KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

麒麟が来るー室町幕府末期に名君になりそこねた将軍足利義輝

麒麟が来る 鉄砲の仕組みをもっと知るために京都の本能寺(明智光秀の人生を考えるとなんと因縁深い!)に出かける若き日の十兵衛光秀。その後因縁となる本能寺で光秀の盟友としても活躍する細川藤孝(後の幽斎)と一瞬剣を交えますがその時闘いを辞めさせたのが室町幕府13代将軍の足利義輝(1536-1565)になります。

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足利義輝座像(国立歴史民俗博物館蔵)

 歴史に名君と記録される将軍や王はいますが、私はこの足利義輝は「名君になり損ねた将軍」と考えています。

名君というのは優秀なだけではなれません。運も実力のうちといいますが、運が伴わなければ名君にはなれません。歴史を振り返るとそういう人物が結構大勢います。

江戸時代の徳川将軍では徳川家宣(6代)、徳川家茂(14代)などは名君の器がありながら健康を害したために名君になれなかった将軍ですし、ヨーロッパに目を向ければローマ皇帝のアレクサンデル・セヴェルス、アケメネス朝ペルシアのダレイオス3世、オーストリアハプスブルグ皇帝のヨーゼフ2世神聖ローマ帝国フランツ・ヨーゼフ1世がそれにあたるかもしれません。よろしければ「名君になりそこねた君主」シリーズで書いてもいいですが、とにかく「運も実力のうち」というのはまんざら嘘ではないということを記しておきましょう。

さてこの足利義輝はすっかり権威や力がなくなってしまった足利室町幕府を何とか権勢を取り戻すべく悪戦苦闘の人生を歩みますが、とにかく足利室町幕府は日本の歴史の中でも最弱の政権ーそして応仁の乱もしくは明応の変以降に有名無実と化した室町幕府を何とか立ち直らせようと様々な知恵をはたらかせます。

またドラマでも少しそこの部分が触れられましたが、武勇に優れた将軍で剣豪として名を馳せていた塚原卜伝から指導を受けた直弟子の一人といわれます。

宣教師ルイスフロイスも「とても武勇すぐれて、勇気ある人だった」と評しているものの、幕府の権勢の衰えはいかんともしがたく、将軍を単なる傀儡の存在としか見ていなかった勢力にとっては将軍親政を行おうとする義輝は邪魔者でしかなく、松永久秀(古田鋼太郎)と三好三人衆によって暗殺されてしまいます。

暗殺時、義輝は「自ら薙刀を振るって戦い、人々はその技量の見事さにとても驚いた。その後はより敵に接近するために薙刀を投げ捨て、刀を抜いて戦った。その奮戦ぶりはさながら勝利を目前にしている者にも劣らなかった」(ルイスフロイス)と記されています。

十分な兵力と力があれば三好三人衆など蹴散らせただろうと思いますが、何せ生まれてきた時代と状勢が悪すぎた、ということでしょう。

この後15代の足利義昭室町幕府は終焉することになりますが、あまりに状勢が不利だった室町幕府の末期、足利義輝のような器の人物にとってもどうにもならなかった、ということでしょう。

義輝のような「名君になりそこねた君主」以後も機会はあれば書こうと思います。

 

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