KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

イギリスEU離脱、トランプ大統領候補、ネトウヨ安部支持の共通点

イギリスの国民投票でのEU離脱 51%対49%の僅差とはいえ、このイギリス国民の選択は世界に衝撃を与えた。

さまざまな分析があるが、経済の専門家ではないのでそちらは言及しながシロウトでもわかるのはこれから円高基調になること、そして今回の国民投票自体に法的拘束力はないものの、今後の離脱交渉の行方如何では株価が乱高下することになるだろう、というこの二点である。

いずれにせよ円安基調をベースと株価操作型の経済政策であるアベノミクスこれによって事実上終焉を迎える、といっていいだろう。

英語が多少できるから今回のEU離脱についてイギリス人同士のネットでの書き込みとか見ると、必ずしも日本で伝えられているような 離脱派=高年齢層。残留派=若年層という単純な色分けではできない。寧ろ年代に関係なく「日常への不満⇒変化を望む」というベクトルが働いているように思う。

実は同じような動きが今年のアメリカ大統領選でもみることができる。
いうまでもなく共和党の大統領候補に指名されたドナルドトランプだ。

トランプのロコツな人種差別主義政策、タカ派、全ての銃規制の撤廃、日米協定の内容を無視した発言や中国への露骨な批判等、危険極まりない発言の数々にアメリカ国民は大喝采を送っている。
私は当然トランプに反対の立場だが、実際Facebook等でトランプ支持者とデイベートして感じたのは、どこかの国のネトウヨにそっくりだ、という点だ

実際民主党政権から安部の極右的な政策に拍手喝采を送った、あの時の雰囲気に今のトランプ支持者層をみると極めてよく似ている。
4年前の日比谷野外でのこの集会、を覚えているだろうか?

この集会の時に安部晋三改憲論を始め戦後レジームを見直す」という発言を熱烈に支持した気持ち悪い感じのネトウヨがいた=あとで在特会のメンバーであることが判明、がアメリカのトランプ支持者を見るとこいつらのメンタリテイにそっくりである。
私は正直、背筋がぞーっとした

私はかねてから云っているとおり安部のいう「戦後体制を見直す」ということは戦前のアンシャンレジーム(戦前体制)に戻し、現憲法明治憲法に戻すということだと主張していた。こういっているのに誰も信じてくれないのは困ったものだが岸井さんが云ってくれた

関口氏「戦前回帰は間違いないですか?」
岸井氏「特定秘密保護法からの一連の流れをずっと見ると、戦時体制づくりをしているのは間違いないです」

これをみて思うのは残念ながら
悪しき形のポピュリズム である。

「変化」を求めるのはいい。しかし「変化させて後先を考えない」のは困ったものだ

今イギリスは「変化を求めて」自国の経済が崩壊する方向を選んでいるように見えるし、アメリカは「変化を求めて」メンタリテイが殆どヒトラーに限りなく近い人物を大統領にしようとしている。

日本は一足先に4年前、安倍晋三自民党を選び、今憲法自体が危機的な状況に追い込まれ、民主主義が危機的な状況になりつつある。

どれも、「まだ間に合う」 再考して軌道修正を切に願う

それには政治に無関心にならずに7月10日の選挙には必ず行ってほしい
最後にこの画像でこの記事を終える

舛添辞任不可避。参議院選挙への影響必至 少し面白くなってきた

さて、当初の見通しと違い衆参ダブル選挙はなくなってしまったが、(一説によれば安倍首相はダブル選挙をやりたかっていたがを菅官房長官が懸命に止めた、という話がある)ここに来て舛添要一東京都都知事をめぐる攻防でまた流れが変わっている。

ご存じの通り私は舛添の都知事当選に対して懸命に異を唱えていた人物である

■このまま本当に舛添でいいのか? 石原に負けず劣らず放言癖がある男
http://d.hatena.ne.jp/KyojiOhno/20140203

■あえて都知事選ー舛添以外に投票を、20代都民は投票に行こう
http://d.hatena.ne.jp/KyojiOhno/20140201

そして何を隠そう、舛添要一自民党公明党の支持で当選したのである。

共産党の志位委員長は舛添都知事が辞任しなければ不信任案を提出すると言明していた。これは自動的に自民、公明の踏絵になる。
舛添都知事のあからさまな公私混合は都民のみならず、全国民レベルで拡大しておりもし不信任案にノーの判決を投じれば都政だけでなく、来月の参議院選挙への悪影響は避けられない。

