平清盛ー先週は何かいろいろあって記事を書けませんでしたが今回はいよいよ最大の佳境の1つ、平治の乱で平氏が勝利するまでを描いています。
先週の平治の乱で後白河上皇と二条帝を幽閉し、清盛の盟友関係にいた藤原信西が自害します。この件は既に以前の記事で何回か書きましたので多くは触れませんが、信西が足元をすくわれたのは
1.改革が性急に過ぎ、周囲の理解を得られなかったこと。
2.自らの信念に正直すぎたため、味方よりも敵を多く作りすぎたこと
この2点が大きな原因と思われます。実際問題として信西の改革は当時としては画期的なものが多く清盛もそこを理解して協力関係を築いたわけですが、まあこの例だけではないですが、何をするにも敵を多く作りすぎると悲惨な結果しか待っていないということは歴史が証明しているといっても過言ではありません。
そして今回、平治の乱勃発から清盛が六波羅に入ってからは綿密な計画を立てます。ドラマの中で清盛の作戦の「解説」役を図らずも宇梶剛士扮する源頼政がしていましたのでドラマをご覧になった方はおわかりでしょう。
簡単に説明しますと、天皇と上皇を抑えられている間は清盛も下手に動けませんから、まず藤原信頼に恭順の意を示しながら油断をさせます。相手を油断させるような対策を取るのは作戦上最も重要です。同時に清盛は平治の乱の勃発は信西憎しの一点だけで実質烏合の衆であることを見抜いていました。そこで藤原経宗や藤原惟方が平氏になびくのを待ち、天皇と上皇を脱出させる作戦を実行します。(頼政いわく「ハナからこれを狙ってたんですな」)義朝は激高し、信頼を「日本第一の不覚人」と罵倒しなぐります。平治の乱の勝敗をこの時に事実上決まります。
天皇と上皇や主立った公卿が六波羅に入り正式に「官軍」となるや平氏の反撃です。まずは内裏に攻め入り、嫡男重盛と悪弦太義平の一騎打ち、そうあの平治物語に書いてある「左近の桜、右近の橘」のシーン、ここは平治の乱の見せ場のはずなんですが時間の関係もあったのかもしれないですけど、もうちょっと悪弦太義平と重盛の後世に語り継がれるほどの名勝負、きちんと描いてほしかった気がします。特に悪弦太義平の鎮西八郎為朝に勝るとも劣らない豪傑ぶりをもっと描いてほしかったように思います。平治物語では悪弦太がわずか17騎で500の軍勢を蹴散らしたと書いてありますが、その戦況を見て重盛を始めとする平氏は退却します。
ところがこの退却は完全な罠だったんですね。退却する平氏を追っ手源氏が加茂川まで追跡した時に待っていたのは平氏の主力およそ三千。またまた頼政いわく「やられましたな。おびきよせられたんですな」)これで頼政は義朝軍から離脱します。元々源頼政は源氏とはいえ河内源次の義朝とは違う摂津源氏の流れなので本来義朝の旗下に入る筋合いのものではなかったんですね。そして源氏の敗退。
源平合戦の第一ラウンドである平治の乱は平氏の圧勝で終わります。第二ラウンドである壇ノ浦までまだ30年近くあるわけですが... この戦いで平氏は天下を取るわけですがまだまだそれまでにいろいろあります。それを来週以降ということになりますが、平清盛って50回くらいあるようで今やっと折り返し地点に入った感じですね。平治の乱の勝利以降はどう展開するんでしょうかね?
というわけで視聴率云々の世間の雑音にめげず良質なドラマを作り続けてほしいものです。
余談ですが、関西電力は大飯原発再稼働のあと火力発電を8基停止させるそうです。
この記事が図らずもた正しかったことが証明されました。
■政府行政そしてマスコミの原発関連の情報が一番信用できないと確信
http://d.hatena.ne.jp/KyojiOhno/20120704