で小西議員によって「けしからん番組は取り締まるというスタンスを示す必要がある」といった、とんでもない発言が政権中枢で交わされていたことを示した点、TBSの「サンデーモーニング」や「報道特集」が槍玉にあげられ、放送法の政治的公平性の解釈をめぐり、安倍政権が総務省に「圧力」をかけていたことが示された。

 

高市大臣はそれらを「捏造」と主張したが、その後総務省が「行政文書」と認めた。

www.businessinsider.jp

高市大臣はこれが事実だと判明したら閣僚も議員も辞職する、などと啖呵を切ったが、普通に考えればこれで詰んでいるはずである。

だがこの時圧力をかけられたとするTBSやテレビ朝日を含め、メデイアの動きは静かだった。自分たちが圧力を受けているのが事実であればこの時に、この放送法と当時の総務省側とのやりとりとかを公表するとか、メデイアとして当時のやりとりを調査し、世間に明らかにするのが報道機関としての責務であろう。そして本来報道機関として伝えるべき報道や事実を「圧力」が加わったことによって伝えられなかった、ことを視聴者に謝罪しメデイアの襟を正すくらいの姿勢を見せてもいいはずだ。

だが一体だれに遠慮しているのか、そういう姿勢を示した報道機関は一社もなかった。

小西議員は言論の自由を守るための行動を行ったわけで、本来なら報道の自由を守るべきNHKを始め各報道機関も小西議員と共闘するくらいの姿勢を示し、圧力の実態を調査するのが本来あるべき姿だろう?

だがそういう報道機関はNHKという公共放送も含めて一社もなかった。

繰り返す 一社もなかったのである。

そして更に呆れたのは小西議員が勢い余って「サル」発言の時である。

www.nhk.or.jp

この発言後、それまでこの問題に沈黙を保っていたマスコミが「水を得た魚のように」小西攻撃を徹底的に行った。

まあ多少感情的になった面もあるし、決して褒められる発言ではないが、しかし本来は放送法言論の自由の問題であり、このサル問題は問題の本質からそれる話である。

しかしとりわけ産経と読売はこの問題にまさに「待ってました」といわんばかりにこの問題を大きくし放送法の問題とは違う方に焦点を移した。

www.sankei.com

www.yomiuri.co.jp

サル発言は確かに褒められないが、はっきりいってこれは明らかな問題のすり替えである。

この姿勢を見る限り、産経も読売も政府関係の報道に政府から圧力が加わることに問題を感じていないようだし、自分たちの言論の自由を守る必要性は感じていないようにみえる。

だとすればもはやこの両社は終わっているとても報道機関とはいえない。

ちなみに議論の途中から分が悪いと問題のすり替えをしてくるのはネトウヨの常套手段だが、日本のマスコミはもはやそれと同じレベルになってしまったようである。

いろんな記事をみたがこの国にきちんとした報道をしているのはもはこれらの記事を見る限り日刊ゲンダイだけのようだ。

www.nikkan-gendai.com

www.nikkan-gendai.com

日本人の劣化も酷いが、マスコミの劣化はもっと酷い。

本来ならこのブログでは書かないのだが、先日亡くなった世界的な作曲家の坂本龍一氏の伝え方も酷いものである、

坂本氏の代表曲を「ライデイーン」であるかのように報じたり(実際には高橋幸宏氏の作品)

www.nikkan-gendai.com

何よりも「戦メリ」や「ラストエンペラー」のことは報じても坂本氏のの社会運動や平和運動にきちんと焦点をあてていたのが雑誌Vogueのみという体たらく

www.vogue.co.jp

坂本氏のこうした活動を日本のマスメデイアはほぼ完全にスルーである。

緊急投稿!坂本龍一氏逝去ー世界を念頭に置いた作曲家の訃報とその実績を少しでも継承することを誓う

https://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2023/04/post-483775.html

これらをみると日本のマスメディアはことごとくクソだ、と言わざるを得ない。もはや報道機関と呼ぶのもおこがましい。単なる政府の広報放送であり権力に媚び、政治権力への忖度しか考えないもはや社会にとって有害な存在ですらある。

そこまで云ってしまっていいだろう。

 

