KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

地上波がれいわ新選組をスルーする理由、実は安倍政権の忖度強要ではなく地上波テレビ局と政権はグル?メデイアのパラダイムシフトに期待

なぜ地上波テレビが頑ななまでに山本太郎とれいわ新選組をスルーするか?
不思議で仕方がなかった
SNSのイイネは他の党と比べてもダントツ。「れいわ」の演説会の「れいわ祭」は他の党を圧倒する人数が集まる、
「視聴率」を考えれば、これほど絵になり話題性を持つ彼らを扱わないはずがないのがおかしい。「諸派だから」報じないというのもおかしい。NHKから国民を守る党はアリバイ程度にでも取り上げているし、山本太郎代表は現職の参議院議員である。
 とにかくれいわ新選組を扱わない合理的理由がどう考えても思いつかない。
 
しかし地上波メデイアは頑ななまでに黙殺し続ける。理由は一体なぜなのか?
 
この文章を読んで成程と思った。安倍政権の忖度強要、それもあったのかもしれないが本当の理由は別にある。たぶん
 
それは地上波テレビ自体が安倍政権側同様に既得権益側、つまり「搾取する側」にいるからである。勝ち組としての自尊心、強きを助け弱きをくじくマスコミという体質
 
つまり安倍政権同様、地上波テレビもれいわ新選組の元に庶民のボトムアップ、大量の庶民が集まることにマスコミも恐怖を感じているのだ。だからちょっとデモで人が集めると有名な「自称論客」に民衆のデモを徹底的にデイスらせそれらを拡散する。
 
安倍晋三は最近の山本太郎とれいわ新選組の盛り上がり方に明らかに恐怖を感じている。恐怖を感じているから「安倍辞めろ」との批判に公安を使って排除し、ファシストの本性をむきだしにしているのだ。
そして実は地上波テレビ側も安倍晋三同様「山本太郎とれいわ新選組」を恐れているのだ。SNSや街中の国民感覚との乖離に気づき、国民の安倍政権やテレビに対する激しい怒りの高まりを知れば知るほどど、いつか民衆に痛い目にあわされるんじゃないかと、恐れている。
 
だから山本太郎とれいわ新選組が日本人全員に知られては困る。SNSのマイナーのまま、諸派のままにしておきたい
 
つまり端的にいえば
 安倍政権は地上波テレビに忖度を強要している、というよりは地上波テレビと安倍政権はグルになっているのだ。
 
グルになって山本太郎とれいわ新選組が社会認知されないようにわざと徹底的にスルーする。そう考えると全て辻褄があう。
 
実は今回の参議院選私はあることに注目している。
 
このまま地上波はおそらくどんなに「れいわ新選組」が盛り上がろうが、得票率を伸ばそうが、選挙当日まで山本太郎とれいわを徹底的にスルーするだろう。
 
しかしもしそれでも「れいわ新選組」が大躍進したらどうなる?
 
元々地上波といっても今や10%視聴率とれば高視聴率といわれる。だが視聴率10%といっても国民の90%は見ていないのだ。20%超す番組など滅多にでない。これ政党支持率だったらそれこそ「諸派」レベルだ。
 
今の地上波テレビの影響力などそんなもんだ。
だが殆ど地上波が徹底的にスルーした「れいわ」が、殆どSNSのみで拡大して大躍進したらーそれこそ比例で5議席以上取るとか東京選挙区で野原さんが公明党山口那津男を上回ったとかーもしそんなことが起きたら
 
革命である
その時点でメデイアのパラダイムシフトが起きたということになる。つまり地上波テレビ時代の終焉を意味する
 
正直今回それが起きるんじゃないかという期待がある。どのレベルまで行くかわからないが、少なくともれいわが地上波のいう「諸派」というレベルをはるかに超える議席を獲得したら、その時にいろんなことが変わるだろう。
 
それには投票率が高くなることが前提だが、これほど人の心を動かす演説ができる政治家はここしばらく出ていない。人の心が動かなかったら新橋であんな人は集まらないだろう。

f:id:KyojiOhno:20190719232142j:plain

新橋での「れいわ祭り」2019年7月19日

いっときますが「やらせ」や「サクラ」でこんなに集めるのは不可能だ。

少なくとも山本太郎が応援演説に行った地域(どこも超満員)では投票率が上がる気がする(東京、大阪、京都、名古屋、その他多くの都市)

うまくいけば今回の参議院選挙は、後の時代から「時代の変わり目だった」といわれるんじゃないか。そんな期待が出てきた
人の心を動かさなければこんなに人が集まるはずはない。
 
とにかく面白くなってきた気がする、
勿論本当の結果は日曜日の選挙結果次第だが
 

ムサシ=不正選挙論を検証するーこれが安倍政権のしかけた罠だったらどうしますか?

