八重の桜 最終回感想ー私は諦めねえ
八重の桜 本日最終回の放送が終わりました。
一年間とても楽しませていただきました。
キャスト及びスタッフの皆さん。お疲れ様でした。
まず一年間通しての感想ですが、正直始まった時はそんなに期待していませんでした。ただ母方のルーツが会津藩士ということもあり見たのですが、結論からいいましてここ数年の大河ドラマでもクオリテイの面で一番よかったのではないでしょうか? 「平清盛」や「龍馬伝」は全般的には良かったものの一部苦言を呈したくなる部分があったのですが今回はそういう部分はありませんでした。細かいところでもう少し描いて欲しかったりという部分はあったのですが、基本的には山本むつみさんの脚本は素晴らしかったですね。やはり脚本がいいとドラマが良くなります。
何よりも今回の大河ドラマで何かNHKの「良心」のようなものを久しぶりに見たような気がします。
先週の山本覚馬の卒業生への言葉、そして国を失った痛みを知った会津の人々の不戦への思い、そしてやがて日本を破滅に追いやっていく日清戦争、日露戦争当時の世間の好戦的な世論。
当ブログでも徳富蘇峰の国粋主義的な論調を批判しましたが、本日の最終回でまさにその模様が描かれていました。好戦的な世論を背景に戦意を煽る徳富蘇峰を諭そうとする八重。病院の中の強引な取材ぶりを見ても今も昔もマスコミの本質は何も変わっていないように思います。
八重さん
「徳富さんの国民新聞。最近は政府の機関紙のようですね」
まあ現代でも産経新聞や読売新聞などは日本政府や自民党の機関紙のようなものですが、八重さんがいったように「言論の力を何に使うのですが? その力は未来を切り開くために使わなくてはなりません」
これは今のマスコミにもいえることではないでしょうか?
国民の望みのみを書く=新聞コマーシャリズムによる世論煽動、に傾倒している傾向は昨今のマスコミに非常に強く感じます。八重さんがいみじくも「もっと他に伝えることがあるのではないですか?」というのは昨今のジャーナリズム精神を失いつつある今のマスコミ人にそっくりそのままあてはまるような気がします。 ちなみに蘇峰の「国民新聞」は現在の「東京新聞」の前身に当たります。何とも皮肉な感じですね
蘆花のひとこと
「所詮、兄上は世論に流されているだけだ..」
そのとおり。蘆花の人間性は嫌いですが、実際こういう「流されない」人間も必要なのです。ちなみにその蘆花が書き始めたのが例の問題の「不如帰」でした。(笑) あとで捨松さんも出ますがそのあたりの話はさすがに出ませんでしたね
事実上のクライマックスはやはり八重さんの叙勲の話でした。
民間人として初めての叙勲。それが「賊軍」といわれた会津から出たことが何か感動を呼びます。
山川兄弟と故川崎尚之助が生命を賭して書いた『京都守護職始末』
これが刊行されたのは明治44年、戊辰戦争から何と44年もたったあとでした。
それにしても制作スタッフが意識したのかどうか、あまりに今回の八重の桜 、最近の日本の世相にマッチした脚本でした。
先日の特定秘密保護法の政府の強行採決に次ぐ強行採決、そして今また共謀罪を改悪する動きが出て来年中の国会には提出される可能性が高くなりました。日本はまさに今警察国家(独裁国家)、普通に戦争ができる国になりつつあります。今回の八重の桜を見て、そういった世相に簡単に流されるというのがいかに危険なことか、について皆さんも考えていただけるとうれしいですね。
ドラマの最後の八重さんの言葉
「もし今、私が最後の一発を撃つとしたら....」
会津戦争の回想の中で銃を敵にではなく天に向かって撃ちます。まるで空砲でも撃つように
「私は諦めねえ」
ーそう
「再び戦うことを学ばない」
そういう社会にするために....
素晴らしいクライマックスでした。
今回ばかりはNHKにありがとうといいたいです。
ちなみに安倍首相は右翼論客で有名、かつ安倍首相お気に入りの百田尚樹をNHK委員に送り込みました。安倍は以前NHKに「放送命令」をした「実績」がありそこにはNHKを政府のプロパガンダ機関にしてしまおうという魂胆がありありと伺えます。今後今回のような「NHKの良心」というものが出せなくなるのではないか、という懸念を強くします。