そこでとうとう自民公明も舛添えを見はなしたようだ。場合によっては参議院選挙への悪影響を避ける意味でも自民、公明自ら不信任案を提出するという

舛添要一の都知事辞職はもはや避けられないといっていい

■舛添知事、辞職不可避の情勢 自公が不信任案提出も
http://www.asahi.com/articles/ASJ6F7QL4J6FUTIL078.html

だがどう転んでも自民、公明の参議院選挙への悪影響は避けられないだろう。いくら日本国民が「忘れやすい国民」だとしても7月10日とみられる参議院選挙までもう一か月を切っている。舛添が辞職にせよ不信任で解職にせよ、来週まで都知事でいられる可能性は殆どないといっていい

「可決されると(8〜9月の)リオデジャネイロ五輪パラリンピックの最中に選挙を行わなければならない。(終わるまで)猶予を頂きたい」

まあ何寝言いっとるんだ、という感じだ、

となると参議院選挙とほぼ同日に都知事選挙が行われる可能性が高くなってきた。こうなると日本最大の票田である東京都での自民、公明の選挙への悪影響はほぼ避けられない

なぜなら
  自民、公明の支持によって舛添要一が都知事当選した

という事実は消えないからである。

そして仮に舛添に不信任案を自公が提出しても自公にとっては地獄である。なぜなら勝てる候補探しの見通しが殆どたたないため、不戦敗の可能性も高い。
そして参議院選挙への上記の理由による悪影響

まさに進むも地獄、引くも地獄の状況自民党公明党はいる

参議院選において完全ではないものの野党共闘もほぼ達成できた。
ここしばらく選挙結果は自公の圧勝だったが、舛添のこのスキャンダルによって面白い状況になってきた。

寧ろ反安倍政権の立場を取る私としては舛添要一に感謝しなければならないかもしれない(笑)

高校の21年ぶりの同窓会

ちょっと当ブログ、ここのところ堅い話だったので、閑話休題

というわけで高校ー桐蔭学園高校の12期7組の同窓会がなんと21年ぶりに行われました。前回が1995年ーその時の印象でもびっくりしたんですが、さらに21年(!!) 時々会場のプルーニャ、改め、復活したムニローガストラマニアにて行われました、

まあ人の事はいえない、といわれればそれまでですが、みんな本物のオジン、ジジイになったな、という感じ、そのため一部時々会っている人間を除き、誰が誰だかわからないというのが率直な印象


21年、という時間の長さ、(ある意味残酷さ?)を感じました。

それぞれ出世した者、離婚した者、孫が生まれ正真正銘のジジイになった者もいた、

あと、残念ながら他界した人間も四人いました。合掌


21年のブランクのあと、来年から毎年やろう、ということになりました。在学当時は決して学校生活が楽しい、という感じはなかったんですが、こうしてみると結構団結力がある、というかよく集まりますね。

いいことです

オバマ大統領の広島訪問はやはり評価すべき

日本のマスコミの論調は「オバマ大統領に原爆投下の謝罪がなかった」といった論調が多い。
確かにアメリカでは今でも「原爆が第二次大戦を終わらせた」というイメージが根強く、大統領としての立場を考えると原爆投下への明確な謝罪は盛り込みにくいだろう。

だが、何かその論調、どこかで聞いたことがないだろうか?