さて選挙が近くなる決まって出てくるムサシによる投票改竄説

簡単にいうとユポ紙に鉛筆で書かれた投票内容をこの機械によって投票内容の改ざんをたやすく行うことが出来る、という話がまことしやかに流れています。具体的には「鉛筆のカーボンを遊離させ、再付着させる」という方法だといいます。

実は私は知り合いのつてで一度だけ選挙で開票立会人をしたことがあります。

実際見た経験から申し上げます。

いわゆる選挙時に使われるムサシの機会には次の3つがあります

f:id:KyojiOhno:20150824134745j:plain

投票用紙自動交付機

1つは投票用紙自動交付機。皆さんが投票所に行くときに投票用紙を発行する機械です。これはどなたでも見たことがあるでしょう。これは投票前にしか使わないものです。

投票所には投票を管理する立会人が必ずいてそれは、自民党、当時の民進党と無所属の候補から推薦された人が立ち会っています。投票箱は開票まで誰もさわってはいけないことになっています。

立会人の最初の仕事は、投票箱を開けるさいに立ち会い、投票箱が空になったことを確認することです。投票箱の「任務」はここで終わりですぐに片づけられます。

そして開票作業です。

「不正選挙」を主張する人はこの工程で「不正があるはずだ」と主張していますが、開票作業に使うのは次の3つの機械です。それ以外の機械は私がみた限り一切使っていません

f:id:KyojiOhno:20190717212945j:plain

自書式投票用紙読取分類機

f:id:KyojiOhno:20190717212850j:plain

「天地表裏反転ユニット」

 さて「不正選挙」投票の改竄はこの2つの機械のいずれかで行われている、と主張していますが、そこの部分を検証しましょう。

まずせっかくの機会なのでこの両方を私はよく調べました。写真は撮れなかったのですが詳細に見てみました。

結論からいって「読み取り機」のようなものはありましたが、あとは普通に機械的に分類するメカ部分しか見ることができませんでした。コピーの紙用紙をソート{振り分ける)機械と本質的に同じものです。

仮に「不正選挙」を主張する方法論

1.鉛筆のカーボンを遊離する

 まあ確かに理論的には不可能ではありませんが、不正選挙を主張する人たちがこの上記の機械のどこの部分でその工程を行うことができるか、については一切説明がありません。仮に実際鉛筆のカーボンを遊離させようとするとどういうことが起きるかといいますと

                

鉛筆の中にはカーボンの誘電体だけでなく鉄分も入っています。だから誘電体だけで鉛筆の文字部分の全てが取れるわけではありません。また仮にそれができたとしても相当な量の電磁気がないとそれは起こりません。それも周囲のパソコン、スマホ等の電子機器に明らかに影響を与えるほどのものでなければなりません。しかし現場にいて現場の電子機器が強力な電磁気で異常をきたしたとかスマホが使えなくなったなどということはありませんでした。

2.遊離したあとカーボンを再装着させる

 仮にこれが可能であったとして、鉛筆とこちらも同じ成分を磁気装着させるとしたらこちらも同じく相当な磁気を発生させないといけません。それも周囲のパソコン、スマホ等の電子機器に明らかに影響を与えるほどにです。誘電体装着という工程ができればの話ですが、仮にそれを化学装着させるとしたら密封された空間がないと、綺麗に装着はできないし、実際そんなに綺麗に装着できるものではありません.。塗装工程のメッキと同じです。

 またプリンターと同じ原理で再度装着するという説もありますが、仮にそうだとすると明らかにプリンターの部品(カートリッジとか)といえるようなものがないといけません。上記の機械のどこを探してもそんなものは見つかりませんでした。

f:id:KyojiOhno:20190717215411j:plain

改竄されたといわれる投票用紙(どこが改竄されたのか説明が一切ない)

上記の写真は「不正選挙」で改竄されたと、あえていわせてもらえれば「陰謀派」が主張する投票用紙です。私は拡大したりしてみましたがどうみても改竄されているようには見えません。また仮に彼らがいう「カーボン乖離」で改竄されたとしても鉛筆は実は必ず「書いた跡」が残ります。つまり後で仮に再度鉛筆でプリントしたとしてもすぐに「改竄のあと」というのは見えるはずです。上記の写真のどこをみてもその後は見当たりません、逆にこちらの方がインチキに見えます。

 テラックによる「不正選挙」を主張する人たちに共通するのはテラックの機械の具体的にどこの部分で「カーボン乖離」が行われ、どこの部分で再度「カーボン装着」が行われるのか、具体的な説明が一切ないことです。理論上は確かに不可能ではないですが。それをやるには町工場クラスの大きな機械がないと不可能です。そんなものが全国何千とある投票所にあるはずなどありません、そんなものがあったら目立ちますよ。

もしあくまでこの「ムサシ」で票が実際に書き換えられると主張する方は、実際この「ムサシ」のテラックのどこの部分で具体的にどうやって票が改竄されるのかをご説明下さい。単なる状況証拠や誰かの思い込み情報だけで決めつけるのは逆に危険です

f:id:KyojiOhno:20190717220240j:plain

投票用紙計数機

これは投票用紙計数機で単純に票数を数える機械。銀行などにある札を数える機械と同じです。この工程も見ていましたが職員が票をセットし、100ずつ数えていく。ただそれだけ。それ以上のことはどこを見てもできません。

私はあえてムサシ(これは会社名で実際は機械名は「テラック」)による「不正選挙」を主張する人を陰謀派といいましたが、まずムサシによる「テラック」で改竄されたと主張するのならその機械が実際に投票用紙を改竄している動画や写真の現場をうつしたものが1つもない。という点がこの「不正選挙論」が私は胡散臭くさせてしまいます

