KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

平清盛ー鹿ケ谷の陰謀ー平氏政権終わりの始まり

平清盛ー今日も見ごたえがありました。
実は清盛の話なのになぜ源氏も描いているのか、という点が引っかかっていましたが今回でその意味がわかったような気がします。

明日を見失いつつある清盛、そして政子によって「明日」を見つけた頼朝。

対象的な二人でした、

それは平氏政権の「終わり」の始まり、同時に源氏再興の始まりでもあります。

実は1つの時代の「終わり」には必ずその「終わり」の始まりと受け取れる事件が発生します。今回の「鹿ケ谷の陰謀」がまさにそれであり、鎌倉時代なら正中の変江戸時代なら「ペリー来航」がそれにあたるのではないでしょうか?

史実も比較的忠実に描いています。
もっとも最近の平清盛の歴史考証は「平家物語」よりになっているのが少しきになります。
というのもこの「鹿ケ谷の陰謀」を密告したという多田行綱は「平家物語」では清盛の西八条邸をとしていますが、比較的信用度が高い歴史書といわれる『愚管抄』は清盛が福原を立つ前に行綱と会見していたとあります。

但しそれ以外は今回描かれていた通りで愚管抄によれば、後白河が静賢の鹿ケ谷山荘に御幸した際、藤原成親・西光・俊寛が集まり平氏打倒の計画が話し合われ、行綱が呼ばれて旗揚げの白旗用として宇治布30反が与えられたとされています。(ただし、愚管抄の作者慈円はこの事件に関する記述については「一定の説は知らねども」と真相を確認した訳ではないとも記しています)
清盛は西光の言動に怒り顔を踏みつけ責めたりしていましたが、彼は逆に平氏を罵しったためさらに激怒した清盛は西光を拷問の末、五条西朱雀で斬首させています。
西光は元々清盛の盟友だった信西の近臣であり、清盛とは志が同じはずだったのがどこかで行き違いが生じてしまい最後はこのような悲惨な結末にならざるを得なかったことが清盛がどこかで目標を見失った、または目標を取り違えてしまったことを示すものかもしれません。

やはりこの背景には前回も書きましたが

1.「武士の世を作る」といいながら平家以外の武士を引き立てず「平家のみで地位と富を独占」したこと。

つまり国家とか庶民のためではなくいつのまにか平家のためだけになってしまった点
その結果
2.敵を多く作りすぎたこと。

武士では頼朝は言うに及ばず、木曽義仲を含む平家以外はみな反平氏となってしまい、まさに「四方八方」が敵の状態となります。

そして最後は勿論、最近の平家の状態を見ればわかりますが
3.「将来の国作り」のみを見て自らの足元を固める(きちんとした後継者の育成、体制固め)を怠ったこと

平重盛は賢い分別のある人物ではありましたがおそらく近々回で若くて病死。これは平氏にとっても決定的な打撃になっていきます。あとを継いだ宗盛は重盛と比べると愚将で反平氏の動きを抑えきれず結局平氏を滅亡させてしまいます。

いずれにせよ今回で斜陽の平氏、再興する源氏という流れが始まる会だと思います。そして最終決戦へ、

平清盛はあと8回放送があるそうですが。このペースだと壇ノ浦までどうでしょうかね。
何よりも平氏滅亡の折のもう一人のキーパーソン木曽義仲が出てくる様子がないんですね。

NHKの公式ページにも木曽義仲の配役が発表されていません。この時点で発表されていないというのは出ないんでしょうかね?

いずれにせよ残りも少なくなりドラマとしてどういうクライマックスが用意されているのか、楽しみです