日本政府が韓国や中国に「第二次大戦」の日本の所業を謝罪しても「謝罪が足りない」「誠意が見られない」などといわれるのに似ている。
被害者というのは例え謝罪されたとしてもその傷というのはなかなか癒えないものなのだ。

だがそれでも私は今回のオバマ大統領の広島訪問ー歴代大統領で初めて広島を訪問したわけだが、−は高く評価すべきと考える。

オバマ政権は歴代のアメリカの政権でももっともリベラル色の強い政権といっていい。共和党やアメリカの保守層が「社会主義的」といって今でも忌み嫌うオバマケア」(日本の健康保険制度にあたるー歴代民主党政権の悲願でもあった)を実現させ、公約である中東での米軍撤退を実現させ(結果的にISISの台頭で事態は悪化してしまったが)この広島訪問もオバマ大統領が就任当時から希望していた。
大統領の任期が残り8か月になり、かねてから熱望していた広島訪問を実現させた。

大統領は広島と長崎を含む第二次世界大戦のすべての犠牲者らに哀悼の意を示すスピーチをした。その中で「核なき世界」を主導する責任についても言及した。

スピーチの内容は翻訳されたものがあるので以下に示す

オバマ大統領の広島スピーチ全文 「核保有国は、恐怖の論理から逃れるべきだ」
http://www.huffingtonpost.jp/2016/05/27/obama-begins-visit-to-hiroshima_n_10160172.html

71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。閃光と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示されたのです。



なぜ私たちはここ、広島に来たのでしょうか?



私たちは、それほど遠くないある過去に恐ろしい力が解き放たれたことに思いをはせるため、ここにやって来ました。


私たちは、10万人を超える日本の男性、女性、そして子供、数多くの朝鮮の人々、12人のアメリカ人捕虜を含む死者を悼むため、ここにやって来ました。


彼らの魂が、私たちに語りかけています。彼らは、自分たちが一体何者なのか、そして自分たちがどうなったのかを振り返るため、内省するようにに求めています。


広島だけが際立って戦争という事実ではありません。遺物を見れば、暴力的な衝突は人類の歴史が始まった頃からあったことがわかります。フリント(編注・岩石の一種)から刃を、木から槍を作るようになった私たちの初期の祖先は、それらの道具を狩りのためだけでなく、自分たち人類に対しても使ったのです。


どの大陸でも、文明の歴史は戦争で満ちています。戦争は食糧不足、あるいは富への渇望から引き起こされ、民族主義者の熱狂や宗教的な熱意でやむなく起きてしまいます。


多くの帝国が勃興と衰退を繰り返しました。多くの人間が隷属と解放を繰り返しました。そして、それぞれの歴史の節目で、罪のない多くの人たちが、数えきれないほどの犠牲者を生んだこと、そして時が経つに連れて自分たちの名前が忘れ去られたことに苦しめられました。


広島と長崎で残酷な終焉へと行き着いた第二次世界大戦は、最も裕福で、もっとも強大な国家たちの間で戦われました。そうした国の文明は、世界に大都市と優れた芸術をもたらしました。そうした国の頭脳たちは、正義、調和、真実に関する先進的な思想を持っていました。にもかかわらず、支配欲あるいは征服欲といった衝動と同じ衝動から、戦争が生まれたのです。そのような衝動が、極めて単純な部族間同士の衝突を引き起こし、新たな能力によって増幅され、新たな制限のないお決まりのパターンを生んでしまったのです。


数年の間に、およそ6000万人もの人たちが亡くなりました。男性、女性、子供、私たちと何ら違いのない人たちがです。射殺され、撲殺され、行進させられて殺され、爆撃で殺され、獄中で殺され、餓死させられ、毒ガスで殺されました。世界中に、この戦争を記録する場所が数多くあります。それは勇気や勇敢な行動を綴った記念碑、言葉では言い表せないような卑劣な行為の名残でもある墓地や空っぽの収容所といったものです。


しかし、この空に立ち上ったキノコ雲の映像を見た時、私たちは人間の中核に矛盾があることを非常にくっきりとした形で思い起こすのです。


私たちの思考、想像力、言語、道具を作る能力、そして人間の本質と切り離して自分たちを定めたり、自分たちの意志に応じてそうした本質を曲げたりする能力といったものを私たちが人類として際立たせること――まさにそうしたことも類を見ない破滅をもたらすような能力を私たちに与えられることによって、どれだけ悲劇をもたらす誘発剤となってしまうか。


