個人的な話ー身内の不幸と介護とそれに関する諸々のこと
ここは政治や社会について(たまに歴史について)の記事が多いんですが今日は極めて個人的な事情の話です。興味ない方はスルーしてください
私事ですが、10日の月曜日に母が永眠し昨日葬儀を済ませました。
私は兄弟もいない、一人っ子なので何から何までやらなければなりませんでした。
ここ4-5年、認知症の症状も酷く昨年までそれでも伝い歩きで自宅でトイレに行く等の最低限のことはできていましたが、デーサービスや訪問看護も利用しつつ、在宅介護を私はやってきました。
実は介護関係は今から19年前に父親が脳梗塞で倒れて以来、20年近く関わってきました。最初は父親、その次に伯母の成年後見人、そして母親です。
1. 父親
最初は父親、本人の強い希望もあり在宅介護をしておりましたが、これは想像以上に負担でした。介護の辛さというのは実際にやった人間でしかわかりません。在宅介護は家族に重い負担を課し、一つ間違えれば家族崩壊にすら繋がるものです。
入退院を繰り返し、結局最後は介護治療院に父親を託しそこで永眠しました。その時は普通に泣きましたが、その後の処理でやらなければならないことが山積していることにすぐ気づきました。
(1) 葬儀関係の手配、それに付随する諸業務
(2) 厚生年金の停止と母親への遺族年金への切り替え
(3) 恩給(父親は戦争の兵役もしていた)の停止と母親への遺族恩給への切り替え
(4) 相続手続き{銀行口座、相続税{幸いにして相続税が発生するレベルではありませんでした)そのたそれに付随する手続き
(5) 土地、家の名義変更
一人の人間がなくなるだけでこれだけの作業をしなければなりません。特に年金関係は一時わざと死亡の報告もしないで年金をもらい続けた、といった事件がいつだったかありましたが、これらの手続きは結構煩雑なので面倒くさくてやらない人もいるかもしれません。もう少し簡単に手続きが可能な方策を考えてもらいたいものです。
2.伯母の成年後見人
父親が亡くなって5-6年後くらいに母親も認知症の症状が出始めデーサービスに通い始めたんですが、その頃伯母は新潟市在住ですが、認知症状も酷くなってきたようでした。実は伯母には身寄りがなく、一番近い親族は私、ということで私が身元保証人になっていたんですが、認知症状が酷くなり有料老人ホームに移動する必要性が生じたため、地元の介護関係者に進められ成年後見人を新潟家裁に申し立て、認定に数か月を要しましたが無事認められ伯母の成年後見人になりました。
日常の生活は有料老人ホーム(非常に良心的な施設でした)に任せて問題ありませんでしたが、定期的に老人ホーム側と打ち合わせしなくてはならず、1-2か月に一度は新潟に出張することを余儀なくされました。
都合4年、成年後見人をやりました。勿論東京から新潟まで行くだけで一日つぶれますし交通費もバカにならないので(経費として認められますが..) 新潟家裁に成年後見人の報酬申し立ては行いました。でないとやっていられませんから..
そして4年目、よりによって私が一番手が離せない時に伯母が倒れたことが老人ホーム側から連絡が来ました。そして逝去
しかし伯母の死を悲しんでいるヒマは全くありませんでした。伯母(つまり被後見人)の死亡によってやらなければならないことが山積していました。
1.葬儀の手配及び執行
(葬儀屋の手配から葬儀の内容、親戚への連絡、費用の管理まで)
2.年金、健康保険等の役所関係への連絡
(年金事務所、市役所の区民課まで)※
※ただし「死亡届」等は殆どの場合葬儀屋が代行してくれます(葬儀屋の手配から葬儀の内容、親戚への連絡、費用の管理まで)
3.死亡後の遺産の確定、計算
これが最も大変な作業です。金融機関の口座凍結作業等がありますが、このタイミングが非常に大事です。年金等の最終入金日がいつか、老人ホーム等の最終引き落とし日がいつか等も確認した上で行わなればなりません。早くやりすぎるとあとで支払等で面倒くさい工程を組まなければなりません。その他土地不動産等があればその鑑定等、その他全ての財産を算定し年後見業務終了時に最終の「財産目録」を家裁に提出し、それに伴う遺産の確定をしなければなりません。(葬儀屋の手配から葬儀の内容、親戚への連絡、費用の管理まで)
4 相続人の認定及び遺産の分配
法定相続人、もしくは遺書による相続人指定(もしあれば)を家裁に報告私の場合は母親のみですので楽ですが.. 人によってはこれがもっとも難しい工程になることがあるようです。親戚同志の対立や訴訟に発展する場合は家裁に仲裁を申請しなければなりません。
(葬儀屋の手配から葬儀の内容、親戚への連絡、費用の管理まで)
5.3−4をベースに成年後見終了報告書を家庭裁判所に提出
この終了報告書が家裁に受理された時点で正式に成年後見業務が終了することになります。 尚、その際成年後見人の報酬申立ても提出できます。最近の流れとして寧ろ成年後見人の報酬を認める傾向になっているようです。
さながら行政書士の業務のようなことをやらなければなりませんでした。そのため葬儀終了後も東京と新潟への往復がありました。
無事終えて安心したのもつかの間..
3母親
伯母の逝去から1-2年後、母親の認知症状も激しくなりました。
父親の時の苦い経験から家族に負担をかけたくなかったので今度は自宅介護も積極的に行いました。デーサービスや訪問看護を利用しても病院の付添その他で結構大変な作業です。(ショートステイも頻繁に利用)
しかし母親の認知症状は年々ひどくなってきました。身体の衰えも目立ってきました。
昨年まではそれでも普通に生活できましたが、今年のお正月「息苦しさ」を訴え地元の病院の救急外来へ、
たまたま当直の医師が心臓の専門家だったこともあり、心臓の機能がかなり衰えていることがわかり、入院。
その後リハビリも可能な高齢者用の病院に転院。症状が落ち着いたのでリハビリ用の老人介護施設(通称老建)に転院。
しかし歩行訓練は医師からOKが出ないほど衰えており、全身が衰え、先週の月曜日に老衰にて死亡。96歳
症状に関する情報は逐一来ていたのである程度の覚悟はしておりました。しかし我々にとっても、そして本人にとっても辛かったのは、コロナの影響で直接の面会ができず、オンラインによる「お見舞い(ズーム、スカイプ)」しかできなかったこと。
高齢者にとってはテレビを見ている感覚でしかないので、「お見舞い」された実感などなかったでしょう。
昨今の状況でやむを得ないとはいえ、とても残念でした。
コロナは本当に人間として当たり前のことができなくしてしまう、異常な状況を作るものです。
さて葬儀は終わりましたがまだこの記事の初めにある(2) - (5) の作業をやらなければなりません。
介護は家族を行政書士にしてしまう
正直いってあまりにもやることが多いので肉親を悲しむヒマはありません。今回の葬儀では出棺の時に僅かに目が潤んだ程度。日本は行政への申請ですがやることが多すぎます。
そして父親の介護、伯母の成年後見人、母親の介護で20年近く、人生のかなりの部分をこれに取られました。自分の運命と言われればそれまでですが、かなりきつかったです。正直介護の大変さは実際にやった人間でないとわかりません。
その関係で母親を失った悲しみよりも「ようやくこれで介護から解放される」という安ど感の方が先立ってしまう、というのが正直なところです。
しかしそんな自分に戸惑ってもいます。
人間の感情というのは実に複雑です。
介護というのはある意味残酷なのかもしれません。自分が老人になったら家族には負担をかけないように考えたい。
20年近い介護をやって得た結論はそれですね。