緊急事態宣言下でのオリンピック開催、
これだけでも正気の沙汰ではないが、昨日は3日連続で感染者が過去最多
それでも菅首相はオリンピックの途中中止は選択肢にないと明言、どんなに感染爆発が起きようと強行するらしい
まさにオリンピックと心中するつもりらしいが、歴史は繰り返す。実は過去日本国内でオリンピックが開催されるとあるジンクスがあることをご存じだろうか?
それは
オリンピック開催した内閣はことごとく倒れている
という事実
それでは過去の例を見てみよう
1.東京オリンピック(前回)1964年 池田内閣
所得倍増計画で大きな成果を上げた池田勇人首相だが1964年9月9日、国立がんセンターへ喉頭癌の治療のため入院。すでに末期がんだったようで東京オリンピック閉会式翌日の10月25日に退陣を表明、自民党内での後継総裁選びの調整を見守った上で11月9日の議員総会にて佐藤栄作を後継総裁として指名
2. 札幌オリンピック 1972年 佐藤内閣
1972年(昭和47年)6月15日に内閣不信任決議が否決されたが、国会が終了した6月16日の翌日自民党両院議員総会で内閣総理大臣及び総裁を辞することを明らかにした。そして後任が田中角栄に決まった後の7月7日に内閣総辞職
3. 長野オリンピック 1998年 橋本内閣
1997(平成9)年4月1日に村山内閣で内定していた消費税等の税率引き上げと地方消費税の導入(4パーセント→地方消費税1パーセントを合わせて5パーセント)を橋本内閣が実施。1998年の参院選では、景気低迷や失業率の悪化、橋本や閣僚の恒久減税に関する発言の迷走などで、当初は70議席を獲得すると予想されていた自民党は44議席と惨敗。「すべてひっくるめて私の責任だ。力不足。それ以上いうことはない[3]」と橋本は述べた後、橋本内閣は総辞職
いずれもオリンピックが直接原因で退陣したとはいえないかもしれないが、偶然ではないのかもしれない。
今回の菅政権、コロナパンデミックの中でのオリンピック強行
オリンピックが原因で退陣ということにこのままいくとなる可能性大
ジンクスはまだ続いている可能性が高い