物質的な進歩、あるいは社会的な革新によって、どれだけ私たちはこうした真実が見えなくなってしまうのか。


より高い信念という名の下、どれだけ安易に私たちは暴力を正当化してしまうようになるのか。


どの偉大な宗教も、愛や平和、正義への道を約束します。にもかかわらず、信仰こそ殺人許可証であると主張する信者たちから免れられないのです。


国家は犠牲と協力で人々が団結するストーリーをこしらえ、優れた功績を認めるようになります。しかし、自分たちとは違う人々を抑圧し、人間性を奪うため、こうしたものと同様のストーリーが頻繁に利用されたのです。


科学によって、私たちは海を越えて交信したり雲の上を飛行したりできるようになり、あるいは病気を治したり宇宙を理解したりすることができるようになりました。しかし一方で、そうした発見はより効率的な殺人マシンへと変貌しうるのです。


現代の戦争が、こうした現実を教えてくれます。広島が、こうした現実を教えてくれます。


技術の進歩が、人間社会に同等の進歩をもたらさないのなら、私たち人間に破滅をもたらすこともあります。原子の分裂へとつながった科学的な変革には、道徳的な変革も求められます。


だからこそ、私たちはこの場所に来るのです。


私たちは、この街の中心に立ち、勇気を奮い起こして爆弾が投下された瞬間を想像します。


私たちは、目の当たりにしたものに混乱した子どもたちの恐怖に思いを馳せようとします。


私たちは、声なき叫び声に耳を傾けます。


私たちは、あの悲惨な戦争が、それ以前に起きた戦争が、それ以後に起きた戦争が進展していく中で殺されたすべての罪なき人々を追悼します。


言葉だけでは、こうした苦しみに言葉に表すことはできません。しかし私たちは、歴史を直視するために共同責任を負います。そして、こうした苦しみを二度と繰り返さないためにどうやってやり方を変えなければならないのかを自らに問わなければなりません。


いつの日か、証言する被爆者の声が私たちのもとに届かなくなるでしょう。しかし、1945年8月6日の朝の記憶を決して薄れさせてはなりません。その記憶があれば、私たちは現状肯定と戦えるのです。その記憶があれば、私たちの道徳的な想像力をかき立てるのです。その記憶があれば、変化できるのです。


あの運命の日以来、私たちは希望を与える選択をしてきました。


アメリカ合衆国そして日本は、同盟を作っただけではなく友情も育んできました。欧州では連合(EU)ができました。国々は、商業や民主主義で結ばれています。


国、または国民が解放を求めています。そして戦争を避けるための様々な制度や条約もできました。


制約をかけ、交代させ、ひいては核兵器を廃絶へと導くためのものであります。それにもかかわらず、世界中で目にする国家間の攻撃的な行動、テロ、腐敗、残虐行為、抑圧は、「私たちのやることに終わりはないのだ」ということを示しています。


私たちは、人類が悪事をおこなう能力を廃絶することはできないかもしれません。私たちは、自分自身を守るための道具を持たなければならないからです。しかし我が国を含む核保有国は、(他国から攻撃を受けるから核を持たなければいけないという)「恐怖の論理」から逃れる勇気を持つべきです。


私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません。しかし、その可能性を追い求めていきたいと思います。このような破壊をもたらすような核兵器保有を減らし、この「死の道具」が狂信的な者たちに渡らないようにしなくてはなりません。


それだけでは十分ではありません。世界では、原始的な道具であっても、非常に大きな破壊をもたらすことがあります。私たちの心を変えなくてはなりません。戦争に対する考え方を変える必要があります。紛争を外交的手段で解決することが必要です。紛争を終わらせる努力をしなければなりません。


平和的な協力をしていくことが重要です。暴力的な競争をするべきではありません。私たちは、築きあげていかなければなりません。破壊をしてはならないのです。なによりも、私たちは互いのつながりを再び認識する必要があります。同じ人類の一員としての繋がりを再び確認する必要があります。つながりこそが人類を独自のものにしています。


私たち人類は、過去で過ちを犯しましたが、その過去から学ぶことができます。選択をすることができます。子供達に対して、別の道もあるのだと語ることができます。


人類の共通性、戦争が起こらない世界、残虐性を容易く受け入れない世界を作っていくことができます。物語は、被爆者の方たちが語ってくださっています。原爆を落としたパイロットに会った女性がいました。殺されたそのアメリカ人の家族に会った人たちもいました。アメリカの犠牲も、日本の犠牲も、同じ意味を持っています


