KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

いい加減に騙されるのやめよう! 小泉進次郎は口先だけのええかっこC政治屋、父親と比べても器が大きく劣る

小泉進次郎というと「政界のプリンス」とか将来の自民党や日本を背負うといったたいそうなふれこみが強い。小泉純一郎元首相の次男という毛並の良さもあるし、イケメン的なマスクで特にオバサン連中に人気があるようだが、この男を「政界のプリンス」などというのはいいかげん辞めた方がいい

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沖縄知事選を終えたばかり、自民党が「無党派層」の獲得のために3回も小泉進次郎を送ったが、それが厳しい姿勢を沖縄にとり続けていた菅官房長官が進次郎氏と一緒に入って演説したり、例の安室奈美恵の引退にからみあたかも自分が安室奈美恵と親しいかのような嘘っぽい演説をする等、かえって失敗に終わった。辺野古のへの字も言わず、本来は権限のない携帯電話の値下げの話などを延々と喋り、『帰れ』と怒号まで飛び交う始末だったという

コロンビア大学留学などといっているが、この男、本当に将来の日本を背負うほどの器なのか。みんな外見に騙されていないか?

それは自民党の総裁選でどちらを支持するのかということで注目されながら「煮え切らない態度」を示した点もある。

youtu.be

小泉進次郎はことあるごとに時には安倍政権を批判するようなコメントを残しているようにみえるが、それにもかかわらず意味不明なことをやってきた

実は国会での参議院の6増法案でも全く意味不明のことをしている

www.asahi.com国会改革を訴える小泉氏は当初、法案に慎重な考えを示していながら「(定数増を)容認することはできないが、しぶしぶ賛成する」などという訳のわからないことをいっていた。

普通反対なら反対票を投じるだろう 全く意味不明、理解不能

誰かこれを解説して欲しい

これだけでも「口先だけの政治家」と思われても仕方がない

実際鳩山由紀夫元首相から強烈な皮肉のツイートが出ている

 父親の小泉純一郎は「自民党をぶっこわす!」といって今でも賛否両論はあるものの改革は断行した。良くも悪くも行動の人だった。

だが小泉進次郎は全て口先だけだ、口先だけのええかっこCしかしない薄っぺらな政治家だ。そして何もしない、できない、ことを見ても父親と比べても一枚も二枚も器が小さい

外見に騙されるな。こいつはかっこいいことだけいっても他の自民党議員となんら変わらない。

マスコミもそして一般市民もいい加減気づいたらどうなのか。

小泉進次郎「政界のプリンス」とかいって持てはやしているのは頭が悪い証拠だ

沖縄知事選玉城デニー氏が当選!!  安倍政権に打撃

まあとにかく今回の翁長雄志前知事の死去に伴った沖縄知事選 

安倍政権が応援する前宜野湾市長の佐喜真淳の選挙キャンペーンは実にえげつないものと言わざるを得なかった。

沖縄県民に恫喝、脅迫じみた締め付けでマイクロバスで会社ごと投票に連れていったり、投票を強制して報告させたりといった選挙戦を行い、 小泉進次郎があたかも安室奈美江と友達であるかのような応援演説

さらに菅官房長官の携帯電話料金を4割値下げ」など、知事の職権では実現不可能とされる公約を発表したり(後で修正)沖縄県民を愚弄しているとしか考えられない発言まで行った。

さらにデニー玉城知事に対するフェイクニュース、デマも目に余るものがあった。デニー氏に対し徹底的な誹謗中傷やデマの流布を行ったネトウヨ連中との闘いを余儀なくされた。

だがトンデモ陰謀論とも思える連呼とセットに佐喜眞氏を応援することで、常識的な感覚を持った有権者の多くは、むしろ佐喜眞氏へのネガティブイメージを持つに至った可能性があると古谷経衡は述べている。

news.yahoo.co.jpしかしそれらのえげつない安倍政権の選挙キャンペーンにも関わらず、故翁長雄志前知事の指名によるデニー玉城氏が見事当選することができた。これは民主主義の勝利といっていい

6月の新潟知事選挙の雪辱を果たしたといっていいだろう

news.line.me

名護市長選挙に於ける渡具知武豊氏の勝利の方程式を踏襲したといいながら6月の新潟知事選挙以上にえげつない選挙戦を繰り広げた自民党公明党。そういった県民に対する安倍政権特有の強権的な進め方がかえって反発を呼んだといっていいだろう。これらのやりかたをみるとまさに人を人とも思わぬやりかただ。

