鎌倉殿の13人ー呪われた源氏の嫡流
鎌倉殿の13人、先週の義経の登場に続き今回は源範頼、義円等次々と頼朝の兄弟が集まりました。我々は義経や範頼のこの後の悲劇の結末が訪れることを知っていますから、これからそこの部分がどう描かれるのか見ものです。
ご存じの通り清和源氏の中でとりわけ「河内源氏」が源氏の嫡流という扱いになりますが、内実は兄弟同士、親戚同士の殺し合いとなり最後は源実朝が甥の公暁に殺されたことで「そして誰もいなくなった」状態になったことは周知のとおりです。
とりあえず源為義からの「源氏嫡流」について簡単にまとめてみました。
文字が小さくて読み辛いかもしれませんが、✖は斬首、処刑、謀殺(要は殺された人)そして✖✖は戦場での討ち死に。唯一源義門だけ「早世」以外は詳細は一切わかっておりません。
文字が小さいのでこちらでもリストを作ると
源為義 (源義朝の父、頼朝の祖父)ー 保元の乱で息子義朝に斬首 ✖
●為義の男子
源義朝(為義長男頼朝の父) ー 平治の乱で敗走後長田忠到に殺される ✖
源為朝(源為義八男)*希代の豪傑ー 伊豆大島に配流後乱をおこし自害 ✖
●義朝の男子
源義平(義朝長男)*豪傑悪源太 ー 平治の乱後捕まり斬首 ✖
源朝長(義朝次男) ー 平治の乱後負傷し途中死亡 ✖
源義門(義朝四男) ー 早世ー詳細不明 ▲
源希義(義朝五男) ー 平家との闘いで討ち死に ✖✖
源範頼(義朝六男) ー 謀反の疑いをかけられ配流誤殺害 ✖
源義円(義朝八男) ー 平家との闘いで討ち死に ✖✖
源義経(義朝九男) ー 兄頼朝と対立し奥州にて謀殺 ✖
まあとにかく頼朝以外に天寿を全うした者が殆どいないというのが史実。唯一処刑も討ち死にもしなかった源頼朝もその死についてはなぜかどの文献も詳しくは書いていないために実は「暗殺説」もあります。
親子での殺し合い、兄弟の殺し合い、一族同士の殺し合い
まあこれをみるとやはり源氏嫡流=呪われた家系 といっていいかもしれませんね。
鎌倉殿の13人。源実朝の暗殺まで一族同士の殺し合いをみることになります。