アメリカという国の物語は、簡単な言葉で始まります。すべての人類は平等である。そして、生まれもった権利がある。生命の自由、幸福を希求する権利です。しかし、それを現実のものとするのはアメリカ国内であっても、アメリカ人であっても決して簡単ではありません。


しかしその物語は、真実であるということが非常に重要です。努力を怠ってはならない理想であり、すべての国に必要なものです。すべての人がやっていくべきことです。すべての人命は、かけがえのないものです。私たちは「一つの家族の一部である」という考え方です。これこそが、私たちが伝えていかなくてはならない物語です。


だからこそ私たちは、広島に来たのです。そして、私たちが愛している人たちのことを考えます。たとえば、朝起きてすぐの子供達の笑顔、愛する人とのキッチンテーブルを挟んだ優しい触れ合い、両親からの優しい抱擁、そういった素晴らしい瞬間が71年前のこの場所にもあったのだということを考えることができます。


亡くなった方々は、私たちとの全く変わらない人たちです。多くの人々がそういったことが理解できると思います。もはやこれ以上、私たちは戦争は望んでいません。科学をもっと、人生を充実させることに使ってほしいと考えています。


国家や国家のリーダーが選択をするとき、また反省するとき、そのための知恵が広島から得られるでしょう。


世界はこの広島によって一変しました。しかし今日、広島の子供達は平和な日々を生きています。なんと貴重なことでしょうか。この生活は、守る価値があります。それを全ての子供達に広げていく必要があります。この未来こそ、私たちが選択する未来です。未来において広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの地として知られることでしょう。




アメリカ大統領としては精一杯の言葉だったように思う。それでもあえて来たのは核廃絶への決意を世界に示したかったということもあると思われる。何よりもこのスピーチはどこかの国の首相と違って気持ちがこもっている

オバマ米大統領、広島で献花 被爆者の手を握り、抱き寄せた。現職のアメリカ大統領による光景が実現するとはだれが想像しただろうか

ブロックや着信拒否をするのは危険ーうーんそうだろうか

先日の小金井の冨田さん刺傷事件に関して、ストーカーの専門家の発言

■「ツイッターのブロックや着信拒否をするのは危険」ストーカー相談の専門家に聞く
https://www.bengo4.com/c_1009/c_1409/n_4696/

まあ岩崎容疑者は典型的なストーカーというのはそうかもしれんが、個人的にはどうしても納得がいかない点がある。

決定的だったのは、ツイッターのブロックだと思います。加害者はその前に「なぜブロックしないのか」という内容の書き込みをしています。あれは、「ブロックされたくない」という心理のあらわれでしょう。ブロックされるのが恐いんです。ところが、本当にブロックされて、絶望的になったんだと思います。



一般的にいっても、ストーカーに対して着信拒否やブロックをしてはダメです。着信拒否するなら、その前に別の連絡窓口を作っておいたり、ツイッターをブロックするならツイッターそのものをやめないといけない。



他の人にはリプライしているのに加害者だけを無視している状況でした。書き込み内容からして仕方ないのですが、加害者からすれば、どんどんストレスがたまっていく状況。ブロックは良くなかったと思います。

うーん まあストーカーと普通のネットの荒らしとはケースが違うかもしれないが、基本的にブログやソーシャルネットで執拗な書き込みをする奴というのは早い話が「かまってちゃん」なわけで、うざったい奴、「こいつは頭おかしいな」という人間に対しては、やはりレスなどつけにくいし、だいたいどういうリプライをしていいのかもわからん、というのが正直なところ

はっきりいってこういう「かまってちゃん」にかまってやるほど俺は暇人じゃないし、うざったい。頭のおかしい人間をスルーする、というのはごく自然な行動なんじゃないのかな。

特にこの手の輩は話してわかる連中ではないし、まともな常識などそもそも通用する相手ではない。発言の揚げ足取りや難くせをつけて「荒らし、炎上」を起してしまおう、などと考えている奴らしかいない

つまりブロックや着信拒否、ノンリプライがダメならどうすればいいのか、ということだ。それで危険度が下がるわけではない、寧ろ「カマってちゃん」たちが訳の分からん妄想をふくらませてもっと危険な行為に走る可能性もある。