笑ったのは佐喜真氏の敗北が伝えられた直後の佐喜真候補陣営の事務所の写真だ

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 ガラガラ!!
まさしく「金の切れ目は縁の切れ目」

所詮 金による選挙の本質はこういうものだろう。もらえるものがないとわかるとさっさとその場を離れてしまう。

今回安倍政権は沖縄知事選に総力戦で闘いながらの敗北、上記写真に「接戦」などと書いてあるが8万票も差が付いた選挙を「接戦」と伝えるマスコミはなんだかなあ、と言わざるを得ない。そこまでして安倍政権の顔を伺いたいのかとマスメデイアの安倍政権べったりの姿勢に呆れるばかりだ。いずれにせよ安倍政権には総力戦の結果の敗北だけにかなりのダメージを与えることになろう。明日の内閣改造での石破派の扱い方によっては政局も流動的になる可能性がある

さて、玉城候補の当選は喜ばしいことだが、これから安倍政権の圧力が相当加わってくることは間違いない。

本当に大変なのはこれからだろう。

頑張ってほしい

大谷投手が肘の靭帯手術(トミージョン手術)-そもそもトミージョン手術とは

今年からロサンジェレス エンジェルスに所属した大谷翔平選手はかねてから肘の靱帯損傷が判明していたが、本日シーズン終了後に右肘内側側副靱帯(じんたい)の再建術(トミー・ジョン手術)を行うことが決まった

■トミー・ジョン手術へ…大谷4番で適時打/詳細

www.nikkansports.com

二刀流にこだわる大谷選手としても現行では殆どピッチングができない状況のため非情に残念ではあるがやむを得ないと考える。

メジャーリーグをある程度見ている人は「トミージョン手術」というとある程度わかるが日本ではあまり聞かない人が多いと思うので解説する、そもそもこの「トミージョン」とは、よく勘違いする人がいるが手術した執刀医の名前ではなく、最初にこの靭帯再建手術を受けた投手の名前である。

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トミージョン投手(ドジャース時代)

メジャーリーグで通算288勝した大投手といっていいトマス・エドワード・ジョン・ジュニア投手で主にホワイトソックスドジャース、エンジェルス、ヤンキースでプレーした選手で

MLBオールスターゲーム選出 4回:1968年, 1977年, 1978年, 1979年
最高勝率2回:1973年, 1974年
実働年数:26年(歴代3位タイ)
通算勝利数:288勝(歴代26位, 左腕投手では歴代7位)

といった堂々たる成績を残した大投手といっていい。

大投手なのに自分が最初に受けた手術の方で名前が残ってしまうという何とも皮肉な話である。

このトミージョン投手が1974年7月17日のモントリオール・エクスポズ戦で、左肘の腱を断裂する大怪我を負う。マウンドから一目散にベンチに駆け戻り、当初選手生命はおろか、日常生活にも支障を来しかねないほどの大怪我と診断され、再起は絶望視されたが、当時ドジャースのチームドクターだったフランク・ジョーブ博士が考案した、損傷した靱帯を切除し他の正常な腱の一部を移植するという手術を受ける。

 

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損傷した靱帯を切除したうえで、患者の反対側の前腕下腿、臀部、膝蓋腱などから正常な腱の一部を摘出し移植することで患部の修復を図る。移植した腱が靱帯として患部に定着するまでには時間がかかるため、術後には長期に渡るリハビリを行う必要がある。まず、おおよそ2か月をかけてひじの可動域を元に戻していくトレーニングを行い、日常生活において支障なく腕を動かせるようにした後、軽めのウェイト・トレーニングを開始する。徐々にウェイトの量を増やしていくのと並行し、腕全体を強化するための様々なトレーニングを始め、日常生活や通常の運動ができるまでに回復したと判断された時点で投球を再開することになる。通常、ここまでの回復に約7か月を要するため、実戦復帰には12か月から15か月が必要とされている。個人差はあるが一般的には術後18か月で故障前と同レベルの投球ができるようになると考えられている。

