日本という国があらゆる観点からみて著しく劣化したことを実感する今日この頃
この記事の前の記事で安倍政権がどんなにメチャクチャなことをしても一向に支持率が下がらないことに対する分析をしてみた。
簡単にまとめると安倍政権の支持は財界やネトウヨ、そしてよくいわれるゆとり、さとり世代ではなく主に「B層」といわれる人たちが安倍政権のみせる「偽りの夢ー日本がこんなに素晴らしく幸福である」を見続け、年金破綻、原発による被害、格差の拡大や実質賃金の低下等の「現実」から目を背けさせることに成功したため支持を続ける、というメカニズムが明らかになった。
普通に考えれば安倍政権の政策でもっとも「捨てられる人」たちが「B層」にあたるわけだが、小泉新自由主義の自己責任廚もそうだが、本来その政策で捨てられるのは自分たちなのに政権の見せる「偽りの夢」が本当と思い込み、自分たちとは真逆の政策を行う政府を熱烈に支持する、というおかしなことが続いている。
これというのも理由は簡単、日本国民の大多数が思考停止に陥り、著しく劣化したことが原因である。
先日海外生活が長く久々に日本に来た知人とランチしながら話したことだが、日本人の劣化はとりわけ日本の会社との取引の時に感じるという。
かくいう私も一時はサラリーマンだった時代があったが、確かに最近の日本の企業を見て感じるのは
1.意味のない会議
誰一人発言せず、上司から部下への指示を出す「会議」。会議をやるのにわざわざ「会議の議題を募集する、などという本末転倒なことが大手をふってまかり通っている」(「会議」のための「会議」だ)。こういった会議に一体なんの意味があるのか不明だし、私見では殆ど時間の無駄である。これは一社、二社くらいの特殊な例かと思ったら、何とどこの会社でもやっているというから驚きである。
2.部下に意見されて逆ギレする上司
これも私は特殊な例だと思っていたが、今や多くの日本企業内では部下が上司に意見や見解を述べるのは半ばタブー化しているという。そのため上司の考えに対して意見や別の見解を述べただけで逆ギレし、パワハラを行う上司も後を絶たないという
ネットでもよく自分と違う意見に触れるというだけで逆ギレし、逆上して叩く、誹謗中傷をしてブログやSNSをを炎上させる輩が少なくないが、どうも会社でもそういうことは珍しくないらしい。
「昔はよかった」などというつもりはないが、私が会社員だった場合は部署でさまざまな意見交換が行われきちんとした「議論」になっていた。上司も例え自分とは意見が違っていてもそれなりに仕事もする部下をきちんと評価し、それによるパワハラなどはなかった。少なくとも私がいた職場ではそんな光景を見たことがない
3、「考えること」をしなくなった日本国民
上記のようにすぐ逆ギレするような上司ーこれが日本の会社の上司の大多数でないことを祈っているがーがいればもう部下も誰も「こいつには何云ってもしょうがない」ということになり誰もなにもいわなくなる。これは「逆らわない」のではなく「部下に相手にされていない」ことにたいていの場合気が付かないのだ
結果何をいうのも、考えるのも「面倒くさい」ということになってしまうのだろう。
そして日本人のネットリテラシーの低さには定評があるが、結局「自分の興味ある、好きな情報」「自分がそうであった欲しい情報」のみを追いかけ他のことには徹底的に無関心になる。多くの場合ネットユーザーで「自分の興味ある、好きな情報」「自分がそうであった欲しい情報」がどれだけ確かな情報か、信頼性のある情報か、などと考える人は少ない。だから何でも情報を鵜呑みにして、デマ拡散とかにも一役買うことになる。
それがもたらすのは「思考停止」である。
先程の安倍政権の熱烈な支持層である"B層は"たとえ年金が足らなくても、生活に必要なあらゆるものが高くなりもはや生活ができなくなっても安倍政権が「偽りの夢」に酔わせてくれる以上は何があっても支持し続けるようだ。これは思考停止しなければできないことである。
あるいは行くところまで行ってしまって初めて気がつくのかもしれない。しかしその時はもう手遅れなのだ。
海外に長く住んでいる知人と話していて出てきたのは日本人に啓蒙活動をしても無駄だという話になった。
理由は大半の人が思考を停止しているからだ。
最近事実かもしれない、と思うようになった。
日本人が変われるとすれば、誰がみても「凄い」という結果を出すしかない という
となるとリベラル層でそういった結果をだせる人間でないと日本は変わらない、ということか、
絶望的な気分になった