AI ,ChatGPTが本格導入の時代ー自分の頭で考えず周囲と同調してただただ流される日本人の将来は暗い

AI(人口知能)を始め今ネットで注目されているChat GPT 

これが人類の働き方を変えようとしている。

ChatGPT (チャットジーピーティー)とは、OpenAIが開発した自然な文章を生成するチャットサービスでマッキンゼーの調査『未来の日本の働き方』によると、「2030年までに既存業務のうち27%が自動化され、結果1660万人の雇用が代替される可能性がある」と言われている。

これまで機械化・自動化は難しいと思われていた業務にも広がりを見せ、人間よりも機械の方がはるかに得意な分野が数多くある。具体的には入力作業やデータ処理、事務処理、単純作業等の作業である 。

実際にその通りになるかどうかはともかくAIによってなくなる仕事となくならない仕事をリストアップしたサイトがある。

www.kokuyo-furniture.co.jp

なくなる仕事は上記のサイトによると

  • 一般事務
  • 銀行員
  • 警備員
  • スーパーコンビニ店員
  • ホテルのフロント、受付 *
  • タクシー運転手*
  • 鉄道運転士、車掌*
  • 工場勤務
  • 建築作業員*

但し筆者の私見では接客業、そして安全性が関わる業種(*印)はいくらAIが発展しても全面的に全てAIが受け継ぐようになるかについては疑問に思っている。無論一定のレベルでAIの活躍は見ることができると思うが、接客業は人と人の接触や交渉のようなものは必要になってくるし、鉄道や交通、建設現場といった安全性が関わる現場も、危険はどこに潜んでいるかわからないからである。いずれにせよこういう記事を全面的に鵜呑みにしないことだ。

参考までになくならない仕事は

共通していえるのは「人間を相手にする仕事」「交渉が必要な仕事」「科学者」等、尚クリエイタ―については私の音楽ブログの方で改めて書くことにする

もう1つ参考記事

president.jp

どのAIの記事での共通して書いているのは『AIとの共存社会では「考える力」が必要となる』という点だ。つまり人間にしかできない力(はず)である考えること、つまり自分の頭で何でも考えて自分で積極的に意思表示をし、自分で作り出す行動を行うことである。

 今いったことをみて「あれ?」と思った人もいるのではないだろうか?

そう上記の赤文字、現代の日本人の多くがとても苦手としていることではないだろうか?

下記の記事をお読みいただきたい

business.nikkei.com

 私も実感するんだが日本人は周囲と同調することばかり考えて自分の頭で考えることをしない人が本当に多い。それが政治とか社会に対する無関心を呼び、政府がどんなメチャクチャなことをしていても支持し続けるというおかしな状況を作っている。

ただ自民党だから大丈夫だろう、と何も考えずにいる人のなんと多いことか。

AI ,ChatGPTが本格的に導入されると、自分の頭で考えない人は社会にとって無用の長物になってしまう。何も考えずただただ流されているだけの日本人の将来は暗いといわざるを得ない。 

そして日本人の大半は自分の頭で考えることができない。考えるような教育を受けていないからである。

数年後の日本が恐ろしい

悪夢の民主党政権?-自公政権のここ10年やったことを見れば自公政権の方が地獄なのは明らかー民主党政権は遥かにマシだった

故安倍元総理を始め、自民党のトップがなんとかの一つ覚えのように繰り返してきた「悪夢の民主党政権

先日も岸田総理が同じようなことをいったけど

www.sankei.com

誰が見ても何も考えていない、ただ自民党のトップ(=安倍派、麻生派等)や官僚のいいなりになっているのは、ちょっと思考能力のある人なら明らかなんだけど、残念ながら日本人の大半は自分の頭で考えたりすることができない人が多いので、岸田総理のいうことを鵜呑みにしてしまう人も少なくないようである。

では日本国民が自信や活力を民主党政権によって本当に失ったのか、民主党政権なんてもう10年も前の話。それ以降の自民党公明党の政権のやったことは全く眼中にないわけ?

ということで2012年の末から現在に至るまで自民党公明党によるいわゆる自公政権の主な「実績」を並べるとこうなる。

これをみてまともな知的水準の人なら「誇り、自信、活力を失った」原因は寧ろ10年の自公政権が原因ではないかと感じるのが自然だと思うのだが..

民主党政権が悪夢なら自公政権は地獄、といっていいのではないか

実際上の内容をみれば悪夢どころかこれ地獄だろ?

ちなみに自民党が何とかの一つ覚えのように使う「悪夢の民主党政権

本当に悪夢だったのだろうか。

民主党政権の実績、最初の7カ月だけでこれだけやっている。

これのどこが悪夢??