しかも実戦復帰後も球団によって厳しく球数を制限されるため、完全復帰は翌シーズン以降になる。3シーズン目にようやく完全復帰、復調する投手も少なくない

ちなみに日本人で初めてこの手術を受けたのがロッテの村田兆治投手だ。その成功をみて荒木大輔投手を始め多くの日本人ピッチャーがトミージョン手術を受けるようになった。

大谷投手のピッチングが見られるのは早くて再来年のシーズンの後半、場合によってはさらに一年後でないとみられなくなる可能性がある。

このトミージョン手術を受ける投手は1980年ー2000年代前半から急増し、1996年と2012年を比較するとちょうど8倍に増えているという。この原因についてMLBメジャーリーグ機構)は調査中だが、私見では球速が増加傾向にあり、中でも平均球速と最高球速の差が小さい若手投手がトミージョン手術を受けるケースが多いと思う。

トミージョン手術を受ける投手は一般に速球派投手が多いといわれる。確かに私は昔のメジャーリーグの投手の急速を見ても現在のメジャーの投手の球速は早いと感じている。昔は150キロ投げればかなりスピードボールのピッチャーと思われたが、今メジャーでは150キロ投げる投手などザラである。140キロ後半までだと「遅い」といわれるくらいだ。現在メジャーリーグでいわれる"Hard thrower"(球速が早いピッチャー)というと160キロ周辺を投げるピッチャーのことをいう。大谷投手も160キロなげるが、現在160キロかそれに近い速度を投げるピッチャーでないと"Hard thrower"といわれない傾向がある。そうした背景もトミージョン手術が増えている原因になっているのではないか、といわれる。

ただ1960-80年代初頭には当時"Hard thrower"といわれたステイーブカールトン(主にフィリーズ)そして”火の玉ーRyan Express"といわれたノーラン ライアン(エンジェルス、アストロス、レンジャース)そしてミラクルメッツの立役者のトム シーバー〈メッツ、レッズ) いずれもその時代を代表する速球派投手だが、トミージョン手術をしていない。彼らの調整法に何か学ぶものがあるのではないかとも思う。

トミージョンの成功率は技術の進歩もあって上がってはいるものの、最低でも2シーズンは棒に振るほどの負担の大きい手術でもある。メジャーリーグ機構として、日本のプロ野球としてもトミージョン手術を防ぐ、トレーニング方法や投球フォームのチェック等の研究をするように望むものである

西郷どんー「幕末の三舟」の山岡鉄舟登場!! 人格者で江戸無血開城の立役者

西郷どんーついに鳥羽伏見の戦いが始まり新政府軍と幕府軍の戦いが始まりました。押され気味の新政府軍に岩倉具視が考案した「錦の御旗」をかかげることで、幕府軍の多くが戦意を失い、賊軍となることを恐れた徳川慶喜江戸城に逃げます。ここで恭順の意を示すために上野の寛永寺に謹慎します。江戸城逃亡の際に慶喜に諫言した勝海舟寛永寺にて慶喜と面談、新政府軍との話し合いの場をセットアップする重要な使者に山岡鉄舟(当時は鉄太郎)が選ばれます。

山岡鉄太郎は「幕末の三舟」の一人といわれますが、当時は寧ろ剣術家というイメージをもたれていたようです。

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もともと「幕末の三舟」のもう一人の高橋精三(泥舟)を勝海舟は使者にしようとしたのですが、泥舟は慶喜警護から離れることができないため泥舟の推薦でこの山岡鉄舟が選ばれました。そしてドラマにも描かれていましたが官軍が警備する中を「朝敵徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る」と大音声で堂々と歩行していったそうです。駿府で西郷に会った鉄舟は、海舟の手紙を渡し、徳川慶喜の意向を述べ、朝廷に取り計らうよう頼みました。最初は難色を示した西郷でしたが、結局

  • 一、江戸城を明け渡す。
  • 一、城中の兵を向島に移す。
  • 一、兵器をすべて差し出す。
  • 一、軍艦をすべて引き渡す。
  • 一、将軍慶喜備前藩にあずける。 という条件を提示。          

山岡は上4つの条件は飲みましたが最後の1つは拒みました。西郷はこれは朝命であると凄みました。これに対し、鉄舟は、もし島津侯が(将軍慶喜と)同じ立場であったなら、あなたはこの条件を受け入れないはずであると反論。西郷は、江戸百万の民と主君の命を守るため、死を覚悟して単身敵陣に乗り込み、最後まで主君への忠義を貫かんとする鉄舟の赤誠に触れて心を動かされ、その主張をもっともだとして認め将軍慶喜の身の安全を保証しました。これによって奇跡的な江戸無血開城への道が開かれることとなりました。

