KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

ドラマの都合で「悪役」にされてしまった摂津晴門ー本当はどのような人物?

麒麟が来る」で摂津晴門役を半沢直樹なみに悪役を派手に演じきった片岡鶴太郎さん、たぶん今回で見納めでしょうが、取りあえずお疲れ様でした、ということで。

今回あらかじめ「麒麟が来る」の最大の悪役、という風に事前に伝わっていましたが、それはあくまでドラマの話。大河ドラマは実在の人物を扱うとはいえ、やはりフィクションですが、この摂津晴門、実は知名度が低いばかりか、記録もひじょうに乏しいので実際にはどういう人物だったのか全くわかっていない、というのが正直なところです。

いろんなところに年表が書いてありますが、そもそも生没年が不詳です。記録がないのでわかっていないのです。

享禄元年(1528年)11月28日  従五位下中務大輔に任ぜらる。
天文4年(1535年)   伊勢貞孝、伊勢貞忠に継いで、政所執事になる。
天文15年(1546年)12月19日 摂津元造、足利義輝元服式の奉行を務める。
天文19年(1550年)5月4日 12代将軍・足利義晴、死去。摂津元造、出家。
天文22年(1553年)    嫡男・摂津糸千代丸誕生。
永禄5年(1562年)頃  父・摂津元造が死去。
永禄5年(1562年)6月   足利義輝、伊勢貞孝を解任。政所執事になる。
永禄8年(1565年)5月19日 「永禄の変」で嫡男・糸千代丸死亡。享年13。

   《中略》

永禄11年(1568年)2月8日    足利義栄への将軍宣下に出席拒否する。
永禄11年(1568年)4月15日  足利義昭元服式の奉行を務める。
永禄11年(1568年)10月   足利義昭、伊勢貞為を解任。政所執事になる。
元亀2年(1571年)1月25日  山科言継、年始挨拶に来る。(『言継卿記』)
元亀2年(1571年)11月1日  政所執事解任。伊勢貞興政所執事になる。 

元亀3年(1572年)8月6日 足利義昭から朝廷への使者を務める(最後の記録)

 

今回「悪役」にされてしまった背景として

(1) 生没年不詳で記録があまり残っていない事

(2)  直系の子孫が既に絶えていること(嫡男は足利義輝暗殺の永禄の変で死亡)

ということもありますが、幕府の中の「保守派」と受け取られる部分もあったためドラマの悪役にするのがうってつけということもあるかもしれません。

いずれにせよ上記の記録だけでは摂津晴門がドラマのように私腹を肥やしたり、悪事を働いた人物であるかのように断定するのは難しいですが、片岡鶴太郎さんの演技がインパクトがあったため、今後摂津晴門がこういうイメージで扱われることが常道化しそうでいささか気の毒な気もします。あくまでドラマの上での話ですからね

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片岡鶴太郎演じる摂津晴門

 

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