最初にお断りしていくが、記事の題名はやや挑発的だが気を付けないと私自身も私が嫌悪するネトウヨと同じレベルになってしまうという自戒の意味もこめてこの記事を書いている。
それをふまえて書くが、非常に面白い記事を見つけたので引用させていただく
■知的であるかどうかは、五つの態度でわかる。
http://blog.tinect.jp/?p=16095
どんな人間でも「頭が悪い」と言われることを極端に嫌う。しかし「頭がいい=知的」といわれてもその定義はあいまいである。何よりも知識が多いとか学歴が高いことが必ずしも知的という意味にはならない
上記の文章を読んでなるほどと思った。
結論からいうと上記の文章の「知的であるための5つの態度」はいずれも今問題になっているネトウヨ、自民党の日本会議系議員、何よりも安部晋三首相の人間性と
具体的には
一つ目は、異なる意見に対する態度
知的な人は異なる意見を尊重するが、そうでない人は異なる意見を「自分への攻撃」とみなす
まさにネトウヨの典型的なパターン
自分たちの気に入らない意見に接して即「反日」「在日」「サヨク、ブサヨ」という乏しいワンパターンのボキャブラリーを使って即攻撃してくるパターン。
他人の意見を聞いてそれを尊重、理解しようなどとはハナから考えていない
二つ目は、自分の知らないことに対する態度
知的な人は、わからないことがあることを喜び、怖れない。また、それについて学ぼうする。そうでない人はわからないことがあることを恥だと思う。その結果、それを隠し学ばない
わからない、知らないというのは恥ではない。
問題は知らないことを知る、ということを積極的に行おうとするか、自分で調べたり研究しよう、という気が起きるかどうか
経験上、ネトウヨに自分の論拠たる記事、論説、根拠の書いてあるページのリンクを見せてもほぼ100%読まない。
私がネトウヨが他人を理解しようとハナから考えていない、と断じるのはそういった論拠に該当する部分をきちんと読まれた経験が一度もないからである。
某首相のようにポツダム宣言すら読んでいないのに戦後のレジームを否定する、これがネトウヨの典型的な姿である。
三つ目は、人に物を教えるときの態度
知的な人は、教えるためには自分に「教える力」がなくてはいけない、と思っている。そうでない人は、教えるためには相手に「理解する力」がなくてはいけない、と思っている
ネトウヨのもう1つのパターンとしてネトウヨの独り善がりのロジックを押し付け、こちらが質問しただけで「こちらが理解する力がない」と決めつけ、叩いてくる点だ。
要は他人のロジックを理解する気はさらさらないが、自分の屁理屈を理解できないと逆上して叩くというパターンである。
四つ目は、知識に関する態度
知的な人は、損得抜きに知識を尊重する。そうでない人は、「何のために知識を得るのか」がはっきりしなければ知識を得ようとしない上、役に立たない知識を蔑視する
役に立たない知識を蔑視する、つまりネトウヨが好きな、ネトウヨが他人を攻撃するのに都合のよい知識や情報は何でも鵜呑みにして利用するが、自分にとって役に立たない(ネトウヨにとって都合の悪い)情報や知識には敬意のかけらも見せない。要は「人を叩ける」もしくはヘイトスピーチを始めとするネトウヨにとって都合のよい情報以外は全てネトウヨにとって「蔑視する情報」なのである。
だから自分の考えを死んでも改めないし、反省もしない。再考など考えもしない
「ネトウヨは卒業することを知らない」というのは山本一郎氏の言葉である
五つ目は、人を批判するときの態度
知的な人は、「相手の持っている知恵を高めるための批判」をする。そうでない人は、「相手の持っている知恵を貶めるための批判」をする。
「相手の持っている知恵を貶めるための批判」をする。
とは要するに「揚げ足取り」「重箱の隅をつつくように他人に対するっ突っ込みどころを探す」ということだ。
実際ネトウヨを始めとする「ネット住民」は「他人の「揚げ足取り」に命をかけているようなところがある。
「揚げ足取り」することによって自分が相手より「有利な立場」にたてるなどという姑息な考え方をもっているのだ。
当然のことながら本当に知的な人はそんなことなど考えない。
そしてこの論法「ネトウヨ」だけではない。
そう自民党の「日本会議系」ネトウヨ議員(武藤、小西、木原、中川、稲田、山谷)を始め何よりも安部晋三首相自体がこの5つの条件の完全な真逆にあてはまる。
つまり結論として
知的な人間は決してネトウヨにはならない
ということだ
ただ勿論、我々自身も気を付けないとこのネトウヨと同じレベルになってしまうので、自戒の意味を込めてきをつけようと思う。
自らを貶めることになってしまうからだ。
何もネトウヨの知性レベルに合わせる必要はない。