まあアイドルと一般人は違う、といわれればそれまでだが、いずれにせよブロック、スルー、着信拒否がよくない、ということであればアイドルを始め女性アーチストのネットでの対策、とりわけ本人のセキュリテイというものについて考えないと今回のような悲惨な事件を防止することができないといえるだろう。日本のアーチストも欧米のアーチストのような強面のボデイーガードを常駐させないといけない時代になってきたのかもしれない

女の子たちには左端のような強面のボデイーガードをつける、当然経費がかかるからこれがイベントの費用とかにはねかえってくる

一部の頭のおかしいバカのためにファン全員が影響をこうむるケースかもしれないが、日本もだんだんこうせざるを得なくなってきた時代になったということか

危険な暇人ネトウヨからネットという玩具(凶器)を取り上げるべき

トーカーに関してだが小金井市、うちから目と鼻の先の場所で痛ましい事件が起きてしまった。犯人は被害者の冨田真由さん(20)のブログやツイッターに執拗な書き込みをして、ストーカー行為と一方的な好意による妄想がふくらみついには刺傷事件にまで発展してしまった。非常に残念な事件である。

この事件には警察の対応も批判されている。ストーカー相談ではなく、一般相談として扱い、冨田さん本人の通報も冨田さんの位置を確認せず警察はとんちんかんな対応した。警察が現場に適切に対応していたならば防ぐことができた事件かもしれない。ストーカー防止法(ストーカー行為等の規制等に関する法律)が施行されたにもかかわらず、どうもストーカー対策は日本の警察は後手後手にまわりがちか、もしくはストーカーの防止にどうしても消極的に見えてしまうのが問題である。


いずれにせよ、犯人の岩崎容疑者は冨田さんだけでなく他のアイドル女性にも同様な行為を働いた模様だが、熊本地震でのタレントの奉仕活動に難くせをつけてタレントを攻撃する輩等、やはりネット時代に入って「頭のおかしい輩」の行動がやたらに目立ってしまう、そして今回のように社会に対してきわめて有害または危険の行動に出ている、という状況を「ネットの自由」を名目に放置するのはいかがなものか、とも思う。

岩崎容疑者のような頭のおかしい人物はネットにまだわんさかいると考えていい。特に最近は「模倣犯」のようなことをやりかねないバカもいる。私などはイベントをこれから主催する立場にもなっており、女性アーチストに対してストーカー行為をするバカからのセキュリテイというのも考えないと同じような事件がまだまだ起きる可能性が大である。

だいたいストーカー行為やネットでのアイドル、女性アーチストのストーカー行為を行う輩は以下のような傾向がある。

1.情報の殆どをネットに依存しており。リアルな体験が極端に不足している。twitterを始めソーシャルネットは活発でもリアルなコミュニケーション能力は極端に不足している。

2.基本的に暇人である。でなければブログやソーシャルネットに執拗な書き込みなどしない。多くはニート、フリーター、つまり無職の輩だ、

3.精神的に幼い。リアルな体験が少ないだけでなく、精神年齢はアダルトチルドレン以下である

この場合ネトウヨは必ずしも「暇人」の範疇には入らないかもしれない。日常では一見「普通の人」に見える場合もあるからだ。

そのような人間がネットでの有名人の行為に難くせをつけ誹謗中傷や攻撃を行って「憂さ晴らし」をしたり、今回のようにタレントや女性への「ストーカー行為」を働いて、社会に極めて有害な悪影響を与えているという現実だ。

一体いつまでこんなことを放置しておくのか?

