豊臣兄弟、今まであまり書いては来ませんでしたが、SNSでは「史実」とドラマがかけ離れている点の指摘が随所見られました。大河ドラマのような歴史ドラマは歴史上の実在の人物を扱ってはいるものの、所詮はドラマです。だから重箱の隅をつつくようにどこそこの部分が史実と違うなどと突っ込むのはナンセンスであって、特に大河ドラマは歴史的史実を扱うとしても「歴史のシミュレーション」ではありません。
これは何回も述べてきたことです。実際歴史事実といっても誰もその時代に生きている人など現代はいないわけですから、歴史研究家が「資料に書いてあるか、その資料が信じられるか」という水準でまとめたものを私たちは「史実」といっているにすぎません。
とはいえ、いくらドラマの演出上といっても、私たちが「史実」といっているものとあまりにかけ離れた内容を「演出」といわれても。やはり違和感を感じてしまうのはやむを得ません。
前回の茶々を秀吉の側室にするシーンに秀吉が寧々さん一筋であるかのような描き方をしていますが、類まれな女好きの秀吉のイメージがある点は少しでも歴史を知っている人間であれば知っていますから、違和感を感じた人が多かったのは当然でしょう。
今日の旭姫の家康への輿入れの件は先週の茶々よりはまだマシですが、ドラマでは徳川側が旭姫を要求したかのように描かれていますが、実際には逆で秀吉側から打診されています。正室の築山御前を信長の実質的な命令で斬らなければならず、それ以来正室がいなかった徳川を傘下に収めるために、夫婦仲が極めてよかった旭姫を強引に離縁させ、家康に輿入れさせた、というのが真実。家族を政略の道具にしなければならなかったーそれほど徳川を勢力下におくことが当時の秀吉に必要だったんですね。

勿論家康とはまともな夫婦生活があったとは思えず、正室になったあと僅か5年で逝去してしまいます。
ちなみに秀長もあと5年の寿命ですから豊臣兄弟も終わりが近づいているのがわかりますね。そして秀吉の家族もこれから数々の不幸に見舞われます。この旭姫の徳川の輿入れはまさに「終わりの始まり」ということもできます。
それらを見ていて思うのですが、大河ドラマは「歴史のシミュレーションであるべきだ」とはいいません。しかし演出のために「過剰に史実を曲げる」ということで違和感を感じさせるというのもいかがなものか、とも思います。特に戦国時代は歴史ファンが多いので、ドラマを感情の面で演出のために「歴史ファンなら常識レベル」の史実まで違和感を感じてしまう「演出過多」というのはよほど演出上効果が出ない限りは、リスクの高い演出になってしまうのでは?と思います。
歴史ドラマと史実、なかなか兼ね合いは難しいですが、あまり多くの方が違和感を感じる史実の変更については、どうすべきなのか、議論をつくす必要があると思います。
