KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

青天を衝けー攘夷運動の果ての天狗党の乱の悲劇、時代に取り残され単なるテロリストに過ぎなくなった水戸藩士

大河ドラマ「青天を衝け」ーこの大河ドラマについては初めての記事です。最近はネット、SNSで歴史関係の記事が多数ある関係でこれに関する記事は書くのをやめていましたが、今日水戸藩天狗党の乱と平岡円四郎の死を描くにつれ、1つ幕末のこの悲劇については書いておきたい気持ちになりました。

ご存じの通り幕末の大きなうねりとなった尊王攘夷

その尊王攘夷はご存じの方も多いでしょうが、水戸藩の藩校弘道館の教育理念を示した徳川斉昭弘道館記によるから来ているというのが最も一般的でそれを起草したのは講道館の師範であった藤田東湖といわれています。これを一般的に「水戸学」といい幕末に大きな影響を与え、長州藩薩摩藩を始め諸藩に広まりました。

そして「青天を衝け」にも描かれていたようにペリー来航から日米和親条約などの和親条約が米英露と締結から尊皇攘夷運動が高まり、それを抑えつけようとした大老井伊直弼の「安政の大獄」で弾圧されるものの、そのことが逆に水戸藩を始め尊皇攘夷運動を過激なものに駆り立てたということができます。そして桜田門外の変による井伊直弼の暗殺の主力が水戸藩士であったことが、ある意味その後の水戸藩士の運命を決定づけたといってもいいでしょう。

元々初期の攘夷運動は非常に過激な性質を持ち、攘夷を行わぬものは人に非ず、という傾向があり、これが長州藩を始めた諸藩に影響を与えました。当時の若い志士は強烈な思い込みで暴走しやすい、といった点で自分と意見の違う人物を天誅という名目で殺害したり、外国人居留地で焼き討ちを行う等、今の我々には「テロリスト」にしか見えないわけです。人間がテロに走る理由は貧困とか、学問が偏っているとかいろいろ言われますが、幕末の京都も江戸もこうしたテロリストであふれかえっていたといっても差し支えないでしょう。

長州や薩摩は下関戦争や薩英戦争で「攘夷」は無理なので開国してから大攘夷(倒幕ー新政府樹立)の方向に移るわけですが、攘夷論の起源を起草した水戸藩はそういった流れから取り残されてしまいます。それは今日描かれた天狗党の乱」という大悲劇が起きたからです。

その天狗党の乱、藤田東湖の嫡男である藤田小四郎が挙兵して幕府に攘夷実行を迫るという建前でしたが、大量に集まった志士を養う軍資金が足りない為、役人や富農・商人らを恫喝して金品を徴発し、少しでも抵抗すれば放火して殺害する等、攘夷の志士というよりは単なる強盗集団に成り下がりました。テロリストでありながら略奪や殺戮を繰り返す、という「攘夷」に名を借りた犯罪集団といってもいいでしょう。

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 そして水戸藩の中でも保守・門閥派で水戸斉昭の改革で藤田や武田耕雲斎といった身分に関係ない人間の出世を快く思っていなかった勢力ー諸生党も天狗党を討つ好機と考え決起、幕末に家老市川弘美(三左衛門)らを中心に水戸の内乱に発展します。

 この内乱は天狗党、諸生党の血で血を洗う抗争に発展し、お互いが水戸藩の主導権を握るたびに双方の家族を処刑する等凄惨を極めたそうです。

結果としてこの天狗党の乱によって水戸藩には目ぼしい人材をことごとく失い、壊滅状態になりました。

徳川斉昭が心魂を注いで作った水戸学、そして日本最大規模の大学といっていい弘道館ですが現在のように多様性など考えたこともない志士の暴走によって、単なるテロリスト集団に過ぎなくなってしまった。とても残念な史実です。考えさせられてしまいます。

 

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