KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

日本のジャーナリズムの危機ー日本国内デモを報道しない件について

ネット内では大きな話題に既になっているこの件ーマスメデイアが中国国内の反日デモは報道しても日本国内の2600人規模の尖閣諸島に関するデモは全くスルーした件の話です。

これも既にご存じの通り海外のメデイアは大きくこれを取り上げ、日本でも反中国勢力がデモを起こしたことが大きく報じられ、アメリカ、欧州を中心にほとんどすべての国の報道機関が、その扱いの大小は別にして、日本のこのデモ行進を報じました。

にも関わらず日本のデモ行進を日本の報道機関だけが全く報じませんでした。完全にスルーしたのです。

日本のマスコミ(まあこの体質はマスコミに限りませんが)基本的に横一線で、横並びの報道を行うことは非常に多く見られますが、今回私が非常に深刻な感じがするのは大手マスコミ全社が「報道しない」ということに関して、気持ち悪いほどの状況が発生した点です。とても民主主義の国のマスメデイアがやることではない、と最初に思いました。

まあこの傾向は二年前の胡錦濤国家主席が来日した時のマスメデイアの報道内容から感じてはいましたが、(あの時はまだ「報道の仕方」に対する批判でしたけど)今回の朝日から産経、NHKまでが「そろって報道しない」というのはあまりにも気持ち悪い。異常だといわざるを得ません。

この件に関して先日知り合いの某マスコミ報道関係者にぶつけてみました。その時に帰ってきた言葉は

「我々は報道する自由も勿論あるが、報道しない自由もあるのだ

さすがにこの言葉を聞いて唖然としました。

ちなみに私自身は必ずしもその主張には賛同できない面が多いですが(基本的には保守的、右派的なので)元新聞記者で国会新聞で有名な宇田川敬介氏は各マスメデイアに対して質問状を送り、以下のような回答が得られたそうです。

読売新聞:ニュースとしての価値を感じない
産経新聞:人手が足りなかった
朝日新聞:知らなかった
毎日新聞:取材の体制に対して答える必要はない(回答拒否
テレビ朝日:テレビカメラが回らなかった
NHK:右翼の凱旋と同じと考えた
TBS:まあ、わかってくださいよ
そのほか・・・回答なし  
(電話でに回答にため回答が「口語体」になっています)

http://udaxyz.cocolog-nifty.com/udaxyz/2010/10/post-9053.html

 上記の回答があくまで事実だったと仮定して書きますが、宇田川氏も同じようなことを云っていますが、おそらく最も正直に答えたのがTBSのような気がしますね。要するに、何らかの圧力がかかって報道を取りやめたと受け取られても仕方がないと思います

まあ確かに報道各所に情報を送ったのが田母神俊雄といういわく付きの人物(不適切発言で防衛省をクビになった)が代表をつとめる「がんばれ日本行動委員会」だったということも全く影響しなかったとはいえないかもしれません。田母神氏、バラエテイみたいなところで暴言癖が受けてよく出演はしますけどね。

また勿論経済界が既に中国に莫大な投資を行なっているために「スポンサー」の圧力で報道をしなかったという点も考えられますが、NHKまで報道に応じなかったことを考えますとこれは官邸から何らかの圧力があったと考えるのが自然と考えます。

それに私自身は右翼的思想は嫌いですし、右翼街宣ははっきりいって迷惑ではあり嫌いではありますが、それが合法的に行なわれる範囲であれば好き嫌いは別として1つの主張とて尊重されるべきです。一応報道機関としてはたとえ建前であっても「公正中立」というものを原則として掲げている以上、どのような内容であっても両論併記しなければならないはずです。

メディアは、様々な主張を公平に扱う必要があります。それが左翼的か右翼的かなどは関係ありません。ましてや今回のように国際的に大きな問題にななればなおさらのことです。しかし、日本のメディアは、自分たちの報道姿勢をいくらかのスポンサーや政治的圧力、もしくは「ニュース価値がない」というメディアの価値観で、それらを無視しました。海外のメデイアが大々的な報道をしているにも関わらず、です。日本のメデイアの価値観は外国のそれとは違うようです。

 このこと自体が、諸外国のメディアから不思議に思われ、日本のメディアがおかしいという目で見られるのは当然だと思います。このような行為を続ければ単に「偏向している」というイメージだけでなく、日本のメデイアの本質は実は政治権力に従順であり報道の内容は報道管制、情報操作だらけ、ということになり、国民だけでなく世界のメデイアからも信頼を失うでしょう。日本のマスメデイアにはもはや健全なジャーナリズムは存在しないと思われてもしかたありません。

上記の、報道しない自由もあるのだ」などと開き直りとしか受け取れない発言をする人間は日本のジャーナリストの世界では多数派でないことを祈りたいですが、今回の事態は右、左という議論に関係なく日本のジャーナリズム、マスメデイアの体質が想像以上に深刻な状況になっていることをさらけだしたといわざるを得ません。

私は隣の北朝鮮の放送を見ていつも苦笑していましたが、自分の住んでいる国の報道メデイアがその北朝鮮」と同じような体質になっていくのを感じて非常に気持ちが悪いです。中国のマスコミと日本のマスコミはもはや海外から「同じようなもの」と思われていることでしょうね。一人の日本人としてとても恥ずかしいです。

何か音楽業界だけでなく、テレビの世界からジャーナリズムの世界にいたるまで、日本はドンドン駄目になっていく、そんな印象を持ちますね。まあ地上波のテレビだけでなく日本のジャーナリズムが今の音楽業界のようになってしまうのは、もっと深刻な事態ですね。その時は日本はもはや民主国家でなくなってしまっている、ということですから。

<追記>
一部誤解している人がいるようなので改めて補足します。

上記の文章をきちんと読んだ人ならわかるはずなんですが、ここでは右とか左といった陳腐な議論ではなく純粋に国民の「知る権利」に関する問題です。

特に今回のマスコミ不報道の件について一部の他のブログで「シナ」といった差別的ニュアンスを込めた表現が見られますが、そういったブログと当ブログは一線を画すものです。

国民の「知る権利」という民主主義の世界にとって非常に重要な権利に対し、マスコミが「情報統制でわざと報道しない」と受け取られても仕方がないような行動を朝日から産経、NHKにいたる全マスコミがとった、ということが思想、言論の自由に対して非常に危機的な状況を作ったと考えざるを得ず、極めて残念であるとここで主張するものです。

最後にこのブログはコメントをしてもすぐには公開されませんし、コメントを書くにしても記事をきちんと読んでからにしていただきたい、とお願い申し上げます。

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