さて平清盛、いよいよ来週は保元の乱ですが藤原氏、源氏、平氏ともに一族骨肉の争いを行なうことになります。
この保元の乱は日本の歴史上大きな意味があり、その後の社会にも多大な影響を与えることになります。具体的には以下のような意味があります。
1.崇徳上皇と後白河天皇という天皇家同士の権力争いによる大乱であること。天皇同士が継承権で戦うのは飛鳥時代の壬申の乱(大友皇子(弘文天皇)と大海野皇子(天武天皇)の争い)以来480年ぶり
2.武家勢力が政治に大きな役割を占めることになり、歴史家によっては「古代」が終わり「中世」が始まる分岐点であると位置づける学者もいる
3.乱の結果、崇徳上皇が流され藤原摂関家の支配が事実上終わる。天皇が配流されるのは淳仁天皇以来、400年ぶり
今回藤原氏のみならず、源氏、そして平氏まで一族が分裂して戦いますが、そもそも藤原摂関家が分裂したことが発端となり、摂関家よりと後白河寄りの武将がお互いの立場を優先して戦わざるを得なかったという事情もあるようです。平忠正は兄の忠盛と違い元々藤原摂関家寄りであり、頼長の警護もやったという記録が残っていることもあり、清盛とは最初から不和だったようです。
いずれにせよこの保元の乱は日本の歴史の中でも五本の指に入るくらいの重要なできごとといっていいでしょう。
尚、この保元の乱のあと僅か3年後に始まる平治の乱は元々性格上、藤原信頼と藤原信西の私戦に近いのですが、結局清盛が漁夫の利を得て平氏政権ができるきっかけとなる戦いです。これを初の武家政権樹立という意味と捉える学者もいますが、保元の乱と比べると歴史的意味はやや落ちる気がしますが、どうでしょうか?