北条時政、政子 北条氏について
平清盛、来週はいよいよ鹿ケ谷の陰謀の話が出てきましていよいよ反平氏の動きの始まりになります。この反平氏の動きは晩年の清盛を苦しめることになります。
一方で源頼朝と北条政子との恋が芽生え始めますが、ここで後程鎌倉幕府の執権となる北条氏について述べておきましょう。
北条氏は桓武平氏の平直方の末裔を名乗る豪族といわれますが、実はこれは冒称で実際は伊豆の土豪である可能性が高いといわれます。といいますのも時政以前の世系がまちまちで一致せず、実は時政の父親ですら時方もしくは時家とする説があり定説及び確証は存在しません。つまりきちんとした家系を残せない程度の家であることは間違いなく、また領域支配を展開する他の東国有力武士団である同じ平氏の三浦氏・千葉氏・小山氏・秩父氏はどれも何代か前から多くの有力な一族を各地に分派させていますが、北条氏にはそうした一族が見られないこと。まして平直方から100数十年程度で家系図すら残せないことから有力な豪族だったとはとても考えられず、せいぜい地方役人程度の小豪族であると考えられます。これらの情報から桓武平氏というのは冒称である可能性は極めて高いと考えます。
またドラマでは遠藤憲一がいかにも良心的な人物として北条時政を描いていますが、実際の時政はあんな人物ではなく鎌倉幕府の成立以後頼朝の嫡男(時政にとっても外孫になる)二代将軍頼家を忙殺し、後妻の牧の方と共謀して将軍の実朝を殺害し娘婿にあたる平賀朝雅を新将軍として擁立しようとするなど(牧の方事件)の事件を起こしたため、執権北条氏の中でも後世謀反人扱いされ北条氏の祭祀から外されるなどの扱いを受けています。実際清廉潔白な人物で知られた時政の孫で第3代執権の北条泰時は頼朝・政子・義時らを幕府の祖廟として事あるごとに参詣して歳末の年中行事も欠かさない一方が、時政のみは牧氏事件で実朝を殺害しようとした謀反人であるとして仏事を行なわれずに存在を否定されています。
それらを見るとドラマで描かれているような分別のある人物とは程遠いようです。
いずれにせよこの北条時政は頼朝に加勢していくことにはなります。もっともその前に娘の政子が駆け落ち同然で頼朝の妻になってしまいひと悶着は起きますが...