つまり山岡鉄舟江戸無血開城が実現できた立役者といってもいいと思います。

明治維新後は駿府に下り、幕臣の救済事業である牧之原台地開墾の責任者である中條金之助に茶の生産を助言したりします。静岡がお茶の名産地になったことに一役買いました。

あと山岡鉄舟は2つの食品が全国に広まることに大きな役割を果たしました。

明治時代に西郷の推薦で山岡は明治天皇の侍従になります。明治天皇の京都行幸の際、明治天皇から手土産の相談を受けました。そして山本海苔店二代目山本德治郎に相談したことで、味付け海苔が創案されました。結果京都の人間にも好評で「味付け海苔」が全国に普及するきっかけになりました。

またアンパンの普及にも大きな役割を果たしました。西洋の食品であるパンに餡子を入れるという和洋折衷の食品に鉄舟は日本のこれから進むべき道を感じたのです。そこで天皇の花見の席に鉄舟は天皇、皇族、さらに取り巻きにこのアンパンを入れたのです。結果は大好評で明治天皇から「引き続き納めるように」といれわるようになります。

これが結果的にアンパンの爆発的な売れ行きにつながりました。銀座の木村屋総本店の看板の文字は山岡鉄舟の手によるものです

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木村屋総本店にある鉄舟の文字

 こう書きますと山岡鉄舟は商売上手な人のように思われがちですが、鉄舟は貧乏な家に生まれ自分の刀も持てないほどでした。駿府への西郷の使者の時には刀も脇差も友人に借りたものでした。侍従時代、鉄舟の剛毅で高潔な人柄は、明治天皇からも信頼されました、

10年間侍従を務めたあと功績により子爵に叙されますが、鉄舟は華族とは名ばかりで清貧を押し通した人でした。侍従として給料をもらった身でも困った人を見ると助けないわけにはいかない、そんな人でした。無欲で高潔、まさに人格者として広く尊敬を集めた人です

西郷は鉄舟について

「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と賞賛しました。

 明治21年1888年)7月19日9時15分、皇居に向かって結跏趺坐のまま絶命。死因は胃癌だったそうです。会葬者は5千人にも上りました。人柄をいかに慕われていたかがわかります。

こんな人が今の時代いたら、と思いたくなる人です。幕末の人間で私が最も尊敬する人物です

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晩年の鉄舟

自民党総裁選後ー安倍三選と石破支持者の今後ーの影響を考える

既にご存じの通り自民党の総裁選で安部首相が3選を決めた。

そのこと自体は予想通りだが、その内容について様々な見方が出ている

 

国会議員票    安倍   329票   石破 73   無効3票

党員・党友票※  安倍   224票、  石破 181票

※党員・党友票の得票数に応じてドント方式で比例配分される地方票

合計       安倍   553票    石破 254票

数字だけみると安倍首相のダブルスコア超える圧勝にみえるが、7割以上の得票で圧勝を目論んでいた安倍陣営は地方票が予想以上に石破氏に流れたことにショックを隠せないようだ。

実は私は今回の自民党総裁選である不埒なこと、というか期待をしていた。

総裁選の前に石破支持に対して行われた数々の「圧力」

www3.nhk.or.jp

news.livedoor.com

特に曲がりなりにも齋藤大臣に「辞表を書け」と圧力をかけたのは誰か? 安倍自身は「誰がいったかいえ!」などと高圧的な態度を示したが、節度ある人間なら公の場所でいえるわけがない。しかし大臣に対してそのような口を聞ける人間は非常に限られる。総理大臣である安倍晋三、菅官房長官、あとはせいぜい副総理の麻生財務相くらいだ。圧力をかけたのは勿論だれだかわからないが、この3人のうちの誰かであることは間違いないだろう

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万事こんな感じだったので、もし投票結果が当初の予想通り、安倍晋三の7割以上の得票を得ての圧勝だったのであれば、石破も齋藤農相も政治家として生き延びるには自民党離党→石破新党結成、という方法しかなくなる。

そして仮に石破とその推薦人や支持者が離党する、などという事態になれば少なくとも15-20人規模になるだろうと思われる。しかも大多数が衆議院議員だ。

実はこれは大きな意味を持っている

仮に15人の衆議院議員が石破とともに離党するとこうなる

日本維新の会改憲に積極的なので維新を改憲勢力の中にいれるとする。

石破茂は元々改憲論者ではあるものの、安倍首相のような拙速な改憲には明確に反対を表明していた。また安倍首相が行おうとしている改憲の内容にも反対を明確に示していた。

   現在         石破と支持勢力がもし15人離党すると

自民  283          自民   268

公明   29   ➡      公明   29

維新   11          維新   11

計   323               308

 