 また「証拠写真」と彼らが主張するページの多くがリンク切れになっているのもその情報の信頼性に?マークがつきます。

それに何よりも この噂の情報の出所が不明である、 という点が何より気になります

ちなみに私と同様に開票立会人をされた方のブログ記事です。この方は日本共産党の方なのでこの「ムサシ」について嘘をいう理由などありません。

shizuku5342.blog45.fc2.com

まあ勿論どうしても不安だというのなら、ボールペンやマジックマーカーで投票しても問題はないでしょう。それを禁止する法律はありませんので

無論集計ミスとかいうのは起こりえますが、それは複数の人間が再三再四確認して起きないようにしているし、少なくとも私の現場でも起きていませんでした。

それにしてもこの「ムサシ=不正選挙説」が一向に消えない理由はなんなんでしょうか?それは現代人は「そうであってほしい情報」「自分にとって都合のいい情報」というものを信じやすくなっているからじゃないでしょうか?

特に野党支持者は与党で選挙に負け続けてきて、しかも野党支持者はだいたい同じ支持者と群れていますから「周囲は全部自分と同じ、反安倍政権だ。SNSもそうだ。これはおかしい!」ということから「不正選挙があるに違いない」と思い込んでしまう傾向があるようです。実際メデイアの世論調査と自分の周囲の激しい乖離がその思いを余計に搔き立てます。

気持ちはわからなくはありません。しかし「そうであってほしい情報」「自分にとって都合のいい情報」を無条件に信じ込むのは危険です。それはネトウヨレベルのデマを信じ込み拡散する構図と全く同じです。何もネトウヨの思考回路と同じレベルに自らを合わせる必要はないと思いますし、このような行為はリベラリズムそのものを貶めるものです。こういったデマがまかり通ると、どんなにまじめに要求運動や住民投票や選挙をやっても、この陰謀論があるからリベラル、サヨクは怪しいというイメージになりかねません。

仮にですよ。 

このムサシ=不正選挙の噂の出所が安倍政権側だったとしたらどうしますか?

そうこれが安倍政権のしかけた罠だったらどうしますか?

具体的には

(1) 「不正選挙が行われている」ということで人々を投票所に足を運ばせない効果を狙う(投票率が低い方が安倍政権に有利)
(2) リベラルの多くは「デマ」を信じ込むというリベラルのイメージ低下を狙ったもの

情報化社会とはいつもそういう可能性を考えていなくてはなりません

リベラリズム、は長い間の低迷によって、そして実際起きている弾圧によっていささか被害妄想に近い状況になっているかもしれません。しかしだからこそリベラリズムは安易な情報やデマに飛びつくということは避けるべきだと思います。安易な陰謀論に同調するのはやめましょう!

安倍政権打倒の蟻の一穴2-伊藤詩織さん準強姦事件の容疑者山口敬之氏を菅官房長官が経済支援要請

昨日の記事に続き安倍政権のアキレス腱となる事件だ。これが事実であるとしたら政権が今度こそ吹っ飛ぶ事件になりうる。

週刊新潮によると映画「新聞記者」にも出てきた伊藤詩織さんのレイプ犯として逮捕されかかった山口氏が「菅官房長官」の経済支援を受けていたことが裁判の中で明らかになった。これは伊藤詩織さん(30)が元TBSワシントン支局長の山口敬之氏(53)から、性行為を強要され、肉体的・精神的な苦痛を受けたことに対し、損害賠償を求めた裁判である。その中で衝撃的な事実が明らかになった。

f:id:KyojiOhno:20190715212008j:plain

7月10日発売の週刊新潮の記事

www.dailyshincho.jp

生々しい記事で読んでいて嫌悪感が出てくるが、その被告の山口敬之氏が菅官房長官の依頼でNKBの小会社から経済支援を受けていたという。
つまりレイプ犯を安倍政権が保護したことになる。(裁判の証拠として採用)

裁判の証拠として採用されたことからもこれがガセネタであるとは考えにくい

f:id:KyojiOhno:20190716184021j:plain

容疑者を政権が保護するなど前代未聞である。

おそらく現在新潮社以外の各社はこの事実の裏取り、さらにこの件の入念な取材を現在水面下で行っているものと想像する。もし更なる詳細な事実が明らかになり、さらに他社が同様な記事を掲載し、それに大手新聞が載ってきたらかなりの大騒ぎになるだろう。公開の裁判なのでかなり事実が見えやすいという要素もある。

とはいえそこまでの段階に行くにはまだ少し時間がかかるだろう。最低一か月くらいは見た方がいい。

とはいえ今回の参議院選挙の期間中にこの記事が出た好タイミングを最大限利用して与党を追い詰めるべきだと思う。

その方法はこの事実の拡散を女性の皆さんに可能な限りお願いしたい

特にSNSだけでなく女性同士の特にリアルな口コミをお願いしたい。女性の口コミ力のものすごさは私も音楽や映画の仕事に従事していることからもよく経験している。これを是非女性の皆さんにお願いしたい

自民党安倍政権はレイプ犯を保護する女性の敵である

このように拡散して今回の選挙で自民党に投票しない動きが拡散することで今回の選挙でかなりの打撃を安倍政権に加えることができる

口コミの動き自体は見え辛いため、選挙の落選運動としても非常に効果的である。それで日本中の女性票が自民党から離れて行けばかなり今回の参院選は打撃になる。

女性の皆さん。是非お願いします

 

