KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

17年逃亡の高橋容疑者の「普通の人」であるがゆえの「不器用さ」

またまた友人のカルチュラル・マーケター の井上さんが先日17年の逃亡を経て逮捕された件で興味深い記事を書かれたので参照されたい。
(参考文献:連合赤軍とオウム わが内なるアルカイダ(集英社)


■なぜオウムの指名手配犯たちは17年間も逃亡してたのか?【心理的仮説】
http://blog.goo.ne.jp/sinoue0212/e/912306e4792fe7ad72b60705d12651ac

この文章で特に自分にもあてはまるかもしれない、と思ったのは

高橋容疑者についてわれわれの常識で考えればこうだろう。

「オウムの化けの皮が剥がれたし、いい加減、自首したらよかったのでは? 逃亡生活のストレスも相当なものだろう・・・」

人の心の中ってそうそう単純ではないのだろう。
逃亡生活を続けていても、
「ひょっとすると逃げ切れるのではないか?」
「逃げるのは疲れた。。。」
といった、矛盾する心理が錯綜するのではないかと推察する。

そんな葛藤を抱えつつも、なぜ逃亡生活を送る、という人生しか選択できなかったのか?

「過去からの生き様は、そう簡単には否定できない」
そういう心理もあるのではないか? と私は推察する。

たとえ教祖の化けの皮が剥がれたとして、自分にかつてのような信仰心など消えたたとしても、家族を捨ててまで「出家」し、教団に身も心も捧げたという行為を後から反省しようとも、そうそう自己否定できるものではない。罰を受け、新しい自分になる、という決断は難しかったのではなかったのか? ということだ。

そういう不器用な人間もいるのではないか?

と私は考えてしまうのだ。
「過去の自分は間違っていたのだから、早々に軌道修正をする」と合理的に判断できない人だっているに違いない。
「自分のアイデンティティ=過去からの連続性にがんじがらめになる」人と言い換えてもいい。

経済学には、「サンクコスト(埋没費用)」という概念がある。
これを人間の心理にあてはめてみると、こういうことだ。

「たとえ間違っていたとしても、自ら選んでここまで生きてきた人生は、そう簡単に軌道修正はできない」

とても不器用な態度だ。
しかも、クソ真面目だ。
「自分は教祖に騙されていた・・・」と、合理的に考えて態度を翻す(=転向)する心理とは違う。

しかし、日常生活を生きるわれわれにとっても、決して無縁な態度ではないだろうか?

何度も書くがオウム真理教にはまり、身を破滅させてしまった人たちを「特殊な人たち」決め付けるのは極めて危険である。

上記の推論が正しいとした場合、このような葛藤はどの人にも起こりうることだからである。

例えば私などはかなり不器用な人間の部類に入る。

そもそも「CDが売れない」などといわれて久しい音楽業界にとどまり、音楽を仕事として続けていること自体がものすごい不器用な証拠である。

正直にいうが一財産築きたい、一旗上げたい、と考えるのなら音楽を仕事にするのは最悪の選択である。

その関係もあって私の[http://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/:title=音楽ブログ]の方はどうしてもかなり辛辣な表現の記事が多くなってしまう。同じ業界人を強い口調で批判することも多い。

しかしこういう状況にも関らず私は現在の職業を廃業してーつまり音楽をやめてー別の職につこうなどとは毛頭考えていない。

それは上記の記事にもあったように「過去からの連続性にがんじがらめに」なっている面も否定できない。

私は大学を出て某一部上場の電機メーカーに就職した。
普通に考えればそこで普通のサラリーマンとして一生を終えるという選択もあった。
おそらく大多数の人はそうするだろう。

だが私はそうしなかった。
やはり音楽を職業にするという思いをどうしても断つことができなかったのである。
またもう1つの選択として一応帰国子女なので、英語は少なくても日本人の平均からすればかなり上のレベルに属するだろう。その英語で身をたてるという選択もあった。

実際英語に関する資格は結構持っているし、翻訳や通訳をやれ、といわれればできる。

だが同時通訳などは反射神経や即行で文章を作る能力が必要で私はこの訓練を受けようとしたが自分には向いていないことがわかった。

つまり語学は確かに平均より上でも私より優秀な語学の能力を持っている人間は世の中に多数存在するのだ。

しかし音楽は

なぜか子供の頃から誰にも負けない自信があった。

私はトッププロといわれている人たちに実際会ったこともあるし、身近に彼らの演奏も聴いている。

すごい、と思う人も多かった。

しかし自分の手に絶対に届かないレベルだとは思わなかった。



つまり他人にはどう思われようが

音楽は私にとってやはり天職なのである。
そしてどうせ一度きりの人生なら自分が誰にも負けない、と考えるもので人生の勝負をしたい。自分が天職なのである。と考える分野で

だから存続の危機にすら瀕している音楽業界の中で仕事をしている。

まさに過去からの連続性、と自らのアイデンテイテイに縛られて生きている。そしてそれにこだわっている自分がいる。クソ真面目なくらいに

だから私は非常に不器用な人間です。私は正直この仕事以外につくことはできない。

先日つかまった高橋克也容疑者もカルト教団で身を崩したとはいえ、その面では自分と何の変わるところはないのではないかと

カルト教団で身を崩すという違いはあるにせよ、田原総一郎がいうようにオウム、連合赤軍アルカイダに傾倒していった若者はみんな「普通の人々」だったのである。

あえて「普通の人々」の人たちと違う面を捜すとすれば、ちょっと精神的には幼稚だった、かも

でもネットでいまだに「ネットが他のメデイアより優れている」などという言質にこだわる人たち、「オタク」に走る人たち

かれらを見ても正直いって精神的な幼稚さを感じる。

だからくどいようだけど高橋容疑者、菊池容疑者、その他オウムに走った人たちは「特殊な人たち」では決してないのである。

参考文献