KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

日本人は変化を好まないー安定を好むーでも変化しないとこの国は破滅するーでそのためにどうしようか?

日本滅亡シリーズの記事を3つ続きましたが、その後業務が多忙だったので続きをなかなか書けませんでした。

しかしその3つの記事で日本という国がいかに深刻な状況になっているか、についておわかりいただけたのではないかと思う。

深刻である、だけど黙って滅亡を待つのは愚である。

しかしここでも日本人の国民性というのは足枷になっている。

日本人というのは国民性からも、DNAレベルでも変化というものを忌み嫌う。

例えば幕末の歴史を見るとはっきりそれがわかる。日本は250年の太平の世が続き、おそらく250年間一度も大きな戦争がない国というのはたぶん日本くらいではないだろうか?そのため日本人のDNAに「安定」を志向する向きと「変わりたくない」という考えが定着してしまったのではないだろうか?

そもそも幕末の尊王攘夷運動ー一般的イメージでは明治維新への原動力となったかのようなイメージがあるが、実はそれは正しくない。

同じ尊王攘夷運動でも水戸学の時代と長州の下関戦争と薩摩の薩英戦争以降の攘夷運動(大攘夷)は分けて考えなくてはならない。

水戸学の尊王攘夷はいまでいう偏狭な右翼や国粋主義に近い。外国人を野蛮人扱いし外国のことを知ること自体を否定する。そして西洋の技術を学び開国する人間を極悪人扱いし、「天誅」というテロに走る。水戸藩の志士は大老井伊直弼を始め安藤信正そして同じ水戸藩の平岡円四郎といった開明派を次々と襲撃していった。水戸藩の過激な攘夷思想は幕末ますますエスカレートし、ついには天狗党の乱のように水戸藩士同士で血で血を洗う争いになってしまう。はっきりいってこの時期の水戸藩士は攘夷思想に凝り固まったただのテロリストである。そのため下関戦争で実際に欧米と戦って攘夷は無理であることを実感した長州、イギリスに善戦しながらも多大な損害を出した薩摩などとは天と地ほどの大きな差の認識の違いをもつようになった。

つまり日本の外の情報をきちんと把握するか、しないかで大きく違う。

これは今でも同じで現代は幕末と違い一定の英語力があれば海外の情報をいとも簡単に手に入れることができる。要は外の情報を進んで取るか、受け身の姿勢を取り続けるかで大きく異なる。

そのためには日本人の中にすっかりしみついた無関心、思考停止を克服しないといけないがこれが難しいというのは先日書いたばかりである。

だが海外とのボーダーレス状況に関心を持っている人も多いとはいえないが、いるのも事実。そういう「意識の高い」人と連帯して滅亡いないための悪あがきをするしかないだろうと思う。

とりあえずその「意識の高い」人たちの最大の敵は「昭和脳」の人達だろう。やっかいなことにこういう人達が政治家や行政、そして大企業のトップだったりする。簡単に勝てないが、方法はある。

それは日本国内に「黒船」を誘導することだ。

日本人は外国人に弱い。そこを利用するしかないかもしれない。

とにかく何度もいうが価値観はここ10年で劇的に変化した。そしてその変化に対応しないと日本は滅亡の道をいく。

そのために外国勢力を利用して日本国内を少しでもいい方向に動かすしかないのではあるまいか。

ただ黙って滅亡を待つ、というのは嫌だし愚の骨頂だと思う。

google.com, pub-3062244771962944, DIRECT, f08c47fec0942fa0