 

安倍政権打倒の蟻の一穴1-れいわ新選組と報道ステーション

今テレビ局は完全に安倍政権の官邸の制圧下にある。おそらく「電波止めるぞ」くらいの脅しをくらっている可能性がある。だがその官邸の脅しによる忖度を苦々しく思っている人も少なくないはず。

安倍政権は明らかに山本太郎と「れいわ新選組」を恐れている。だから強力な報道管制で忖度を強いている。だが先日の12日の「報道ステーション」のれいわ新選組の触れ方は1つのヒントになるような気がする。

これを解説したブログ記事があったので引用させていただく

cinemacinema.blog.so-net.ne.jp

以下引用   ⇓

そんなとき「れいわ新選組」が誕生。台風の目となる可能性。何とか紹介したい! 報道マンの血が騒ぐ。が、油断するとまた官邸からSが電話してきて「何さらしてんじゃ。電波止めるど〜」と脅される。そこで考えたのが先日の手。「れいわ」を紹介するのではなく、選挙選を紹介。その中で「れいわ」にも触れる。もし、クレームが来たら。

「あれは選挙選の報道です」

と釈明。でも、違うのだ。もし、そうなら「れいわ」は翌日の「NEWS23」のように「他に以上の党もあります」とテロップで紹介してもいい。それをせずに取材映像で見せたのは、そこの番組の意図がある。さらにコメンテーターが「山本太郎」と声に出して説明。官邸が最も挙げて欲しくない名前だ。でも、これも、意図なのだ。たまたまではない。けど、文句が来たら、

「彼を応援しているのではなく、前回に取った票数がどこに流れていくのだろう?という票の流れの解説です」

と説明する。さらに、野原候補の演説は確信犯だ。「私は創価学会員です」という部分を放送。視聴者は「え? 公明党」と思うのに「れいわ」だ。そして「なっちゃん(山口党首)とガチンコで!」という。それは学会員VS公明党という公明が一番流して欲しくないニュース。キャスターが「今回の選挙の注目は学会員が公明以外から立候補したこと」と報じたい大きなニュースだが、それを与党は絶対にさせてくれない。

 

地方で生活する年配者はネットをやらない。いまだにテレビと新聞だけが情報源だ。基本65以上でネットを日常的にやっている人は殆どいないといっていい。だからネットを日常的にやっている我々には信じられないがこの人たちで「れいわ新選組」の存在自体を知らない人が圧倒的に多い。しかもここから上の層は人口比でも多い。ちなみに世論調査のサンプルの主な対象となっている人たちもこの人たちだ。だから自民党支持者が多い。
安倍政権にとって絶対に避けたいのはこの層に「れいわ新選組」と山本太郎の主張が届くことだ。そうなれば自民党支持基盤がひっくりかえる可能性があるからだ。

 そこでもしこの投稿をよんだ報道番組関係者がいればこの「報道ステーション」の工夫を広げて欲しい。今の忖度の状況を苦々しく思っているのは他ならぬ報道現場の人達であることもわかっている。この「工夫」を積み重ね、少しづつ環境作りを行い、機が熟せば「ジェダイの帰還」のように一気に政権に反転攻勢することも可能になる。そう、皆さんに是非今や実質独裁国家になってしまったこの国の「レジスタンス」になっていただきたい
 今回の「報道ステーション」のれいわの取り上げはまだテレ朝内に久米、古館時代の政府批判をするグループが残存していることを示している。この人たちの行動を無駄にしたくないので

 

参院選突入で台風の目となる可能性が出てきた山本太郎と「れいわ新選組」

山本太郎はユニークである、しかし同時に「嫌い」という人も多い

大人気ない、感情に理性が押し流されている、という印象を持っている人も多くそれが足かせにもなっていた。

だが最近よく見るとそういう姿は変わってきており、感情で押し流すという話し方は見えない。特に山本太郎が朝日のウエブサイトに寄稿した文章はきちんとした理性と理論に基づいた文章である。

是非皆さんに読んでいただきたい

webronza.asahi.com極めてまっとうな文章だ。それも非常にわかりやすく書いている。そして今のまま自民党を支持し続けることは日本を破滅に追い込む、のがよくわかる。最近の政治家でここまでわかりやすい文章で自分の政策を語れる政治家がどれだけいるだろうか?

