KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

実朝暗殺と公暁撲殺ーそして誰もいなくなった源氏嫡流

鎌倉殿の13人

史実だから仕方ないですが今回で三代将軍実朝が甥の公暁に暗殺されてしまい、これで河内源氏嫡流は滅んでしまいました。実朝暗殺から公暁の撲殺まで伝わっている史実と描かれ方は違いますが、ドラマなので細かいところの重箱の隅をつつくのはあまり意味がありません。そもそも鎌倉時代の「吾妻鏡」も「愚管抄」も政治的立場の違う人間が書いたものであり100%信用できるものともいえないからです。

いずれにせよ、三代将軍の源実朝が甥の公暁に殺されたこと。そして暗殺した公暁も三浦氏(実際には三浦義村ではなく家臣の長尾定景(子孫は上杉謙信になります)が討ち取ります)に撲殺されたことは史実として間違いありません。

これで源義家から「武家の棟梁」と仰がれた河内源氏嫡流が「誰もいなくなった」ことになります。いや、実際には頼朝の三男である貞暁という高野山の僧になった人が存在しますが、これが頼朝は別として源為義以降実朝に至るまで天寿(といっても40代)を全うした殆ど唯一の例かもしれません。

詳しくは

kyojiohno.hatenadiary.com

尚、上記の系譜図には「貞暁」さんが書いてありません。

それにしてもよくもまあ一族同士でこれだけ殺し合いをしたものです。血筋が途絶えるのも当然のことでしょう。頼朝の祖父の源の為義の子も頼朝の父義朝を始め、全員、斬首、討ち死に、自害のいずれかという非業の最後を遂げており 頼朝の兄弟も頼朝以外天寿を全うしていません。(頼朝すら暗殺説があります)そして頼朝の子の頼家、実朝、そしてその子供たちもいずれも謀殺。以前の書きましたがやはり源氏嫡流=呪われた家系 といっていいかもしれません

そして征夷大将軍は源氏から出す、という通例(一体どこからそんなものが出たのか不明ですが) はこれ以降は摂家将軍という「形ばかり」のものになり、室町幕府の足利氏まで源氏将軍は待たないといけなくなりました。

ご存知だと思いますが実朝以降の将軍は以下のようになります。

・4代将軍 藤原(九条)頼経(1226~1244)

・5代将軍 藤原(九条)頼嗣(1244~1252) 

・6代将軍 宗尊親王(1252~1266)

・7代将軍 惟康親王(1266~1289) 

・8代将軍 久明親王(1289~1308)

ちなみに鎌倉幕府滅亡は1333年ですから8代目の将軍辞職のあと25年間将軍不在の時代が続いていたことになります。まあ将軍自体が完全な形骸化ですし、北条の「得宗」が絶対的権力を持っていましたから最後の方は京都から将軍を迎えても意味がない、ということなんでしょうね。

最も河内源氏全員が滅亡したわけではありません。また頼朝の兄弟も僅かながら血脈を保っている家系もあります。

そしていずれ滅亡する北条氏を始め、平家、源氏、さらには鎌倉御家人で滅亡した和田、ーいずれも滅亡していますが実は全く生き残りがいないわけではありません。一度「滅亡したはずの氏族」で生き残り後世に子孫を残した例をリストアップしても面白いかもしれません。なかには現代まで続いている家系も少なくありません。

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