KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

軍師官兵衛:毛利小早川隆景と「おねの信長直訴」事件

久々軍師官兵衛に関する記事です。本日は毛利勢5000が小寺領内に攻め行った模様を黒田官兵衛が僅か500で撃退した様子が描かれました。世にいう英賀合戦で、百姓に旗を持たせ奇声を上げさせあたかも大軍勢が来たかのように装ったのも史実通りです。信長の官兵衛の評価があがったと同時に毛利の両川といわれる小早川隆景吉川元春に一目置かれる存在になります。

ここでおそらく今後の物語の展開でも大きな存在になっていくだろう鶴見辰吾扮する小早川隆景について述べましょう。

稀代の名将、毛利元就の三男で、兄弟に同母兄の毛利隆元吉川元春という元就が示した「三つの矢」のうちの一人。当時戦国最強といわれた毛利水軍の指揮官で、いわば元春が陸軍、隆景が水軍と役割を分けていたという見方もできます。元春、隆景ともに稀代の名将といっていい人物ですが、この2人は微妙にタイプが違います。

兄弟共に軍事、政治双方に秀でていましたが、兄の元春は不敗の名将、戦略、戦術に関しては右に出るものがいないほどの戦上手ですが、どちらかというと「軍師」タイプ。一方の隆景は有能で統率力もある政治家タイプといっていいでしょう。

この2人がいたために毛利家は滅亡を免れ、後に秀吉からも大いに信頼され、後に毛利氏が「五大老」の一人になる礎を築きます。

この隆景と官兵衛、実は非常にウマが合ったらしくよき友人となります。隆景は官兵衛の才能を認めながらも、あまりの切れ者ぶりに秀吉から警戒されるようになると「貴殿はあまりに頭がよく、物事を即断即決してしまうことから、後悔することも多いだろう。私は、貴殿ほどの切れ者ではないから十分に時間をかけたうえで判断するので、後悔することが少ない。」と忠告します。官兵衛がそれに大いに感じ入り隆景の忠告に感謝したそうです。後に隆景の訃報に接した時に官兵衛は「これで日本に賢人はいなくなった。」と嘆いたといわれます。

中盤くらいに小早川隆景黒田官兵衛の友情も描かれることでしょう。

さて、本日秀吉の正室おねが秀吉の浮気に怒り、信長に「直訴」する様子が描かれました。当時大名が側室を持つのが当たり前の時代に何とも現代的な感覚の話、とお思いでしょうが実はこれ史実通りなのです。

ちゃんと手紙も残っております。

信長といえば厳正で時には残忍ですらあるイメージがありますが、一方ではこうした「優しさ」も兼ね備えていました。あとで秀吉は信長にこっぴどく叱られることになります。

信長の以外な面を見せた一場面、もう一度いいます。信じられないかもしれませんがこれは史実です。
(参考文献:童門冬二著:「人間の器量」より)

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