バンクーバーオリンピック開会式
生放送をずーっと見ていた。
まず今回のバンクーバーオリンピックは「先住民族との共存」を重要なテーマとしているが、さんざん彼らの住環境を破壊し、多くの部族を「絶滅部族」に追いやったことを思うとやるせない気持ちになる。
信じられないかもしれないが、つい数十年前まで「アメリカの先住民族ー部族によっては自分たちをネイテイブアメリカンでなくあえてインデイアンと呼んでいる人もいるがここではアメリカ先住民という言葉を使わせていただく」を殺しても「殺人」という犯罪にはならなかったのだ。18世紀や19世紀の話ではない、つい二十世紀の中頃まで本当にそうだった。
国全体で先住民族の絶滅政策が取られていた。殆ど人権らしい人権は先住民族に認められていなかったのである。繰り返すがつい数十年前まで本当にそうだった。先住民族はある意味黒人以下だったのである。
風向きが変わったのは意外に思うかもしれないが、アメリカではニクソン大統領になってから従来の先住民族に対する政策の転換が行なわれた。それまではアメリカ先住民への略奪や混血による「純血の絶滅」を寧ろ政府によって奨励されていたのである。タカ派で知られているニクソンがこういうことをやるのは少々意外ではあったが...
だからイギリスなどが「温暖化」や「エコ」といってもしらじらしく感じるのは彼らの先祖、アングロサクソン系が世界中の環境を破壊し、多くの先住民族を「絶滅」に追い込んだという犯罪行為を行なってきたからである。国益のために海賊と手を組んだり、中国にアヘンを買わせるために戦争したり、中東で二枚舌外交を繰り返したり、まあそんな例は枚挙に暇がない。
まあカナダやアメリカは少なくとも表面上はそれを懺悔し、先住民の人権を回復している方向に行っているからまだいいかもしれない。南米のインデイオたちはいまだに人間扱いされていない。
さて、開会式の演出は光と映像の見事なページェント、特に海のシーンは見事だったし木立はまるでシルクデソレイユを見ているようだった。これもどこかの国の某浅利の思わず目をふさぎたくなる演出とは大違いだ。久々にブライアンアダムス(バンクーバー出身だったのか)し、サラマックラカン等カナダを代表するミュージシャンが出演した。開会宣言後の「平和の歌」はK.D.ラング(カントリー系なのでアメリカのアーチストというイメージを持っていたがカナダのエドモントン出身)の「ハレルヤ」だった。 2年前の北京五輪の開会式でさえ感じたが、こういうのを見ると日本は本当に文化的には世界でも最後進国に入るといっても過言ではない。世界に出せるのはマンガやアニメくらいかもしれない。やはり明治で「日本らしさ」を捨て自らのアイデンテイテイすら失った結果であろう。
音楽にしても「音楽は商材でなく文化だ」などと日本の業界内で言おうものなら嘲笑か罵倒が待っている。そんな国がオリンピックを開催し開会式をやっても世界に恥をさらすだけだ。
注目の聖火のリレーで室内会場なので聖火台がどこから出てくるのか注目だったが始めに先住民のモニュメントが出てきたところからオブジェらしいモニュメントが出てきて5人の選手(NBAのS ナッシューNBAのオールスター前だから出てこれたのだろう、そしてNHL市場最高の選手のウエイン・グレツキー等5人)が点火。逆滑り台で火が上るように聖火台まで行く。聖火台の形もオブジェのような面白い形だ。これもなかなか凝った演出である。
さて、17日間の冬季オリンピック、日本選手はどういう競技を見せてくれるか、だが
<追記>