KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

産経と並ぶ人種差別を奨励する報知新聞(読売系)オコエ選手差別記事

産経新聞曽野綾子の「アパルトヘイド」容認発言コラムも記憶に新しいが

この記事も本当に酷い。
■「甲子園がサバンナに」高校野球でスポーツ報知がアフリカ系ハーフのオコエ選手を人種差別! 根底にある偏見とは
http://lite-ra.com/2015/08/post-1395.html

この記事だが


夏の甲子園が、サバンナと化した。オコエは本能をむき出しにして、黒土を駆け回った



野性味を全開
味方まで獲物のように追いかけた




ヤクルト・小川シニアディレクターは「本能を思い切り出す野獣のようだ」。ロッテ・諸積スカウトは「ストライドが長い。ヒョウみたい」。スカウト陣からは野性的な賛辞が続出した



クルト・小川シニアディレクターは「本能を思い切り出す野獣のようだ」。ロッテ・諸積スカウトは「ストライドが長い。ヒョウみたい」。



飢えたオコエが、浜風をワイルドに切り裂く

まあ酷いものである。

当然ながらネットでも炎上状態になりこうした声を受けてウェブ版の該当記事を取り消しているが、それにしても「サバンナ」「野性的」という表現からは、“ナイジェリア人は未開の地で生活していて野蛮である”というような記者の偏見丸出しのイメージが透けて見える。このような記事を平気で書く記者の人格も疑うし、これが人種差別に表向き厳しくなったアメリカだったらこの記者は永久追放ものである。

そもそもオコエ瑠偉選手は東京生まれの東京育ち。「サバンナ」とは何も関係がない。

さらに呆れるのはこのような恥知らずの酷い記事を掲載して、批判されているにも関わらず報知新聞側から記事の撤回やオコエ選手への謝罪記事などを掲載した形跡が見られないことだ。(私が集めた情報ではそのような形跡はない)

これでは産経新聞と並び読売系の新聞も人種差別を奨励する新聞メデイアといわれても仕方がないだろう

私自身もアメリカに住んでいたからわかるが、アフリカ系だから身体能力が高いとは限らない。同時にアフリカ系だから学問や技術に疎いわけではない。

だがこのような偏見が大手を振ってまかり通っているのも事実だ。

上記のリテラの記事にも書いてある

特定の人種や民族など、動かしがたい属性を、間違った知識をもとに偏見の目で見ることこそが、差別を助長させるからだ。「身体能力が高い」という表現も一見ほめているように見えるが、「黒人系だから」と一括りにしアスリート個人の努力や技術を無視している。しかもこれらの例の場合、差別にさらされるのはアスリート当人だけではない。偏見が形成するステレオタイプは、それ自体がそこからはみ出るものを排除する動きを促す。つまり、個々人の多様性を認めないことと同義なのである。



 そもそも“アフリカ系=身体能力が高い”という言説自体、実は科学的にはなんの根拠もないものだ。肌の色にかかわらず、俊敏な人もいれば遅鈍な人もいることは言わずもがなだが、この種のステレオタイプの形成は、われわれの直感や経験則よりも、社会的な要因が色濃く反映されることで知られている。


<中略>

新興産業としてのスポーツ興行は、実力主義の下、有色人種にも門戸を開く傾向が強かったからだ。こうした状況下で、一部の革新的な考えを持つ人たちのなかで蓄積されていた人種分離主義政策に対する不満のはけ口は、スポーツ界に向けられた。そして、実際にアメリカでは多くの「黒人」メダリストが誕生したことで、科学者たちも人種によるスポーツでの優劣を検証し始めた。だが、はっきりとこれを証明できるものはなかったという。



 こうして「黒人」がスポーツ界を席巻したという事実と、人種分離主義に対する抵抗は、第二次大戦後の公民権運動に繋がっていく。だがそのなかで同時に“黒人=高い身体能力”というステレオタイプもまた、この社会状況の急激な変化の副産物として広まっていったという。


<中略>

日本のスポーツメディアで日常的に用いられる“アフリカ系だから身体能力が高い”という表現もまた、この米国由来のステレオタイプに丸乗りしたものであることは明白だ。科学的に大雑把な「黒人」という区分の身体的優位性が証明されていないのに、差別を助長する偏見を振りまくことは、やはり容認できるものではない。



 だが、日本には、こうした人種差別表現を人々が無意識に受け入れてしまう素地がある。欧米諸国に比べアフリカ系の人口比率が低いがゆえの物珍しさに加え、一部の極右政治家や保守派が「日本は単一民族国家である」という事実に反した認識を喧伝しているからだ。

上記の文章に私は全面的に賛成すると同時に最後の段落の赤文字に着目してほしい

この部分を見ると ミス・ユニバース日本代表に選ばれた宮本エリアナさん(20)が「ハーフ」ということで世間に叩かれた事実を思い出す。これも「日本人は単一民族である」「日本人の純潔を守る」などという何の根拠もない思い込みに裏打ちされた偏見である。実際「純潔」などという言葉を使うこと自体ナチスが「アーリア系」などと自国民を位置付けて人種差別を正当化した考え方と何ら大差ない

宮本エリアナさん

この問題はオコエ選手と本質的に同じである。そもそも「ハーフ」などという表現自体が日本独特な表現であることをご存じか?

アメリカなどの多民族国家ではいろんな血が交じり合っているのは寧ろ当たり前で「何々系と何々系の血が入っている」という表現はあるものの「ハーフ」などと表現は使わない。実際いくつの民族の血が混じっているかわからない世界的有名人も多い。タイガーウッズ、キアヌリーヴス、例を挙げればキリがない

また東洋史学者の江上波夫氏の騎馬民族征服王朝説」を取れば少なくとも日本人のかなりの数の割合は大陸の人間との混血によって出来上がっていることになる。ネトウヨがバカの一つ覚えのように「在日」「反日」といって自分の立場が強くなっているというバカげた思い込みの根拠は騎馬民族征服王朝説」によって崩れることになる。また3世紀ー4世紀の中国国内の戦乱(いわゆる三国志時代)で多数の中国国民がボートピープルとなって日本に流れついたことは史実となって証明されているし、奈良飛鳥時代帰化人」といわれた多数の大陸出身の人たちが日本に定住したことも歴史を少しでもかじったことのある人ならわかるであろう。

日本民族単一民族説、純潔民族説など全くのナンセンスであることは明らかである

私が心配しているのは上記のような人種偏見がまだ日本人の中に根強く存在している、という点である。

ヘイトスピーチ言論の自由などとお門違いに捉え、エリアナさんやオコエ君を「ハーフ」などといって偏見を助長することが当たり前のように行われている国にオリンピックなどを主催する資格などあるのか、という点だ。

先日の新国立競技場のゴタゴタ、だけでなくエンブレムの盗作疑惑とここのところ本当にみっともないことばかり続く東京オリンピック、さらに世界中から人が集まるオリンピックに人種偏見丸出しの対応をしてそれが「おもてなし」だなどといったらこれは笑い話では済まない。

産経新聞や読売新聞の人種差別を奨励するような記事が容認され、さらにいまだバカの一つ覚えで反日」「在日」などとヘイトスピーチをほざくことが大手をふってまかり通るような国なら2020年のオリンピックは返上すべきではないのか?

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