私はネット社会、IT企業とかが行った最大の過ちはこのような有害な「社会の暇人」にインターネットという「凶器」を与えてしまった点だと思う。彼らは情報化社会にとって百害あって一利ない人間であり、と同時にネットの情報の質を大いに下げることに貢献している。

こういう連中を「ネットの自由を守る」ことを名目に放置するのは「ネットの情報の信頼性、セキュリテイ」を危機的な状況に追いやることを意味している、

少なくともIT企業に提言したいのは

1.荒らし、スパム、嫌がらせ、誹謗中傷その他ネット110番で通報された者のIPアドレスを業界で共有し、ブラックリストを作る



2.ブラックリストIPアドレスの契約者を契約解除もしくは再契約できないように、プロバイダーやレンタルサーバー屋がすぐチェックできるようにする



3.ブラックリストの対象者が犯罪活動を行った場合に警察がブラックリストにIT業界関係者立ち会いの元アクセス可能にする

これはIT業界が本当にやる気になれば国家権力の介入なしに可能なことである。このようなことが国家権力が介入すれば特に安部政権のようなファシスト的体質を持った政権はネットの言論封殺の都合のいい口実を与えることになる。これは絶対に避けなければならない

IT業界というのは「ネット使用」に関する制限に対しては極めて消極的なことは知られている。

だが以前。「ネットの自由放任」の方針に固執して没落した有名な例があることをご存じだろうか?
かつてはFacebooktwitterをしのぎ日本国内で圧倒的なシェアを誇ったmixiというソーシャルネットだ。

黎明期は非常に有益なネットのツールとしてかなり重宝したものの、ターニングポイントは紹介制から登録制にしてから、2009-2011年は「荒らし」「スパム」のオンパレードでコミュニテイや日記の炎上状態が頻発した。なかにはかなり悪質な誹謗中傷や「荒らし」行為もあったが、当時のmixiの社長は「自由放任」という方針にこだわり、このような「ネットの暇人」の炎上行為に対する取り締まりに消極的であった。少なくとも消極的に見えた。
 それがユーザー、とりわけ黎明期からの古参ユーザーの失望、大量離反をまねき、今や見る影もない状態。残念ながらmixiがかつてのようなSNSに戻ることはもうないだろう。

これが「ネットの自由放任」という方針にこだわった場合の末路である。mixiは一ソーシャルネットだが、今のネットのバカ暇人が引き起こす攻撃を放置すればネット全体がmixiの二の舞になりかねない。

ネットの暇人、頭のおかしいバカどもの行動はもはやこれ以上看過できないところまで来たといっていいだろう。

是非とも業界のブラックリスト共有、ということをご検討いただき、今回のような痛ましい事件が起きる背景自体を事前に防止する必要性を声を大にしていいたい

日本は東京オリンピックを自ら返上すべき

既にご存じの通り東京オリンピック誘致に当たり2億4800万円の不正送金があった疑惑、フランス当局は収賄容疑で捜査を始めている

この映像が空しくなる日も近いかもしれない

■「東京オリンピック招致委、IOC実力者に2億4800万円」 フランス検察当局認める
http://www.huffingtonpost.jp/2016/05/12/tokyo-orympic-bid-2m_n_9943260.html

フランス警察当局は金銭授受を確認したと認めており、日本では相も変わらず危機感が低いが、ヨーロッパでは日本の2020年オリンピック開催権は剥奪される可能性が高いとの論調がもっぱらである。

東京五輪招致「疑いあるなら容赦なく対応」IOC会長
http://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000075130.html

IOC・バッハ会長は18日の電話での会見で、東京オリンピック招致を巡る疑惑について、「汚職と戦うために我々ができることはすべてやる」と話しました。ただ、IOCとしての調査は当面行わず、フランスの検察当局に協力していく

そうだ 東京オリンピックは中止になる可能性の方がもう今の時点で高いのである。


殆どの日本人が日本政府を含めてこれに対する危機感は極めて低い、といわざるを得ない。
東京オリンピック組織委員会は「招致プロセスは招致委員会が取り組んだものであり、東京2020組織委員会自体はこれに関与しておりません」とのコメントを発表
電通はAFPに対し「AMSは子会社ではなく、コンサルタントを雇ったこともない。フランス捜査当局から捜査を受けたことも、協力を要請されたこともない」と発表

どちらも知らぬ存ぜぬで自らの責任を回避しようという魂胆が見え見えだが、実際に日本が開催権をはく奪されたら一体誰が責任を取るのか。

相も変わらず「責任者不在」「責任のなすりつけ」「私は知らない」のオンパレードである。本当に見苦しい

そもそも私は今の日本人に国際的な大会であるオリンピックを開催する資格があるのか疑問である。

責任の所在、リーダーシップ不在の運営委員会

これは例のエンブレムの盗作問題、新国立競技場の問題を見ても説明の必要があるまい。

安倍首相の「お友達」で固められた組織委員会を含め、JOCも「調査をする」と言明しているが、調査する人間は全くの第三者ではなく安倍首相やJOCに近い法曹関係者ばかりだ。これでは調査といってもジェスチュアだけなのは明らかである。国際的にも信用されるとは思えない

今の日本人に本当に「おもてなし」ができるのか?