衆議院の総数 465名  改憲決議の最低数 3分の2は 310

改憲決議できる最低数には及ばなくなる。

つまり安倍首相がこだわる憲法改正の発議すらできなくなる。

そういう事態を期待していた。

だが「予想外の善戦」(地方議員の半数弱だが)が明確になることで状況は微妙にはなってきた。少なくとも当面は総裁選の前のようなロコツな石破派への迫害はできなくなったためである。安倍政権のファシズム的な牙は少なくともしばらくはなりをひそめるだろう。

ということであらかじめ期待したような事態にすぐになりそうにはない。

だが安倍首相は3選のあと憲法改正を進める意欲を示したが、この状況でそううまくいくとは思えない。

と同時に安部晋三という男は実に根に持つ陰湿なところがある。今回の結果で勝つには勝ったものの、内心石破茂に対してははらわたが煮えくり返っているはずだ。そして石破茂は総裁選後も改憲を進めようという安倍首相に明確に釘を刺している。

自民党内のファシストの顔はしばらくは隠れるかもしれないが、隠れているだけでいずれ牙をむけてくるのは明らかだと考える。

その時に自民党全員が安部晋三にあたかもカルト宗教の信者のように盲従するとは限らない、それを今回の総裁選挙は見せたのではあるまいか。安倍三選で地盤が固まったのではない。寧ろ安倍一強の脆さを露呈し、そのため今後の波乱の可能性を期待させるものだ。そして期待しようと思う。ファシストを権力から追放するためにはあらゆる手段が必要だ。

まず 半年後に統一地方選挙、そして来年の7月に参議院選

どう展開するか注視はしていこうと思う

 

西郷どんー弱者への配慮を忘れなかった反面、敵には容赦しなかった西郷隆盛 リーダーには両面性がある

久々西郷どんの話です

今回は徳川慶喜の「大政奉還」に始まり、それに対抗すべく薩摩が岩倉具視と結託して「王政復古の大号令」を発します。よく勘違いする人がいますが江戸幕府は「大政奉還」でおわったのではなく、この「王政復古の大号令」で260年の江戸幕府が終了します。

また坂本龍馬の暗殺シーンもありました。坂本龍馬の暗殺の実行犯は現在では京都見回り組というのが定説になっていますが、黒幕として紀州藩説、薩摩藩説、土佐藩説、ややトンデモ系に近いのはイギリスのフリーメイソン説等までありますが、私はどれも否定的です。いずれにせよネットによくある陰謀論に安易に組するのは逆に危険だと思いますので、それについては述べません

今回は弟の信吾(後の西郷従道)は兄の豹変ぶりに戸惑います。戦争があれほど嫌いだった兄吉之助が幕府に対する武力討伐と様々な謀略に積極的に加担する姿を見たためです。実はここから戊辰戦争までの西郷の行動が一部の歴史家から手厳しい評価を受ける原因にもなっているのですが、西郷は味方や薩摩の領民に対しては情に厚い面を見せていますが、反面敵に対しては容赦のない残虐な面があり、敵を倒すためには手段を選ばない面は確かにありました。

 これが「薩摩御用盗(ごようとう)」といういわばテロ集団であり、結果的に戊辰戦争の戦端を開くことになってしまいました。弟の信吾はそれを行った兄に違和感を感じ反発もしたのでしょう。「兄さんは鬼になった」というのは弟の兄に対する「抵抗」でもありました。

 ですがそれは現代人の我々の感覚であり、例えば戦国時代で大名が敵を倒す時にも同様な謀略が当たり前のように繰り返されてきました。織田信長はいうに及ばず、武田信玄戦国大名では比較的温厚といわれる徳川家康ですらそうです。

 西郷吉之助は武力によって幕府を倒さなければ世の中は変わらないという信念を持っていました。そして徳川慶喜人間性をよく知っていました。大政奉還によって幕府をうつ大義名分がなくなったことで、倒幕の口実を無理やり作るために江戸にテロ行為を行ったわけです。

