KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

影武者徳川家康の世良田二郎三郎の世良田氏

新年あけましておめでとうございます。

正月に入ると箱根駅伝以外はこれといったテレビ番組がないのでDVDで映画を見るか、するしかないんですが一応テレビ東京隆慶一郎作の影武者徳川家康をやっていたので取りあえず現在見ています。

この小説はだいぶ前に読んでいますのでよく知っている小説ではあるのですが、家康が関ヶ原で暗殺され、影武者がそのまま家康を演じるという面白い設定です。一方徳川秀忠や柳生宗則の人物像、また関ヶ原で戦死するはずの島左近が生き延びる等、かなり史実と異なるところがありますがまあそこは小説ですのであまり野暮なことはいいません。

しかしこの小説で一つ大きな不満なのはこの主人公である影武者の本名の「世良田二郎三郎」なんですが..

この名前はある程度歴史に詳しい人であればこの「世良田」という姓でピンとくるはずです。

もともと徳川氏は、たぶん冒称だとは思いますが、新田義季の子孫を称してますがこの義季は世良田義季と名乗っていました。

義季は新田義重の四男とされており父新田義重からは上野国新田郡(新田荘)世良田郷(現在の群馬県太田市世良田町。徳川に北隣する地名である)を譲られ、世良田郷の地頭となったと記されていますが、この義季は何と一方で新田郡得川郷(現在の太田市徳川町)を領有して、得川四郎を称したともされています。詳細については歴史家でも論争がありますが、義季の息子に世良田頼氏得川頼成なる人物がいたとされていますが確証はありません。

この新田義季の子孫である新田親氏時宗の僧、遊行僧と伝えられる徳阿弥になり、松平郷で還俗し松平信重の養子になったのが松平氏の始まりとされており、徳川家康「徳川」も得川四朗と称した新田義季から来たとされております。

従って隆慶一郎氏が家康の生き写しの影武者が「世良田二郎三郎」と名乗らせたのはその辺りの絡みが出てくるのでは? という期待があったのですが結局小説でも、そしておそらくドラマでもそこの部分の記述はありませんでした。

まあ家康の本姓、松平氏もおそらくは地方豪族の域を出ていなかったように思いますが、戦国では自分の家系を「ブランド化」するために藤原、源氏、平氏等のいずれかとつながりがあるかのように書くのはよくあることです。ちなみに家康は「藤原家康」と称したこともあります。

ちなみに徳川家の祖とされている新田親氏松平親氏)なる人物、実は存在が確かめられたわけではありません。この人物に関する多くの伝承は後世の松平氏・徳川氏の主張に拠っており、傍証となる同時代史料は無いため実在性を疑う歴史研究家もいます。

まあ何にせよ、小説やドラマとしては面白いものですので、まあ年末年始のヒマな時、楽しませてもらいましょう