これは実際にあったことだが、御茶ノ水駅で海外の人が英語で道を聞いていた。イスラム系の服装をした女性で多少マレーなまりはあるもののきれいな英語で話をしたが、周囲の人間は話しかけられて狼狽するばかりでロクに対応をしていなかった。
私は英語は一応話せるので対応して、電車の方角が違っていたのでその辺りを諸々を教えてあげたが、その瞬間周囲から人がすーっと引いていくのを感じた。そのマレー系のイスラム女性は私にはお礼をいったが周囲は私を見てみぬふり、まるで宇宙人でもみているような素振りだった。

お前らそんなに英語話すことが珍しんか?

ちょっと呆れてしまった、こんなことでこれからオリンピック時に殺到する海外からの人たちの「おもてなし」など到底できるとは思えない

オリンピックに伴う海外からの受け入れ態勢の不備

二点ある。

1.宿泊施設の問題

既に東京のホテルは不足気味で、オリンピック開催時はほぼまともなホテルの部屋の確保は不可能に近いといわれている。
また注目されるAirbnbも違法運営も少なくなく、統制も取れているとは言い難い。(とはいえ現実問題を考えるとAirbnbを導入せざるを得ない)

2.ボランテイアの体制

これは実にふざけている。日本はボランテイアというものを何か勘違いしている

東京都のボランテイアの要項を見ると、よほどのお人よしかお金のあるヒマ人でないとまずやらないだろうな。と思う、

まず応募資格がふざけている。英検二級以上、
そして一週間もの研修を受けなければならない。 かなりの拘束時間である

そして交通費はおろか昼食もびた一文でないのである

ボランテイアだから当たり前? 英語という特殊技能ーそれこそ普通の人は話をしている人のそばからすーっと引くくらい「貴重な」(笑)
その能力を無料で提供せよ? だと 
これこそ目に見えないノウハウ、技術などタダで提供して当たり前 という考え方ではいか

おそらくこんなことを書くとその辺のバカな暇人が「ボランテイアしない奴は人でなしだ」とか何とかいって叩いて炎上させようとするバカが出てくるだろうが、てめえは何もしないくせして(できないくせして)他人のやることを難くせつける人間のクズなど相手にしていられない

当たり前の話しだがボランテイアというのは本人の自発的な意思で行われるべきもので、決して第三者が本人の意図に反した形で強制などされるべきものではない。日本ではこんな当たり前なことが理解できないおバカさんが多いようだ。

いずれにせよ東京都のボランテイア要項、英会話の能力を持っている人間を実になめている、と言わざるを得ない。はっきりいってふざけるなといいたい

オリンピックで日本の経済が再生する、は幻想

最後はここにつきあたる。このオリンピックは一部のゼネコンや大企業は潤うかもしれんが、殆どの国民には恩恵などない。嘘だと思うのなら18年前の長野オリンピックを見てみるといい

東京五輪経済効果は見当違い?前回長野では巨額債務で公共サービスが犠牲か
http://biz-journal.jp/2013/09/post_2953.html

これを見ると東京オリンピックで日本経済が再生する、などというのは幻想以外の何物でもない ことがわかる。

不正が疑われている時点で既に信用を無くしている

最後はこのひとことにつきる。

福島原発安倍首相の「アンダーコントロール」などというのも大嘘であることが最近ばれている。こんな嘘つきが首相をしていることからも日本の国際的信用はがた落ちである、

以上のことからも誠に残念ながら日本は潔く

「東京オリンピックを返上する」

しかないだろう。

昔の武士なら切腹しただろうが、そこまでしなくとも「サムライ」のイメージらしくせめて潔い部分を世界に見せた方が世界からの尊敬をまだ保てるのではないか、と思うのだ

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