今世界は価値観も産業構造も大変革の時代ーでも変化を好まない日本人の体質
日本人同士で話をすると実感がわかないかもしれないが、ここ10年くらいーそう、丁度9年前に民主党政権から安倍政権に変わってから、実は世界の価値観はドラステイックに変わってしまった。
とりわけ次の2点の価値観の変化について日本人の大多数が気づかずにいたのである。そして今もその価値観の変化に日本人が対応しているとはいいがたい
・ダイバーシテイ(多様性)
LGBTやジェンダー問題、人種、そして障害者の自立問題。パラリンピックが開催され少しは関心を持たれたようだが、島国で単一民族の日本人は「自分たちと違う」ということをどうしてもネガテイブに受け止めてしまう。
本質的に村社会的な体質を持ち、それがある意味日本人の体質や国民性の中に深く入り込んでしまっている。「他人と違う」ということは「悪いことである」といった考え方が何となく社会に根強く存在し、そのため「他人と違う」ことが原因で差別やいじめが日常的に起きている。社会の隅々な部分で男尊女卑的な価値観が入り込んでおり、それは日本のシステム全般を根本から洗い直し見直さないと変革はできない。
・SDGs(持続的発展目標)
ムリな目標をたてることなく、誰もが取り残されることのない社会、全ての人は社会的発展の恩恵を享受する社会を目指すということ。これはヨーロッパを中心として広がってきた考え方である。日本では一部の企業で取り入れる動きがあるものの、大企業ーとりわけ経団連の企業ーはいまだ高度成長時代、バブル期のメンタリティーを維持したままであり、この流れを受け入れられているとはいいがたい
<参考記事>
そして残念ながらこの両面において日本は大きく遅れてしまっている。
それだけではない。日本本来の技術力についても落ち込みは激しい
いわゆる日本的経営の構造的な問題で、IT革命に参入できず、人工知能の権威である東大の松尾豊教授によると、日本の産業界は、アメリカの3周遅れになってしまっているという。1989年には、時価総額ランキングで、世界のトップ50社の中に日本企業が32社入っていたのだが、現在残っているのはトヨタ自動車1社だけだという
それもこれも従来の日本型経営、従来の価値観に固執し日本という国は完全に世界からおいていかれた存在になってしまっているということ。そしてそのことを一番理解していないのが日本人自身だと思う。
私は日本人は基本は変化を好まない国民性を持っていると思う。
日本の教育の本質をみても自分で考えて、自分の意見をいうよりは周囲との同調、周囲との和を保つことが何よりも優先され、結果政治のことを始め多くのことを「無関心」「思考停止」の国民ができあがってしまった。
最初は文部省や自民党の陰謀論という話もあったが、今思うとおそらく「自然に」そういう方向に集約していったような気もする。
今大河ドラマで幕末→明治を舞台とした「青天を衝け」をやっているが、幕末で水戸藩士を始め「尊王攘夷」運動について描いた場面があったが、今思うと「尊王攘夷」は欧米に追い付け追い越せ、という前向きな姿勢ではなく、日本人特有の「変わりたくない」という思いからあれだけ全国に広がったのではないかとも思う。
つまり250年間太平(平和な時代)の世をこわしたくない。太平の世を壊そうとする「異人」(外国人)が追い返してしまえ、日本から追い出してしまえーという「変化をしたくない」思いが変形して、ああいう過激な行動を志士たちに起こさせ、水戸藩士などは実質的にテロリスト化した。いや、薩摩長州の志士たちもその本質はテロリストに過ぎなかった。
それを思うとよく明治維新のようなことが実現できた、と寧ろ驚きの方が強い。
太平の世が長く続くと「変わりたくない」という気持ちが強くなるのだ。
今の日本人も第二次大戦後75年もの間、平和を維持してきた。だからマスコミ含め二言目には自民党がどんなに酷い政治をしようが、批判の矛先は寧ろ野党に向けられてきた。「野党=だらしない」という大ネガテイブキャンペーンをマスコミが積極的に拡散し、殆ど洗脳に近いレベルにまで日本人の考え方に影響してきた。
だから日本人の多数は自民党がどんなに酷い政治でコロナに後手後手になり、不手際を連発しても自民党の方を支持するのだ。
だが世界の変化はもはや待ったなしである。デイバーシテイ、SDGsを含め世界の流れに適応していかないと日本は単なる後進国に堕ちる、などというレベルでは済まない
だがこれはやはり変えなくてはならない。変えないと日本という国はもはや生き残れない
そして変えるチャンスは来週の31日だ。
政治に無関心でいることはかっこいいことでもなんでもない。寧ろ恥ずかしいことである。
今回の衆議院選挙でその流れが変わることを期待する