最近の山本太郎が単なる感情のアジテーターだったり、感情に押し流されるような演説だったら今まで彼が大嫌いだったという人が支持に回ってること、そして何よりも個人の寄付の集まりだけで「れいわ新選組」の寄付が2億を超す、なんてことがありうるだろうか?この現象は注目すべきだろう。

その寄付で「れいわ新選組」から10人候補を出すという、全員が参議院とも限らないが、もし参議院としたら山本以外は全員比例区だろう。山本氏含み全員比例区という話もあるが、代表の山本氏くらいは東京選挙区でもいいのではないか、と思う。

いずれにせよ以前山本氏が旧自由党が国民民主党と合同する折に立ち上げた新党。当初はどういうつもりでこの行動をしているのか正直わからなかったが、

kyojiohno.hatenadiary.com

今少し、わかってきたような気がする

要は今回の選挙の台風の目になり野党連合に喝を入れようとしているのかもしれない。

むろん結果はわからないが、この流れが変わらなければ「れいわ新選組」のかなりの人数の比例区当選もありうるかもしれない

今回の参院選、安倍政権は必死に「不都合な事実」を隠蔽しようと年金問題や農産物の「密約」そしてもりかけの文書改竄等から目をそらそうとしているが、取り分け年金問題は日本国民ほぼ全員が関係するだけに逆に隠蔽しようとする動きはかえって不信感をまねく。そのため何とかの1つ覚えのように「改憲」に関する話をしようとしても残念ながら逆効果だと思う。

何よりも冷静に参議院議席を分析すると現在 自民、公明 で非改選を含め147議席、これに改憲派の維新を合わせて162議席参議院の2/3ギリギリである。今回の改選は6年間野党が最悪だった時代の選挙で当時は野党共闘もあまり行われなかった時のもの。その時の惨敗の時の議席である。

今回は一人区を中心に野党の共闘は100%完璧とまではいかなかったが、それでも一定のレベルは実現している。つまり

間違っても6年前のような惨敗にはならないだろう

と思われる。

加えて年金や2000万云々、そして消費税を10%増税

 明らかに自公に対して逆風が存在する

つまり

与党と維新を含めた改憲勢力が3分の2を上回るのはほぼ不可能に近い

といっていいだろう。この3党が3分の2を切ったその時点で改憲の発議すらできなくなる

加えて今回の改選議席

自民65 公明11 で76 (非改選 自民56 公明14ー計70)

今回定数2が増えて過半数は123(非改選70)

つまり自公で改選議席が53を下回れば再度参議院衆議院とねじれ状態になる

果たしてそこまでいくだろうか。行って欲しい。難しいが決して不可能ではない

そこまで与党を落とすには野党を引っ張る台風の目が必要だ

山本太郎はその台風の目になろうとしているのかもしれない

f:id:KyojiOhno:20190701213201j:plain

 

香港の「引き渡し条例」のデモと日本の「年金返せデモ」の反応で明らかになった情けないほど低い日本人の政治民度

中国政府の圧力で決まりそうになった「中国引き渡し条例」

これの何が問題かというと香港住人だけでなく、香港に住んだり渡航した外国人や中国人までもが、中国側からの要請があれば本土に引き渡されることになり、事実上「一国二制度」が崩壊し香港での言論、表現の自由が事実上なくなることになる。

詳しい説明はこちらを参照されたい

www.newsweekjapan.jp

これに対して自由と民主主義を知っている香港市民はいっせいに抗議し200万人以上のデモが行われたのは記憶に新しい

f:id:KyojiOhno:20190620105900j:plain

引き渡し条例に反対する香港国民のデモ

結果はご存じの通りこのデモによって香港政府は「中国引き渡し条例」の採決延期、香港住民はあくまで撤回を求めている。

日本では政府等へのデモに参加する、ということをネガテイブに受け取る向きが多い。また政府の数々の隠蔽、改竄に対しても徹底的に無関心を貫く人間が多い。これを見ると今の平均的日本人より香港の人達の方が遙かに民度が高いといわざるを得ない。

香港の人達が秩序だって抗議の声を揚げているのは次の画像でもわかる。怪我した香港住民の救急車が通るために道を空けている画像である。

f:id:KyojiOhno:20190620110356j:plain

救急車が通るために道をあけるデモ中の香港国民

日本では「デモ」と「暴動」の差が理解できない人間が多い、という何とも情けない政治民度の低さの現状。

香港のデモは先進国各政府も香港住民を応援しており、その自由と民主主義を守ろうとする香港住民の姿勢に称賛と支持の声が湧きあがった。これが民主主義国家に住む人間のごく自然な反応である。ちなみに日本政府はこれに関して何のコメントも出していない。

折しも日本では麻生財務大臣に「老後は各自2000万円ためろ」発言で事実上年金が破綻したことがわかりそれに対して「年金返せデモ」が香港の1000分の1に過ぎない2000人で行われた。

f:id:KyojiOhno:20190620111313j:plainf:id:KyojiOhno:20190620111221j:plain

年金返せデモ


これに関して日本人の専らの反応は「無関心」か自称文化人のデモをデイスる行為かいずれかだ。ご存じの通りtwitterで大炎上したホリエモンの「年金デモ参加者=税金泥棒」というのは本当に酷すぎる

www.msn.comこの発言の問題点は会社員で普通に税金を源泉徴収されている人たちに向かって「デモに参加している」という理由だけで「泥棒呼ばわり」している点。自分の価値観を他人に押し付け日本の政治民度を下げるのに貢献している点。ネットにはホリエモンの崇拝者、心酔者も「思考停止」的に無条件に賛同しあたかもデモ社会運動が犯罪行為であるかのように貶めるなどまともな神経を持っていればできないからだ。

香港の200万人デモで社会を動かした価値を理解できない今の日本人の救いがたいほどの低い民度だ。

もっともこの堀江貴文はわざと「炎上させる」暴言を吐いて自分に注目が集中させることを昔からしているし、今回もその可能性大だ。(たぶん「炎上」で内心喜んでいる)