少なくとも今の自公政権よりははるかにマシではないだろうか?

ひいき目に見てもいかに日本人の大半が自公政権とその御用マスコミに洗脳されているのがわかる。

保守系の人たちは二言目には「野党が頼りないから」とかなんとかいっているが、

これをみればこれなら立憲中心の政権の方が遥かにマシじゃないか?という風に思わないだろうか?

「悪夢の民主党政権」といえば無条件に自公政権に支持が集まる、いつまでもそんな同じ手が通じると考えていたとしたら、間違いである、と声を大にして言いたい

「どうする家康」視聴者撤退宣言ー奇をてらいすぎた自己満足的脚本で自滅の大河ドラマ

「どうする家康」まあ今まで我慢しながら見ていましたが、忍者軍団のゾンビ的来襲のシーンとかwww  まあ面白いという思う人もいるんでしょうが、やはり「今までにない大河を」という意気込みはいいとしても、やはりそれにこだわりすぎて歴史ドラマのあり方をわざと逸脱しているつくりに思える。

勿論歴史ドラマといっても所詮はフィクションである。そんなことはわかっている。私も歴史ドラマが「歴史のシミュレーションであるべきである」という考えには反対だし、実際歴史のシミュレーションだったら本当に見ていてつまらないものになるだろう。

だから別に家康の若い頃を従来の家康のような描き方をしろ、というつもりはない。また若い頃の家康は最初から後の天下人のような、そして一般的なイメージである「タヌキおやじ」ではないから、「どうすりゃいいんだ!!」といちいち狼狽する姿も絶対なかったとはいえなかったかもしれない。

だが、それを考えても何か違う。歴史ドラマとしての視点がどこかずれているのだ。

脚本家、古沢良太氏の「今までにない大河を」という意気込みは結構だが過去の多くの)大河ドラマの脚本家もそう考えてやってきた。「鎌倉殿の13人」の三谷幸喜氏は三谷カラーを良く出したドラマで全て史実に忠実だったわけではない。新垣由衣演じる八重さんが北条義時の妻になったというのは間違いなく創作だし、菊地凛子さんが演じた伊賀の方の毒殺説は多くの史実家によって否定されている。そして三谷氏はそれを百も承知でそういう台本にしている。それによって三谷カラーが維持されるからだ。

しかし細かいところはともかく、史実の大枠からは逸脱していない。基本「吾妻鏡」や「愚管抄」をベースにした史実で描いている。それゆえ細かい部分はともかくそれほど違和感なく見ることができた。

だが今回はどうか? 「今までにない大河を」描こうとするため後家康最大の悲劇となる家康の正室の瀬名姫(築山殿)のキャステイングに有村架純ときいて思わず「マジ?!」と思った。後ほどお万の方に嫉妬のために折檻し、また「甲州浪人医師減敬と密会し、これを使者として武田勝頼のもとへ送って、信康が甲州方に味方する」旨の報告が信長にされたとするといった行動を行ったとされる築山殿である。後者の減敬の件はともかく、お万の方への折檻は本多重次(作左衛門)がお万を保護した史実があることから、それだけでも有村架純の演じるキャラとして想像できない。つまり今回までの瀬名の今川家からの救出まではともかく、これからの展開を考えると家康(当時は元康)と瀬名姫が仲睦まじくおしどり夫婦のようになる、という設定にどうしても無理が生じるのである。そこの描き方は古沢氏なりの考え方があるのかもしれないが、やはり不自然さが出てこないとは考えにくい。

 まあそこをどう描くか見てみるというのも一興だが、他にも今後の展開で違和感が生じると思われる部分が多々ある、今回の家康の上ノ郷の攻めでも一度はやられたと思わせた足軽がゾンビのよように生き帰り上ノ郷城を攻める、というのは、それを「面白い」と受け取る人もいるかもしれないが、それって大河ドラマでやることなの?と思ってしまう。それなら民放の別の時間にゾンビあり、幽霊あり何でもありのドラマを作った方がはるかに面白い。

無論堅いこといわず、そういう「新しい大河ドラマを楽しもうよ」という人もいるかもしれない。だが、1つだけいわせてもらうと、大河ドラマNHKの年間の制作予算のかなりの部分を占めている作品であり、いわばハリウッドの大作クラスの制作予算をかけている。そしてそれは国民から徴収した聴取料から出ている。