しかし有名な勝海舟との会談の「江戸無血開城」、そこで、ここまで強硬な態度を撮り続けた西郷は少し軟化します。それは西郷が勝海舟という人物をよく知っていたからです。実際上野での会談が決裂すれば勝海舟と親しい新門辰五郎に江戸に火を放つ準備をさせていました。また勝の配下の徳川幕府陸軍9個連隊(総人数17000人) と韮山農兵隊=御料兵は、この時代、高島秋帆に教授された重砲装備部隊(沿岸砲) -7小銃射撃では、最も長期間訓練されている西洋式軍隊-を江戸総攻撃の際配備させていました。勝海舟がどれだけ西洋の軍の運用について精通していたかを誰よりも知っていたのが西郷でした。ここで江戸総攻撃を強行すれば薩摩、新政府軍も大損害を被ることは避けられない、下手すれば敗退すらしてしまう。そう考えた西郷は勝の「江戸無血開城」とその諸条件を飲んだ、というのが実態でしょう。結果的に慶喜は自ら謹慎して恭順の意を示しましたので、薩摩、長州もそれ以上慶喜を糾弾することはできませんでした。

しかしその結果、会津を始めとする東北や越後の諸藩は結果として見捨てられることにもなりました。北越戦争と呼ばれるこの戦争で官軍は思わぬ苦戦を強いられます。結果的に戊辰戦争は1年以上続き、多くの人命が失われました。またもう少し長く戦争が続いていればフランス、やイギリスが介入してきた危険性もありましたので、いずれにせよ倒幕はいろんな意味でリスクがありました。

西郷はその大きなリスクを百も承知の上でこれを強行したわけで、その意味では胆力はかなり座っていた人物であることは間違いありません

 さて、西郷のそういった非情な面について述べましたが、戦乱の時代のリーダー多かれ少なかれそういった非情な面は持ち合わせていましたし、また持ち合わせていなければ大軍を束ねることは難しかったと思います。

しかしそれでも私は西郷は当時の他の武士とは一線を画す面があったのも事実だと思います。それは既に西郷どんでも描かれていましたように、西郷下級武士の貧乏な家で育ったこと、さらに安政の大獄の激しい弾圧から奄美大島に身を隠さざるを得なくなったこと、さらに島津久光の怒りを買い沖永良部島で生死の境をさまよったという、後にリーダーになる人物では考えられないほどのドン底を味わった人物でもあったからです。

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西郷どんでも描かれていたように、奄美に流されていた時に薩摩による圧政ー(砂糖地獄または黒糖地獄)の現実を目の当たりにし、二番目の妻となる愛加那がいみじくも「私等は民のうちに入ってなかった」という台詞があったように薩摩には奄美大島の住民に対して明確な差別意識がありました。そして奄美での非常に過酷な取り立てを目の当たりにしたのです。そして決められた砂糖の生産量に達しなかった者に対しては、「島民カ隠蔽スルモノトナシ甚シキ苛責ヲ加フ」とあり、島民が砂糖を隠し持っているとして、拷問等を加えたとありますが、それを憂いた西郷は、「直ニ旅装ヲ整ヘ行程四里餘ヲ急行」し、当時在番役(代官)を務めていた相楽角兵衛に面会を求め、「具ニ條理ニ訴ヘ島民ノ宥恕ヲ乞フ」たとあります。 結局、相楽は西郷の言を入れて、捕らえていた農民たちを解放し、「島民皆苦責ヲ免レテ各其業ニ就キ居タリト云フ」と東郷中介著『南洲翁謫所逸話』に書いてありますがこのようなことがあったことから、西郷は島民の信頼を得ることになった、という史実があります。

しかし、西郷が砂糖地獄に陥る島民をその苦役から解放しようと考えていたわけではありません。
確かに、西郷は農民たちに対して、愛情をもって接し、彼らのことを労り、そして哀れむ精神を持っており、その溢れんばかりの憐憫の情で常に行動した人物であったと言えます。しかし逆にいいますと少し厳しい表現をするならば、そこまでが彼の限界であったとも言えます。

つまり、西郷にとって「農民とは、農作業や課役に励み、藩ひいては国のために尽くすのが本分であり、役人とは、私利私欲を一切絶ち、そんな農民たちを慈しんで、彼らが働きやすい環境を整えてあげる」ということです。
西郷はそれが「天意に報いる行為である」と規定していますが、この一節にあるとおり、西郷の理想とは、農民たちの解放ではありません。
民は国のために働き、そして役人(つまり武士階級)は民に思いやりをもって配慮してあげる、ということに過ぎません。つまり農民に「働きやすい環境を作る」といってもやはり武士である搾取階級の一員であることに変わりはないからです