真偽の程はわからないがtwitter堀江貴文はキーワード収入を得ているとか、政府に都合のいい発言をするとお金がもらえるとかいわれるが、このような炎上商法を目的にした暴言を吐くのは昔からだ。

思考停止の崇拝者が多いが、このような人物が何をいおうがスルーするのがベストだと思う。百田尚樹とか高須なども同様だ。マスコミが報道するからつけあがるのだ。

 

香港の話に戻るが香港政府が「中国引き渡し条例」の延期が決まってもあくまで撤回を求めるために200万人が集会した。香港の人々は声を揚げたことで政府を動かしたが、これが続けば本当に撤回させることができるかもしれない

f:id:KyojiOhno:20190620115054j:plain

 日本の例の年金問題ではなんかまだ他人事のように思っている人が多いし、日本国民ならこの影響受けない人は皆無なわけだが、日本人の間にはびこる無関心、そしてこの思考停止の風潮はどこから来たのだろうか?

TBSの金平氏は香港のデモと日本の現状について次のように語っている。

香港の動きで考えたこと。

決して不平不満を言わない。上司には、さからわないで、むしろ媚びる。強気を助け、弱きをくじく。社会的なことには目を向けず、自分や少数の身内のために生きる。実感ではなく数字を信じる。今さえよければいい。金さえもうかればいい。自分たちだけよければいい。抗う人の足を引っぱる。選挙では安定だけを考える。困っている人を助けない。デモに行く人は自分とは無縁の人々だと思っている。根拠のない優越感で近隣諸国の人を見くだす。過去の歴史なんかどうでもいいと思っている。誇り高く生きようなんて思わない。コバンザメのように力のある存在にぴったり癒着して生きる。沖縄の基地なんて自分とは関係ない。

香港の動きはそうではない人々が生きていることを教えてくれる。

 たぶん大多数の日本人は金平氏のこのコメントを恥ずかしいとすら思わないんだろうな。今の日本人は香港の人達とまさに真逆だ

安倍政権の嘘、隠蔽、文書やデータ改竄、統計不正、年金破綻、についても安倍政権の「偽りの夢」に酔って「不都合な事実」を見ようとしない完全思考停止の国民。

それはどうやらそもそも全ては「学校」から始まったようである。
「ルール」が絶対 それによる思考の硬直化

ten-navi.comそして小学校による子供達の「考えること」を奪う教育

hbol.jp

政府と文部省は長い時間をかけて学校や政府の「ルール」に対して絶対的服従する国民を大量生産することに成功した。そして余計なことに「無関心になる」クセをつけることにも成功した。
それが恐ろしく情けないほど低い民度の日本国民を作り上げた。見事なものだ。全ての日本の学校はがそういう教育したとは思いたくないが一定の割合で存在したからこうなった

かくしてうまれた大量の思考停止の日本国民

今の日本はとても先進国といえる民度ではない。

 

「ルールが絶対」という「正義の暴走」-日本のあらゆる病巣、諸悪の根源がここに凝縮

以前安倍政権の主要支持層の1つである20代ー30代の「ゆとり、さとり世代」について書いた。勿論特定の世代に対する偏見を助長する意図はないのだが、彼らの多く(私は勿論この世代の全員がこれにあてはまらないことを心の底から願っている)の特徴が日本という国の未来に対して深刻な悪影響を与えることを強く懸念するものだからだ。おさらいのためにいわゆる「ミレニアム世代、さとり世代」の特徴を述べると

1.強いものにひかれ、今ある現実を受動的に肯定する。変化を極端なほどに忌み嫌う

2.異論や反対することを極端に嫌う。他人と違う意見を述べることはよくないことだと考える

*(とりわけ「さとり世代」に顕著)他人からいわれないと、命令されないと何もしない、自分で自発的に企画したりものごとを作る、という発想がない

4.極端なほどの没個性。「他人と違う」ということを嫌う、自分と異質な人間を受け入れない。同調圧力に極端に弱い

*(とりわけ「さとり世代」に顕著)何か問題が起きても自分が当事者なのに他人事のようにふるまう。自分のやったことに責任を持とうとしない

ただ、「ゆとり」「さとり」世代というのは文部省が一次推進していた「知識詰め込み教育」に対するアンチテーゼとして行われ、基本的には「各自が自分で考える」機会を作る、という目的で行われたはずだった。

だが結果はご存じの通り殆ど真逆な結果になったのである。一部例外があるものの(あってほしい)この世代に共通するのは極端なまでの思考停止である。

どうしてこんなことになってしまったのか、と考えているうちにこの記事にぶちあたった。

ten-navi.com

関連場所を例によって引用させていただく

なぜか小学生はランドセルを背負いながら傘もささずに歩いていた。土砂降りの雨だ。頭の先からつま先までずぶ濡れである。何か理由でもあるのだろうかと少し気になった。

《中略》

。気になったし、理由をたずねたかったが、僕が小学生に話かけてしまうとその時点で声掛け事案になりかねないので、郵便局の屋根が庇みたいになっている場所からその様子を見守ることしかできなかった。

