八重の桜、今日は戊申戦争で会津藩が結局は将軍慶喜に敵前逃亡ー事実上裏切られる様子が描かれていました。
会津の『会津家訓十五箇条』を事あることに持ち出され慶喜に「いいようにやられていた」会津藩、さんざん振り回されたあげくに、最終的には慶喜より「登城禁止ー江戸追放」という事態、
まあ会津藩から見れば殆ど慶喜に「裏切られた」、まさに詐欺師に見えたかもしれませんね。
まあ以前の記事で徳川慶喜は考えられない行動に出ると書きましたが、今日の慶喜が容保を強引に連れて行って江戸に行く、まさに「敵前逃亡」を行ったことがそれです。
一番有力なのは慶喜政権が天皇権威を掌中に収め、それに依拠することによってのみ成立していた政権であったとし、天皇権威を他勢力ーつまり薩長ですがーに譲り渡した時点でその政治生命は潰え、一連の退却行動に繋がったという説
また新政府から「朝敵」とされるとすぐに寛永寺に謹慎した事などから天皇や朝廷を重んじる心ある者だと評価される説
いろいろありますが、
さんざん『会津家訓十五箇条』でしばりつけられ、結果として利用されるだけ利用され最後は捨てられた会津からすれば、「慶喜」というのは酷い奴だ。
ということになるでしょう
しかもその慶喜が藩主容保を「騙した」責任を容保の側近、
神保修理が代わりに切腹させられてしまいます。
この神保修理ー若いながら他藩からも非常に評価の高かった人物でした。
会津藩を将来背負っていくだろう優秀な人材まで失ってしまいます。
殆ど夫婦生活らしい夫婦生活を営まなかった若妻を残して
不条理ですね。不条理すぎます。
何度もいいますが徳川慶喜を演じているのが小泉ジュニア、の小泉孝太郎
まあこの男の父親もこういう感じで日本国民をだましていますから、この役、あまりにはまりすぎているな、という感じですね。
今回の戊申戦争で、とうとう弟の三郎も戦死
山本家の不幸が始まってしまいます。
そしてとうとう会津戦争へ
6月の第二週くらいに八重さんの「日本のジャンヌダルク」ぶりを見ることができるだろうと推察しますが..
でも何度も書いていますように私の母方の祖先が元会津藩士
そのせいか会津藩士の人たち みんな他人に見えません。
この人たちがまだどんどん死んでいきます。
しばらく見るのが辛いですが、
しかし歴史は歴史としてかみしめる必要があります。
そうです。歴史は「見るのが辛い」歴史もあるのです。
でもそれから目をそむけてはいけません
某大阪府知事の数々の暴言、を始め保守系の人たちの先の戦争に対する心無い発言はみな「見るのが辛い」歴史を見ようとしないからこそ、ああいう発言が出るのだろうと思います。いろいろといっていますが、被害に遭った人たちに対してどこか他人事、−自分には関係ない、という態度を強く感じます。
私は歴史は「見るのが辛い」歴史を正視しようと思います。