西郷どんー幕末の流れを変えた5つの歴史的事件
西郷どん 今日は池田屋事件、そして禁門の変(蛤御門の変)と幕末の大きな事件が次々と出てきました。長州力の来島又兵衛、結構ぴったりでした。
西郷吉之助もこれから歴史の大舞台の中心に入っていきますが、幕末から明治というのは日本の歴史の中でも価値観を始めあらゆることがドラステイックに変化した時代であるため、そのプロセスで大きなうねりが生じています。勿論全てのきっかけがペリーの来航から始まるのですが、ここではペリー来航から明治まで当時の世相の変化を大きく変える事件をおさらいしたいと思います。
ペリー来航、日米和親条約はこれ自体が歴史を動かすカンフル剤のようなものですが、ここから明治まではさまざまな紆余曲折があったのは皆さんご存じの通りです
私は幕末の流れを変えた事件として以下の5つを揚げます
井伊直弼はペリー艦隊と条約を結びますが、実は心からの開国派ではなく要は幕府の権威や従来の幕府の体制維持に一番こだわった人物ーいわば保守派が幕末で事実上時計の針を戻そうとした、というのが真実ではないかと思います。実際そのため橋元佐内、吉田松陰、頼三樹三郎、梅田雲浜といった開明派の学者が悲運の最期を迎えました。本来開国派ならばこういう開明派の人たちを重用したはずですが、結果的に幕府の独裁的な政治を強行するという旧態依然の内容でした。それが桜田門外での井伊直弼暗殺につながり、実は幕府の力を結果的に弱めることになりました。
2.長州の下関戦争、薩摩の薩英戦争
以前の記事にも書きましたように、同じ外国の戦争でも下関戦争と薩英戦争は全く内容は違うのですが、
この事件の影響は幕末の中でかなり大きいものです。まず
(1) イギリスや諸外国が幕府よりも薩摩、長州の方を信用することになったこと
(2) (特に長州で) 狭い攘夷運動から開国して力をつけてから外国に対応する大攘夷運動に発展したこと
(3) (1) と(2) で薩摩、長州やその他の藩で「倒幕」の意識が芽生えたこと
3.薩長同盟
さて来週からいよいよ坂本龍馬が本格的に登場しますが、尊王攘夷、そして開国に対する意識が高かった薩摩と長州を結び付けたのは他ならぬ坂本龍馬です
最新の武器が喉から手が出るほど欲しかった長州とご存じシラス台地の影響でコメが取れない薩摩、両者の弱いところを補完することで犬猿の仲だった薩長を結びつけたことは倒幕の方向に決定的にベクトルを動かしました。
薩摩名義で購入された最新鋭の武器を手に入れた長州はこの後起きる第二次長州征伐にて幕府軍を敗退させます。結果的に薩長同盟は幕府の力を大きく衰退させることになったといっていいと思います
あまりこの点を揚げる人は少なくないかもしれませんが実はこの孝明天皇の崩御は幕末の流れを決定的に変えたといっても過言ではありません
ドラマにも描かれていたように孝明天皇は一橋慶喜と松平容保の二人に絶大なる信頼を置いていました。外国嫌いで攘夷論者の精神的支柱ですらあった孝明天皇はある意味外国して日本を近代化しようと考えていた薩摩、長州にとってもかなり足かせだったのは事実です。そのため岩倉具視は「国内諸派の対立の根幹は天皇にある」と暗に示唆して、「孝明天皇が天下に対して謝罪することで信頼回復を果たし、政治の刷新を行って朝廷の求心力を回復せよ」と文書に記しています。
孝明天皇が薨去したのはまさにそうした折であまりにも薩長勢力にとって抜群のタイミングでの薨去であることから毒殺説、他殺説まで出ています。一応死因は天然痘と診断されています。いずれにせよ孝明天皇の崩御から一橋慶喜は事実上の後ろ盾をなくすことになり、会津の松平容保と会津藩にはこれ以降悲劇が展開されてしまう等、薩長と幕府、会津側の立場は大きく変更してしまいます
「大政奉還」政治の権限を天皇に戻す、という処置は元々徳川慶喜にとってまさに起死回生の一手でした。これによって薩長が幕府に武力攻撃を行う大義名分が失われ、それ以降の交渉を有利に進めるためのものでした。
ところが次の日にこの慶喜が致命的なミスを犯してしまいます。以前も同じことを書きましたが、十二月八日の朝議に「病気」と称して欠席したことです。薩摩に囚われの身になるのを恐れていたようでしたが、折角「大政奉還」を行いことを有利に運ぼうと考えていたのですが、この日欠席したためにもう一人の怪物ー岩倉具視を始めとする薩摩、長州にいいようにやられます。ここで「王政復古」のクーデターが行われ御所はすっかり薩摩、長州の勢力下になったわけです。
「朝議に欠席すべきではなかったかー」 悔やんでも時すでに遅し、260年続いた江戸幕府が完全に終わった瞬間でした。
つまり一部誤解しているいる方がおられるようですが、「大政奉還」で江戸幕府が終わったのではありません。「王政復古」のクーデターの時に江戸時代が正式に終わったのです。幕末の結末が決定的になった瞬間でした。
この「王政復古」のクーデターは単に政権が徳川から薩長に移ったのではありません。岩倉具視は革命といっていいことをここで行います。つまり廃止したのは幕府だけではありません、摂関制度ーそう奈良の律令国家以来1100年続いてきた官位制度を全部廃止してしまった、という点です。 「王政復古で一度全部更地にする。」 そして今までにない全く新しい世の中を作る。それがこの「王政復古」のクーデターで行われたことでした。
幕末から明治では政権だけではなく政治制度、その他ありとあらゆることが変わっていきました。日本の歴史を振り返ってみてもここまで、政治制度、生活、価値観、庶民の衣食住までドラステイックに変化した例はないと思います。
「西郷どん」-いよいよ木戸孝允を始め勝海舟、坂本龍馬、等幕末のオールスターが次から次へと出て行きますが、この変化が日本人にとってなんだったのか、いろいろと考えてみたいと思います