しかしそれでも幕末という、いわゆる封建社会の中において、ここまで農民たちを慈しむ心を持っていた人が、消費階級であった武士、つまり為政者側に居たというのは奇跡に近いということができます。つまり支配階級であり、為政者側にいながら農民や社会的弱者に対する配慮は忘れなかった。それが西郷吉之助の評価すべき点だと思います。

勿論戊申戦争のような非情で残虐である面と、農民や弱者に配慮する心、このような真逆な面を両方もっていたことが西郷の評価を分けているということができます。

そして西南戦争で西郷は最期を迎えるわけですが、いろんな説がありますが、結局「明治維新で取り残された人=社会的弱者になった人」のために立ったように思います。どう考えても私は西郷は負けると知ってたった可能性が高いように思います。その証拠に弟の西郷従道や従弟の大山巌に鹿児島で軍に加わることを禁じています。ここのところを西郷どんークライマックスになるわけですがーでどのように描かれるか注目しています。

 

吉澤ひとみのひき逃げ事故の動画を見てー深刻な日本人の「無関心病」ー日本人に染みついた「無関心」のクセは日本を滅ぼす

まず、この動画を見ていただきたい。いまだ芸能関係の記事をにぎわしている吉澤ひとみ容疑者のひき逃げ事故の映像である
ここで吉澤ひとみ云々(うんぬんとよみます、でんでんではありませんww) について述べるつもりはない、吉澤ひとみはひき逃げをした言語道断の犯罪人だ。だが私が問題にしているのは全く別のことである

何が問題かというと事故が起きた直後のことである。よく見て欲しい。

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目の前にひき逃げ事故がおきたにも関わらず、その後周囲の人が何事もなかったように普通に歩くさまを見て私は唖然とした。

轢かれた人が立ち上がったから..   ?

そんなのは理由にならない。普通猛スピードで走ってきて轢かれた人に普通「大丈夫ですか?」と声をかけるか「救急車を呼びましょうか?」ときくといった反応を示す方が普通であろう。この事故現場に居合わせた人で誰一人そんな行動をとる人はいなかった。

本当に何事もなかったように、目の前に起きたことをスルーするように普通に歩いていた人たち。

これを異常とも何とも思わなくなった今日本人の姿をみて愕然としたのだ

つまり目の前に何がおきようが無関心、何事もなかったようにふるまう

これを私は「無関心病」と呼んでいる。今の日本を大きく蝕んでいる病気だ。

無関心が広がると例えば安倍政権が公文書改竄(くどいようだが海外だと終身刑ものの犯罪である)不都合な文書の隠蔽、国会での偽証、嘘、さらには選挙運動で暴力団という反社会集団に選挙妨害を働きかける、

このようなメチャクチャな政権が何をしようと日本人の間にはびこる「無関心病」何をしていようがお構い無しで日常を続けている。寧ろ異を唱える方を非難する。

選挙自体に全く無関心、行政や政治家が不正を働こうが全く無関心

寧ろそれを非難する方を「おかしな人たち」と決めつける。←こう考える方がよっぽど異常だ、ということが全く理解できない

日本人はすっかり「無関心病」にとりつかれていて、それが日本人自身の著しい劣化につながっている。残念ながらこれは否定しようのない事実だ。

困ったことにこの「無関心病」を直すのは本当に難しい。興味のないことに興味を持てといっても基本的には無理だからだ

だがこうして日本国民の大半が「無関心病」に犯されている間に日本は民主主義を経てファシズム(独裁)社会に向かって突っ走っている。このままでは仮にきがついても取り返しのつかない事態になってしまう。「あれ、おかしいな?」と思ってもその時は既に手遅れなのだ。

だからあえていう。日本人の大多数が取りつかれている「無関心病」は日本を滅ぼしてしまう。このままいけば本当にそうなる

それを避ける唯一の方法 それは

日本社会が日本の「無関心病」に気づき、社会全体で「無関心」というものを排除するようにみんなが心掛ける事

おせっかい? そんなものより無関心の方がよっぽど危険だ。だいたい「おせっかい」なんていう奴に限ってやるべきことを殆どやらないだろうが

メデイア関係者、クリエイター、アーチストはもとより社会が「無関心病」に気づき無関心でない社会を作る運動をする

これしかない。

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