KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

「青天に衝け」からー名君になり損ねた将軍ー徳川家茂

前回の「麒麟が来る」でも名君になり損ねた将軍として足利義輝について述べましたが

今日の「青天を衝け」で僅か20歳で逝去した徳川家茂についても述べさせていただきます。

死因は脚気といわれていますが、歴代徳川将軍の死因でも多い病気です。脚気とは現代では殆どありませんが、ビタミンB!の欠乏が原因で起きるといわれており、歴代徳川将軍の多くがこれで亡くなっています。

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徳川家茂は僅か20歳で亡くなっているため将軍としての評価は定まりませんが、徳川慶喜を押す一橋派と家茂(当時は慶福)を押す南紀派が争うくらい、やはり素質は慶喜に勝るとも劣らないところがあったようです。

13歳で将軍宣下を受け在任期間は8年余りでその間大きな動きは公武合体策のための和宮の降嫁と長州征伐くらいしかありません。

しかし家茂を知る人によると人物としてかなり高い評価をされています。

若さゆえに時代に翻弄されたが、もう少し長く生きていれば、英邁な君主として名を残したかもしれぬ。武勇にも優れていた人物であった (勝海舟)

 

書の達人といわれた老齢の戸川安清がうっかり失禁していたのですが、それに気づいた家茂がいたずらを装って水をかけて隠し、「続きは明日にしよう」と言って、戸川の粗相を不問に付していたのです。機転と思いやりのあるところを見せた

 

孝明天皇の妹宮・和宮は本来婚約者がいて将軍に嫁ぐことを嘆いたが、家茂の聡明さと心優しさに打たれて仲睦まじくなった。その夫婦関係の良さは、和宮の側近が仲睦まじい2人のことを日記に記していたほどだったという

 慶喜に負けず劣らず聡明でなおかつ心優しい人物であったようです。短命でなければどんな将軍として実績を示せたでしょうか?志半ばで倒れてしまった徳川家茂はまさに名君になり損ねた将軍だったかもしれません。

 

ちなみに話はそれますが、徳川将軍でもう一人「名君になり損ねた」将軍がいます。

6代将軍徳川家宣です、

悪名高い 生類憐みの令を廃止し、財政再建につとめ新井白石を当用した「正徳の治」を推進しました。しかし在任中に病(今でいうインフルエンザといわれます)に倒れ志半ばで逝去しました。

何にせよ例え名君となりうる聡明さ、人徳があっても志半ばで思ったことを成し遂げずに亡くなってしまう。

名君になりそこねた権力者のパターンです

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