その状況であの不自然なCGの馬乗りを見せられたり、服部半蔵山田孝之)が小さな鉄の球を落として、それが地下に通じていてそこから音が広がり、仲間が三々五々集まってくるという招集シーンはまるで昔の「風雲たけし城」のようなシーン。それをハリウッドクラスの予算で作るのか、と思うと、やはりそれ違うだろ?と思ってしまう。

要は脚本家が「奇をてらいすぎて」何か自滅している、そんな印象がぬぐえないのだ。

過去の大河ドラマでも脚本家のそうした姿勢で台無しになった大河ドラマの例がある、私見では「天地人」(2009年)とか「江(ごう)姫たちの戦国~」(2011年)とか

いずれも私見では史上最低の大河ドラマといっていい内容だ。

今回も同じテツを踏まないことを祈る。テレビの視聴率が全てだとは思わないが、明らかに低迷した状態が続くと何らかの対策を取らざるを得ないだろう。

www.nikkan-gendai.com

まあ別の評価をする人いるだろうが、とりあえず見る見ないは個人の自由なので、私はこれ以上見ない、という選択をとらせてもらう。

日本人は変化を好まないー安定を好むーでも変化しないとこの国は破滅するーでそのためにどうしようか?

日本滅亡シリーズの記事を3つ続きましたが、その後業務が多忙だったので続きをなかなか書けませんでした。

しかしその3つの記事で日本という国がいかに深刻な状況になっているか、についておわかりいただけたのではないかと思う。

深刻である、だけど黙って滅亡を待つのは愚である。

しかしここでも日本人の国民性というのは足枷になっている。

日本人というのは国民性からも、DNAレベルでも変化というものを忌み嫌う。

例えば幕末の歴史を見るとはっきりそれがわかる。日本は250年の太平の世が続き、おそらく250年間一度も大きな戦争がない国というのはたぶん日本くらいではないだろうか?そのため日本人のDNAに「安定」を志向する向きと「変わりたくない」という考えが定着してしまったのではないだろうか?

そもそも幕末の尊王攘夷運動ー一般的イメージでは明治維新への原動力となったかのようなイメージがあるが、実はそれは正しくない。

同じ尊王攘夷運動でも水戸学の時代と長州の下関戦争と薩摩の薩英戦争以降の攘夷運動(大攘夷)は分けて考えなくてはならない。

水戸学の尊王攘夷はいまでいう偏狭な右翼や国粋主義に近い。外国人を野蛮人扱いし外国のことを知ること自体を否定する。そして西洋の技術を学び開国する人間を極悪人扱いし、「天誅」というテロに走る。水戸藩の志士は大老井伊直弼を始め安藤信正そして同じ水戸藩の平岡円四郎といった開明派を次々と襲撃していった。水戸藩の過激な攘夷思想は幕末ますますエスカレートし、ついには天狗党の乱のように水戸藩士同士で血で血を洗う争いになってしまう。はっきりいってこの時期の水戸藩士は攘夷思想に凝り固まったただのテロリストである。そのため下関戦争で実際に欧米と戦って攘夷は無理であることを実感した長州、イギリスに善戦しながらも多大な損害を出した薩摩などとは天と地ほどの大きな差の認識の違いをもつようになった。

つまり日本の外の情報をきちんと把握するか、しないかで大きく違う。

これは今でも同じで現代は幕末と違い一定の英語力があれば海外の情報をいとも簡単に手に入れることができる。要は外の情報を進んで取るか、受け身の姿勢を取り続けるかで大きく異なる。

そのためには日本人の中にすっかりしみついた無関心、思考停止を克服しないといけないがこれが難しいというのは先日書いたばかりである。

だが海外とのボーダーレス状況に関心を持っている人も多いとはいえないが、いるのも事実。そういう「意識の高い」人と連帯して滅亡いないための悪あがきをするしかないだろうと思う。

とりあえずその「意識の高い」人たちの最大の敵は「昭和脳」の人達だろう。やっかいなことにこういう人達が政治家や行政、そして大企業のトップだったりする。簡単に勝てないが、方法はある。

それは日本国内に「黒船」を誘導することだ。

日本人は外国人に弱い。そこを利用するしかないかもしれない。

とにかく何度もいうが価値観はここ10年で劇的に変化した。そしてその変化に対応しないと日本は滅亡の道をいく。

そのために外国勢力を利用して日本国内を少しでもいい方向に動かすしかないのではあるまいか。

ただ黙って滅亡を待つ、というのは嫌だし愚の骨頂だと思う。

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