KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

日本が後進国転落の原因ー日本以外の国で起きている事ー徹底的なデータ中心主義と「カタチ」や「ルール」に固執する日本社会

日本が後進国に堕ちた、ということを認めたがらない層が多い。

いわく「日本はG7の一員じゃないか!」とか「日本は世界三番目の経済大国だ!」

いやいや、そういうことでは全くないのだ。過去の栄光で今現実で何が起きているかを見ていない(あるいは見ようとしていない)人間が多すぎる。

確かに日本人同士で、日本社会で内向きの話しかしない人には全く理解できないかもしれない。

しかし今日本の外では大変な変革が起きている。おそらくこの現実をみると大多数の日本人はおそらくついていけないだろう。例えば日本人に身近な野球の話

現在MLBワールドシリーズが行われているが次の写真を見て腰を抜かすほど驚く人がいるのではあるまいか。

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分かり辛いかもしれないが をみてほしい。そう外野手が4人いるのである

これは決して試合が始まる前の練習風景ではない。あるバッターがバッターボックスに入った時の守備隊系に移った時の写真である。

メジャーリーグは力比べのようなイメージを持っている人が多いかもしれないが、実は1つ1つの動きが徹底したデータに基づいて動いている、実際上記の写真のバッターは左中間の外野フライで終わった。このバッターは外野に球が飛ぶ可能性が高いというデータに基づいての守備隊系だ。

おそらく日本の球団がこんなことをやったら日本国内で非難ごうごうだろう。今の日本社会は「前例のないこと」をやることに拒絶反応すらおきる体質があるからだ。

野球だけではない、

私の本職である音楽は海外ではCDの時代が終わりストリーミング(サブスク)の時代になっている。そこではストリーミングのデータが重要な意味をもつ。

 

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上記の写真はストリーミングのデータである。左はプレイリストで演奏される回数のデータ、そして右はトータルの演奏回数である。

それだけではない

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左の写真でその音楽が「どこの国で聴かれているか」

そしてその音楽を聴く年齢層、男女別等のデータも提示される。

ここに見えるのは音楽産業は完全な「データ分析」の産業になっているということだ。

そのため海外の音楽事務所には「データアナライザー」という今までの音楽事務所には存在しなかったポストが存在する。日本の音楽事務所関係者にこの話をしても何の話をしているのか全く理解されないことが多い。

つまりそこにあるのは徹底的なデータ重視主義である。

しかし日本は違う。徹底的な形式主義だ。日本では「カタチ」とか「ルール」とかが最も重要なものと考えられ、いかなる状況になっても「カタチ」や「ルール」を死守することが要求される。

だが「カタチ」や「ルール」なんてものは手段に過ぎない。社会状況、時代によって実はどうにても変わるものである。だが日本はその手段に過ぎない「カタチ」や「ルール」を絶対視し、そこからはずれることをする行為を極端に嫌う。

この原因は日本の教育方針だ。日本の教育は特にここ数十年顕著だが「決めたルール」を絶対視しそれに対して思考停止 になれという教育をしてきた

そしてそれを大多数の 日本人 は正しいと思い込まされている。

 これはあるドラマからの動画抜粋を拝借したものだが、この動画に今の日本の現状、真実が全て盛り込まれているといっていい。

  何でもかんでもデータ中心、ということに抵抗を感じる人もいるかもしれない。だが海外はそれをやって成功している。

一方で「形式主義」「ルール絶対主義」は思考停止、あるいは思考の硬直化を招いている。まさに今の日本が陥っている状況である。

ちなみに戦前の日本の敗戦は、勿論戦争自体が無謀なものだったが、敗因の一つに陸軍の「情報軽視」があったといわれる。

現代は逆に情報があふれている。逆に正しい情報を選ぶのが簡単ではない、というのはあるが、

しかし現代の日本人の「データ軽視」の姿勢はまた同じ過ちを繰り返すのではないか、と大きく危惧する。



 

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