KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

花燃ゆー蛤御門(禁門)の変で久坂自刃以後後半が心配な件


花燃ゆー昨日で幕末の大事件である禁門の変蛤御門の変ともいいます)が終わり松下村塾の三秀の中でもトップだった久坂玄瑞が自刃

久坂玄随 1840-1865

個人的にはこの久坂玄瑞をここで失ったのは後の日本にとっても大打撃だったとは思いますが、やはり元々は学者肌なのか師の松陰同様、やや理屈が先走る傾向がありそのため尊王攘夷の指導者的存在でありながら殆どが目的を達することなく終わりました。

久坂玄瑞をみますとちょうど土佐の武市半平太(瑞山)を彷彿させます。どちらも過激な尊王攘夷の思想家ながらいずれも志半ばで倒れてしまいました。

幕末というのは日本史の中でも最もドラステイックに価値観が変わった時期であり、そのために人材の面で多くの犠牲も出してしまいました。明治に入ると主だった志士の多くは既に他界してしまいましたから、久坂や武市あるいは吉田(稔麿)が明治に生きていればまだ状況は変わっていたかもしれません。

この禁門の変は先々週の池田屋事件とならぶ幕末の動きが大きく変わった時期でもあるのですが、今回の花燃ゆでこの禁門の変を起す一人の重要人物が出ていません。

長州藩士ではありませんが、久留米藩士の真木和泉(保臣)です。

実は「長州一藩のみが列強を相手に攘夷をしても勝ち目はない。全国一丸となって事に当たる必要がある。そのためには天皇が攘夷親政を進められること以外には道はない。」という意見具申したのは花燃ゆでは玄瑞であるかのように描かれていますが実際に具申したのは真木和泉の方です。

八重の桜では島田久さんが本当に当たり役といっていいくらいはまってましたが、長州藩の藩論を始め幕末の尊王攘夷の思想家の代表的人物であったので今回も本来ならば登場しなければならない人物でした。

戦いを避けるべく奔走した玄瑞と強硬派の来島又兵衛ーこの来島又兵衛は戦国時代に生まれていれば勇猛果敢な武将として名を残したかもしれませんが、正直生まれてきた時代を間違えた感のある人です。戦国時代のメンタリテイーを幕末にそのまま持ってきても当時既に最新鋭の武器をそろえた薩摩にはひとたまりもありません。

さて、これから幕府による第一次長州征伐が始まるわけで、長州にとってもっとも苦しい時期が始まります。そこで大活躍し長州を立て直すのが松下村塾の三秀の残りの一人のあの人なんですが,,,,

実はちょっと心配なことがあります。

来週より主人公の文が毛利家の奥女中に奉公に行くのですが
■【花燃ゆ】まるで違う作品に!? 「禁門の変」描くターニングポイント
http://www.oricon.co.jp/news/2055449/full/?ref_cd=tw_pic

こうなって欲しくはないんですが、何となく今後は大奥の女性用ホームドラマのような作りになって、今後の高杉の活躍とか薩長同盟とか幕末の歴史の転換点が何か「二の次」になってしまうのではないか?
そんな懸念が頭をよぎります。

まあ女性が見るホームドラマとしてはそれでいいのかもしれませんが、そうなると今後は私のようなものが見る気が萎えてしまいます。

一応何回か見て判断しますが、その懸念が現実にならないことを祈ります

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