小学生はあいも変わらず、少し大きめの水たまりを確かめるようにして濡れながら歩いていた。

「どうしたの、ずぶ濡れじゃないの。傘使いなさい」

郵便局から出てきたおばさんが、何の躊躇もなく小学生を呼び止め、自分の傘を差しだした。よくやった。さすがおばさんだ。そう思った。

「いいえけっこうです」

小学生は少し大人びた口調でそう答えた。同時に、また雨が強さを増したような気がした。

「いいって……ずぶぬれじゃないの。返さなくていいから使いなさい。風邪ひくから」

それでもおばさんは食い下がり、ビニール傘を差し出した。

「本当にいいんです。クラスのルールなので。忘れ物は自己責任。誰も頼っちゃいけないって決まったんです」

ちょっと彼が何を言っているのかわからなかったが、少しだけ考えてわかった。彼は頑なにクラス内のルールを守っているのだ。ただそれだけなのだ。

 一度決めたルールが絶対。、忘れ物が横行する中で、自己責任であるとルールを決めた行為も正しい。あらゆることが正しいはずなのに、その正しさの連鎖の先が、ずぶ濡れの小学生になるというおかしな結末

そしてこの「ルール絶対」という今の学校の風潮がもっとおかしな方向に学校を持って行く

ある時、女教師の発案で、「今日の困ったこと」というコーナーがこの帰りの会に導入された。当時はなんだかよくわからない面倒なものが追加されたものだと思ったが、今思うとこれはある意味、「正しさ」を追求しようとするコーナーであったように思う。

毎日、誰かが手をあげて、今日の困ったことを発表することになっていた。そこで誰が悪いのかを論じ合い、謝ってもらおう、というものだった。

「今日、山岡君たちが廊下を走っていました。とても危険でした」

ある女子がそう発言する。そこで問題の山岡が照れくさそうな表情で立つことになるのだが、さらに女子から追撃が始まる。なぜ走ったのか、どこに行こうとしていたのか、ほかに走ったやつはいなかったのか、どれだけの危険があるのか理解しているのか、どうしてルールを守れなかったのか、延々とそう責められた挙句に締めの一言が放たれる。

「謝ってください」

そこで少し照れ臭そうに山岡が謝って終了、となるのである。おそらくであるが、概ねこれらの行為は正しい。ルールを守ることは大切だ

 

《中略》

 と、ここまではまだ許せる。だがこの「ルールが絶対」という「正義の暴走」は次の恐ろしい事態を誘発する

帰りの会が始まり、今日の困ったことコーナーに入ると、いつもの女子が手をあげた。

「最近、松井君の周りが臭いです。松井君はちゃんとお風呂に入ってください」

とんでもない告発が飛び出した。クラス中がざわめいた。

松井君の家は貧しかった。いつも汚らしい同じ服を着ていて、風呂にもちゃんと入っていない感じだった。いつも何かしら汚れていたし、髪だってボサボサでフケだらけだった。聞いた話によると住んでいる借家には風呂や洗濯機がなく、満足に銭湯などにも行けなかったようだ。

しかしながら、いくらそうであっても、それは人として言ってはならないことだ。いくら子どもでもそれくらいの常識は備わっているはずだ。誰もが毎日お風呂に入って綺麗に着飾ってオシャレできるわけではないのだ。

けれども、女子たちは告発した。どうやら雰囲気的に、女子たちで示しあわせて告発した向きがあった。もう告発することもなくなったし、松井いっとくか、みたいな雰囲気があった。

「臭いのよね」

「毎日同じ服だし」

「気分が悪い」

女子たちは口々にそう罵った。その勢いに乗って、男子たちも臭いだの汚いだの言い始めた。

恐ろしいことに、クラスの連中には松井君の名誉を傷つけているという意識が存在しない。あくまでも自分たちは正しく、悪を糾弾する勇者だと思っているのだ。

「謝ってください!」

何を謝れというのだろうか。不潔でごめんなさい、と謝れというのだろうか。どうやらそのつもりらしい。「正しさ」のうねりは大きな流れとなってクラス中を包み始めていた。

僕は松井君のことが好きだった。教室の中で話す松井君の話はおもしろく、興味深いものだった。彼の貧乏ネタは鉄板で、同じく貧しかった僕は深く共感した。自分の境遇を笑い飛ばせる強さが彼にはあった。

一番の恐怖は、僕自身がこの「正しさ」がおかしいと感じる立ち位置にいるのは、自分自身が聡明で物事を冷静に分析する力をもっているからというわけではない点だ。僕は松井君が好きだった。だからこの「正しさ」に腹を立てているだけで、状況が違えば、僕も同じように「正しさ」に熱狂している可能性があるのだ。それが怖い。

「もうこいつらはダメだ。でもこんなこと許されるわけがない。そう、先生だ。先生ならなんとかしてくれるに違いない。こんなことおかしいと叱り飛ばしてくれるに違いない」

縋るような視線を担任の女教師に投げつけると、彼女は「活発な議論だわ、これぞ私の目指した教室」みたいな満足気な表情を見せていた。ダメだこいつ。

「正しさ」は熱狂を通り越していた。

女子たちは口々に「早く謝れ」と言い放った。男子たちも早く帰りたいと声を揃えた。ついに松井君は泣き出してしまった。そして僕は、何もできなかった。

「多数決を取ります」

会の決まりにしたがって多数決がとられることになった。松井君が不潔にしていることを謝るかどうかを問う多数決だ。多くのクラスメイトが「正しさ」にしたがって投票する多数決だ。

