KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

軍師官兵衛ー不敗の名将 吉川元春

軍師官兵衛ー今週はいよいよ官兵衛が九州攻めでキリシタン大名大友宗麟を圧迫する島津軍を戦うため、出陣をしぶる毛利の両川の吉川元春を官兵衛が説得する模様がえがかれました。

同じく名将といわれる島津義久、義弘兄弟を擁する島津軍には吉川軍の参加が絶対条件だったためです。

ここで小早川隆景と並ぶ毛利両川と歌われた吉川元春の参加をなぜ官兵衛が重用視していたかについて述べましょう。

吉川元春は不敗の名将といわれた武将。毛利元就次男で毛利家より格上の吉川家に養子として送り込まれ、元就の謀略で吉川家の家督を継ぐことになります。一方同じく元就の謀略によって小早川家の家督を弟・小早川隆景が継ぐことになり、これによって元就の長男の隆元(後に暗殺)と小早川隆景吉川元春のいわゆる三本の矢の体制ができることになります。

小早川隆景吉川元春は共に名将といわれる存在になりますが、吉川は終始秀吉にはあまり好意的ではなかったという風に伝えられます。

この吉川元春はその性格から猛将のイメージもありますが、父元就同様不敗の名将といわれており、生涯における通算戦績は76戦64勝12分といわれております。これは確かにすごい数字ですね。(^^)

しかし軍師官兵衛にも描かれいましたように備中高松城の戦いから本能寺の変から秀吉に協力するようになりますが、元春は家督を嫡男の元長に譲り隠居します。この辺りから体調を崩していたようで、一説には癌を患っていた可能性があります。

秀吉の強い要請もあり、「不敗の名将」の吉川軍が加わったことで秀吉軍の士気が上がった様子をドラマで描いておりましたが、出征先の豊前小倉城二の丸で死去しました。享年57。

関ヶ原で徳川軍勝利に貢献した吉川広家(この人物も名将といわれています)は元春の次男にあたります。

またミュージシャンの吉川光司は子孫の一人ともいわれています。「八重の桜」では西郷をやっていましたが...

さて家康が秀吉に恭順を示し、来週はいよいよ秀吉が九州に行きます。島津は関ヶ原では西軍に属しますが、どのようなドラマになりますでしょうか?

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