センター街の0リンガルたち
雨の中渋谷で打ち合わせの後、東急ハンズやイシバシ楽器に用があったので例のセンター街を通ってしまった。昼時でお腹も減ったがこんなところだとファストフードしかない。気乗りしないが某MACでハンバーガーをかじっていたら、やはり、というか女子高生たちの次のような会話が耳に飛び込んできた。
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ー「ネエ、デートどうだった?」
ー「バリバリー」
ー「○子の彼氏みたー?」
ー「超やばー」
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「.............................(大きなため息) 」(-_=+)
一応この子たちの会話の意味はわかっているつもりだがこんなのを聞かせられると三島由紀夫の「憂国」モードになってしまう。だいたい今学校の時間のはずなのにこんなところで何しとんだお前ら、といいたくもなる。
私はこういう子たちを「0リンガル人間」と呼んでいる。
母国語すら満足にしゃべれないという意味だが、上記のやりとりはやはり会話といえるような代物ではない。
日本語と英語のバイリンガルの人でも、日本語50英語50の人はそう多くない。殆どの人がどちらかに偏っているがいわゆるバイリンガルの人たちは基本的にどちらの言葉も平均以上の能力を持っている人たちである。
この子たちはしかし、母国語の日本語ですら平均以下であるのは明白だ。当然母国語は怪しいのだから外国語など覚えられるはずがない。 だから0リンガルである。
こういう「0リンガル人間」が増えているのは困ったものだ
日本の人口が減少に転じはじめている現在、日本人が絶滅する前に日本語がなくなってしまうのかとも思ってしまう。
もっともアメリカにも「0リンガル人間」はいる。
エミネムの歌など本当に支離滅裂な英語である。
いずれにせよ私には娘がいるが、こういう風には育って欲しくないもんである。