結果は、圧倒的多数で「謝るべき」となった。今このクラスではそれが「正しい」らしい。

教壇に立ち、皆のほうに向き直る松井君。涙が頬を伝っていた。

「僕が不潔にしていて、みんなに迷惑かけてごめんなさい」

松井君は謝った。何に対して謝ってるのか不可思議だが、とにかく謝った。

「聞こえません!」

すぐに女子から声が飛んだ。これは聞こえているのに何度もそう指摘して言わせる嫌がらせみたいなものだ。

「不潔でごめんなさい」

「聞こえません」

「不潔でごめんなさい」

「聞こえません」

もう松井君の声は涙声で聞き取れなくなっていた。

「本当に臭かったよね」「死ぬかと思った」「風呂くらい入ればいいのに」女子たちは勝ち鬨をあげた。男子たちは早く帰りたくて半分腰が浮いていた。

「はいはい、活発な議論だったわね。松井君も不潔にしちゃ駄目よ」

担任の女教師がそう言って会を占める。

松井君は次の日から学校に来なくなった。

恐ろしいことに、松井君が来なくなるという結果に対して、関わったすべての人間が「正しい」と思っているのだ。女子たちは正しく糾弾したと思っているし、担任も良い教育ができたと考えている。僕だって、あの状況では何もできないし、逆効果だったと何もできなかった自分を正当化している。

<略ー順不同>

クソな上司、アホな取引先、頭のおかしいクライアント、それらが織りなす圧倒的理不尽をもってしても、小学生時代のこの謝罪の理不尽さには勝てない。それだけの経験だ。唯一匹敵するとすれば、社内の栗拾いツアーに、職場で嫌われまくっている僕だけ誘われなかったのに、4000円の会費を後日徴収されたことくらいだ。これはそれくらいの理不尽だった。

この帰りの会において「正しさ」は確実に暴走していた。もう収集つかないところまできていた。

私は上記に書いてある「帰りの会」のような小学校がこの国の小学校の大多数の姿ではないことを心の底から願っている。またここに引用されている酷い担任教師も日本の小学校教師の大多数ではないことを願う。

だが「ゆとり」「さとり」世代の教育の姿の多くははひょっとしたこんな状況だったのではあるまいか。普通に考えれば「ルールは絶対」の名の元クラス全員が上記の松井君の客観的に考えれば「いじめ」を殆ど正当化していて、この女教師は事実上その「いじめのお墨付き」を与えているわけである。今の日本の小学校の多くがこんな教育方針を大手をふって罷り通らせているのか?そうでないことを切に願う。ただ残念なのは一定の割合で存在したからこうなったのかもしれない。

 全員が「正しさ」を行使したその末に、結果だけ「正しくない」状況がある、今の日本という国はそんなことも理解できない社会になっているようだ

だが、「ゆとり」「さとり」世代の行動パターンを見ていると彼らの多くが「ルールが絶対」そして「暴走する正義」の環境下で育ってきたのではないか。そう思いたくもなる彼らの精神状況である。

だとすると今の日本のあらゆる病巣、あえていうが諸悪の根源、これらは全ては「学校」から始まったといえるのかもしれない。

「ルール」が絶対 それによる思考停止

最近の子供が没個性になったり、自分の意見をいわなくなったり政府がどんなメチャクチャな酷いことをしても何もいわなかったり、今のネットでのわけのわからんアホ、クレーマー等の主張する「正義」

全てがここから始まったといえるかもしれない

こんな教育で「ルールが絶対」その「ルール」の主張する「正義」の元で育った大人はこんな大人にしかなれないのかもしれない

日本の「サラリーマン」の殆どがこれに当てはまると思う。日本が停滞、閉塞している元凶といっていい

www.businessinsider.jp

最近はリンクを 紹介しても読まない人が多いので上記ページに書かれている「詰まらない人」の特徴だけ書いておこう

1. 会話のバランスが偏っている

2. 相手が会話に参加しているかどうか、わかっていない

3. 他人を笑わせることができない

4. 会話中、何も言わない

5. いつも同じことをする

6. 自分の意見がない

7. 面白い話をうまく伝えられない

8. 目新しさがない

9. 他人の視点で物事を見ることができない

10. 会話に他人を参加させない

11. アドリブに弱い

12. 基本的にネガティブ

13. 同じ話を繰り返す

14. 自分が周りの人にどう思われているかに固執する

15. 自分がいかに賢いか、証明しようとする

16. いつもつまらないと感じている

思い当たる人多くないだろうか?私は最近の日本人、こんなタイプの人ばっかりだと感じる。そしてこんな思考回路しかできない人ならリストの最後に書いてあるように「いつもつまらないと感じている」のは当然だろうと思う

そしてつまらなくしている元凶は「ルールが絶対」それによる「正義の暴走」に他ならないわけだ

もう一度いう。「ルールが絶対」という「正義の暴走」

日本のあらゆる病巣、諸悪の根源がここに凝縮されている。

google.com, pub-3062244771962944, DIRECT, f08c47fec0942fa0