KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

鎌倉殿の十三人最終回ー粛清の義時から日本史上三大宰相の泰時の時代に

鎌倉殿の13人ー今回で最終回でした。クライマックスは衝撃的とか意外なもの、とかいう情報が飛び交ってましたし、脚本の三谷幸喜氏は「ハッピーエンドにはできない」という風にいってましたが、なるほどこういうクライマックスだったとは。基本的には歴史家からは否定されていますが、のえさん(伊賀の方)の毒殺説を取っていますが、そこからさらに一ひねりした最後でした。史実と違う点とかは一年通していろいろありましたが、何度もいいますが歴史ドラマは「歴史のシミュレーション」ではありませんので重箱の隅をつつくのは野暮なことだと思います。

鎌倉時代の初期は頼朝の時代も北条義時の時代も粛清に次ぐ粛清で「死ぬどんどん」wwなどと揶揄されましたが、最後は息子の太郎こと北条泰時の時代に移ります。

       北条泰時 1183-1242

ここからは私の独断と偏見による歴史観なので、興味ない方はスルーしていただいて結構ですが、私は日本史上で最も偉大な宰相ー政治家を3人揚げています。それは政治家としての実績がずば抜けている3人で、異論がある方もいるでしょうが次の3人です

1.聖徳太子

ご存知通称厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)と呼称し、用明天皇の第二皇子で叔母の推古天皇の下で摂政となり、日本初の憲法である十七条の憲法 や身分出身でなく能力に応じた、冠位十二階  といった当時の日本としては画期的な制度を制定しさらに仏教を始め遣隋使の派遣を始めとする大陸文化の積極的導入等、その後の日本にも大きな影響を与える政策を行いました。勿論飛鳥時代の人物なので記録もあまりなく人物像の記録もどの程度できるか、という問題はありますが、それ以降の律令制度も含め古代にこれだけの政治実績を揚げた人物は他に見当たりません。

三大宰相の一人として挙げるべき人物と考えます。

2.北条泰時

鎌倉殿でも描かれていましたが、やはり太郎泰時に戦も内乱もなく安定した政治を行いました。義時も泰時と頻繁に対立を起こしながらも泰時の素質を誰よりも理解しており、泰時の執権就任を願いました。

そしてその最大の実績がドラマでも描かれていました御成敗式目を制定したことでしょう。身分の高下にかかわらず、えこひいき無く公正な裁判をする基準として作ったのがこの式目で日本における最初の武家法典です。日本社会の慣習や倫理観に則って独自に創設された固有法という点で日本法制史上特殊な地位を占め後世からも高く評価されたものでした。

人格的にも優れ、武家や公家の双方からの人望が厚く中国古代の聖人君子(堯、舜)にたとえられるほど評価されています。但し承久の乱後の朝廷に対する厳正な措置を恨み悪評を下すものもいましたがいましたが(立ち位置が違うと批判される、これは致し方のないことです)しかし全般的に泰時は徳政を讃えられる傾向にあります。やはり日本史上屈指の名宰相といっていいでしょう。

3.徳川家康

さて来年の大河が「どうする家康」ということもありますが、一方で聖徳太子北条泰時と比べますと近世の人物だけに前者2名と比べても情報が桁違いに多いため、逆に家康に関しては賛否両論といいますか、信長や秀吉の方を評価する人も少なくありません。しかし江戸に幕府を作り文字通り「坂東武者」の政権ーそれも鎌倉時代室町時代と比べくもないほどの安定政権を作ったこと。そしてそのことが250年間ー一部の小乱を除き一度も戦争のない世の中を作ったこと、それだけでも評価に値するのではないかと思います。そのために禁中並公家諸法度17条、武家諸法度一国一城令が制定されましたが、諸法度=べからず集、のようなものを決めたのが家康の評価を下げている要因になっていたのかもしれません。

 「どうする家康」ではどのように描かれるのかわかりませんが、山岡壮一版の徳川家康では家康の家臣は家康に対してずけずけといいたい放題いったり、諫言や反対意見も結構面と向かって言ってましたが、今回の家康ではどうでしょうか?

よく「経営の虎の巻」といわれるほど部下の扱い方がうまかった家康。果たしてどういう描かれ方がされますか、今から楽しみではあります。

www.nhk.or.jp

とにかく一年間「鎌倉殿の13人」楽しませてもらいました。キャスト、スタッフクルーの皆さん お疲れ様でした。

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