大河「麒麟が来る」終結ー全体の感想
とにかくコロナを含めいろんなことに振り回され、最終回が異例の年越しとなった大河ドラマ「麒麟が来る」が無事最終回を迎えた
歴史ドラマは実在の人物を扱うものの、所詮はフィクションである。それはわかっている、しかも歴史の資料はどれが信頼できるものかという判断は難しい。まして明智光秀は著名な武将でもそれほど多くの資料が残っているわけではない。
歴史小説作家の浅田次郎さんは「歴史小説といっても所詮は嘘を書く」と述べているように歴史小説は実在の人物を扱うとはいえ所詮フィクションなのである。
とはいえ、戦国最大だけでなく日本史上でも最大の謎の1つの「本能寺の変」をこのドラマがどう描くのかについては非常な興味をもってこの大河ドラマを見続けていた。
本能寺の変については以下の謎がある。
1.なぜ信長が最も信頼を置いているという明智光秀が信長に謀反をしたのか?
これらを見て今ネットにあふれている陰謀論の類と変わらないかもしれないが、本能寺の変に関してはさまざまな陰謀論が出ていた。
本能寺の変の原因に関しては
1.明智光秀野望説
2.怨恨説(私憤説)
3.陰謀説 (1)羽柴秀吉実行犯説
(2) 徳川家康主犯
(3) 伊賀忍者実行犯説
(4) 朝廷黒幕説
(5) 足利義昭黒幕説
さて「麒麟が来る」はどう描いたというと結局上記のいずれでもない、ということなのではないかと思う。確かに正親町天皇や徳川家康とのからみもあったが、それが信長を討つ理由にはならなかっただろうと思われる。
上記の陰謀説の大半は歴史家によって否定的な見解が示されているが、やはり複合的な要素が原因となっている可能がある。どうも結局部下の心が読めなくなった織田信長の様々な行動に対し、「みんながこう思ってるだろうから・・」ということで行動したら誰も味方につかなくなり孤立して破滅した。というのが実態なのかもしれない。
しかしこの「麒麟が来る」では本来なら光秀の晩年の生涯のなかで重要なできごとがスルーか殆どスルーに近く扱われている。
1.信長と友好関係をもった長宗我部元親が一転四国征伐を信長が強行したこと、長宗我部は明智光秀とも深いつながりがあった。
2.光秀の義理の妹(?)といわれる御ツマキとその死
1についてはドラマの中で信長と光秀のやりとりで少し触れられてはいたものの、2の御ツマキの存在は「麒麟が来る」では完全にスルーされている、一時はお駒さんがひょっとして御ツマキになるのでは?と考えがよぎったが、お駒さんはドラマの完全な架空の人物であるとNHKは述べている。
そして1.の四国征伐がきっかけというのはかなり説得力はあるものの、
だとしても一点引っかかることがある、それは本能寺の変で信長を光秀が倒した後も長宗我部が光秀の味方をした形跡が見当たらない点である。
尚、天正7年(1579年)6月、丹波八上城に自身の母親を人質として出したが信長の違約によって母親が磔になり殺された、などという話は今日では完全な作り話として扱われている。麒麟が来るでスルーされたのは当然だが、石川さゆり演じる「お牧の方」が光秀の京都以降に全く登場しなくなったのは少し不満が残る
結局、「麒麟が来る」は本能寺の変の原因にどの説を取るのか明確にしなかった。まあ判断は視聴者に委ねるということなんだろうが、もう少し深く掘り下げて欲しかったと思ったのは私だけだろうか?
ただ最後、オッと思ったシーンがあった。光秀が本能寺では死ななかったという説を取ったと思われる点
確かに
1.秀吉の首実検時、光秀の首は既に激しく腐敗して顔面の皮がすべて剥がされ誰だが判別できない状況で、秀吉も特にそれ以上深くは追求しなかったこと。
2.光秀の死後、なぜか光秀の痕跡らしきものが見つかっていること
さて、この2点で首実検された首は実は光秀の首ではなく、実際には光秀は生き延びたという説が飛び出ているわけで、番組ではさすがに「天海説」までは持ち出してはいないものの、本能寺後10日で死ぬと思われていた明智光秀の馬に乗る雄姿でドラマは終わる。
明智光秀=天海 説。歴史家では信憑性が薄いという意見の方が多数派のようだが、どんなものが知らない方のために
とはいえ、一年間(実際にはそれ以上)楽しむことはできた。
でも日本史最大の謎の部分、もう少し切り込んでほしかったというのが本音だけど