八重の桜ー今日で決着と思いきや「会津戦争編」はまだ描くことが判明しました。会津戦争だけで一か月半くらい描くような感じですね。
ここしばらく大河ドラマは戦争シーンを控えめに描く傾向が強いんですが、今回はここしばらくないほどじっくり細かく描いています。余計に会津の悲劇性が際立つ展開になっていますが、NHKの「リアリズム決別宣言」とやらはどこに行ってしまったのでしょうか。少なくとも「龍馬伝」よりは「リアリズム」に徹している感じがしますね。私的にはその方が歓迎です。
さて、八重の「ライバル」である中野竹子の活躍と悲劇が描かれましたが実際には銃弾に撃たれたあと、母親が「首級を渡さないために」介錯したと伝えられますが、さすがに演じた黒木メイサの首を取るシーンは描けなかったんでしょうか?
ちなみに幕末は戦国時代と違い、首級の多さで手柄を競うという意識はすでに新政府内ではすたれているのでそういう心配は無用だったのですが、そこが会津藩の保守性といいますか、時代と比べて遅れている点かもしれません。大きな理由として「新政府」は戦国時代のような首級に応じて恩賞を与える、ということはなかったですので...(ていいますか、そもそも与える「恩賞」自体がなかった,,)
この中野竹子は今でも会津女性の鑑といわれるほど現在でも会津で語り継がれているようです。享年は21という説と19歳という説があります。文字通り黒木メイサのような美人だったようです。そして京都で無念の切腹をした神保修理の妻の雪も自害。夫の元に旅立っていきました。
さて今日は、窮地に追い込まれた鶴ヶ城に山川大蔵が策を弄し会津地方の伝統芸能・彼岸獅子を先頭で舞わせながら入城するという離れ業を演じましたが、これも実話に基づいています。
山川大蔵は会津藩士の中で海外の渡航経験がある数少ない藩士で幕府の使者と同行してロシアへ渡航しますがその際に、ヨーロッパ諸国を見聞し、会津に「フランス式の軍隊訓練」を導入しました。他の会津軍がことごとく惨敗している一方、山川大蔵が守備した日光方面は他の会津兵と比べ近代化しており、新政府軍を手こずらせました。そこで板垣退助と日光口の司令官谷干城(ドラマには登場していませんが)は日光口を諦め、白河に兵の集中させたのは今までのドラマのとおりです。
さて、ここで会津藩士でもう1人知名度は低いけれど後の明治政府で活躍する山川大蔵、のちの山川浩(写真)について述べておきたいと思います。
八重の幼馴染でもある山川大蔵は戊辰戦争のあと一旦他の藩士とともに下北半島の斗南藩で参事として出仕しましたが、戊申戦争の働きで新政府内でも高い評価を受けていたために先ほどの谷干城のスカウトにより陸軍に出仕します。西南戦争での活躍で陸軍少将にまで出世したあと、文部大臣の森有礼の命により、八重とその夫穣と同じく教育の分野でも活躍、、東京高等師範学校(現・筑波大学)及びその附属学校(現・筑波大学附属小学校及び筑波大学附属中学校・高等学校)の校長に就任します。女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)の校長も兼務。軍人だから規律が厳しかったので、学校は秩序整然としたものとなり現在のようなトップの教育機関となる礎を作った人物です。後に貴族院議員にもなった人物でした。
戊辰戦争以降、八重の桜に西南戦争では出てくるかもしれませんが、それ以降はどうドラマにからんでくるんでしょうか。いずれにせよ八重の兄の覚馬と並び明治政府でも活躍した人物です。
来週はいよいよ岩倉具視が覚馬の管見を見て感銘を受けるシーンが予告編で、出てきました。第二部の方にも少しずつシフトしていきます。
さすがに一か月以上、辛いシーンばかり見せられますと少しげんなりしますからね。そろそろ明るい第二部が待ち遠しくもなります。連ドラの「あまちゃん」との落差があまりにありすぎますので(笑)