KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

情報があふれると一億総情弱に?情報への無関心層が増える傾向

実は私の音楽ブログの方だが、Facebookグループ「音楽家&音楽及び関連業界キャステイング」の管理人をやっている関係で最近の音楽関係の募集記事に対するミュージシャンの対応に対していささか苦言を呈させてもらった

■ミュージシャンも意識改革を 受け身の姿勢でなく自分からどんどん働きかけましょう。でしゃばりで何が悪い!!
http://kyojiohno.cocolog-nifty.com/kyoji/2016/05/post-265f.html

結構大きな反響を得たらしく「共感した」という内容の感想を多くいただいた。そのこと自体はうれしいのだけれどプロフェッショナルとしては極めて当たり前のことを云っているので正直複雑な気持ちである。

まあ別にグループ管理人とはいえ他人事だからあそこまで言わなくとも、という声もなくはなかったのだけれど、あえてそうしたのはこのままでは私が意図したコミュニテイの目的が機能不全になってしまうという危機感があったためである。せっかく面白いことをソーシャルネットでやろうとしても機能不全になってしまっては元も子もない。

ちなみに私は各関係ページのアクセス解析をマメにおこなっているが、ここ数日内に一昨日の上記の記事にアクセスした人はページビュー200名余 セッション170、グループ参加者は今日現在で1931名だからだいたいグループ参加者の10人に一人弱がクリックしたことになる。スレの投稿を見た人はクリックした人の数の少なく見積もっても3-4倍はいるはずなのだが、それでもグループ参加者の大半はこの記事すら見ていない、記事の存在にすら気付いてない、ということになる。まあそんなものかもしれない。

アメリカではFacebookは完全にグループ中心に動いているが日本ではまだそうなっていないということだろう。勿論このブログでもよく批判しているがアメリカがこうなってるのに日本がそうなってないのはおかしい、などとよくいるおバカなITコンサルタントのようなことを云うつもりはない。だがFacebookグループは通常の個人ページと違いソーシャルネットでは有益な情報を見つけられ可能性が高いし、アメリカではFBグループ経由で仕事の案件やハリウッドのオーディション情報を 得るのはもはや当たり前になっている。その意味ではグループの投稿を殆ど見ない方はきつい表現だが情弱(情報弱者)と言われても仕方ないかもしれない。

ここでいう情弱というのは情報化社会の情報を有効に使っているかどうか、という点が尺度になる。

最近気になることは、現代のように情報が氾濫していると個人レベルでは寧ろ情報に対して鈍感になっていく、情報に対する対処方法が寧ろ遅れがちになっているー具体的には何でも情報に対して無関心になりつつある傾向を感じている。つまり情報が多いだけに情報を見てもただ、受け流す、スルーするという癖が付き始めていることを感じる。だから自分にとって有効な情報に対してもアクションが遅れがちになる、もしくは全くアクションを起こさないなどという傾向が最近顕著になっているような気がするのだ。


はっきりいえば今日本人は一億総情弱の状態になりつつあるのではないか? という点だ。

これはある意味非常に危険な兆候である。それは昨今のtwitterを始めとする反応の仕方にも顕著で、芸能人の下世話な話題やスキャンダルには「人を叩こうと手ぐすねを引いているネットの暇人」の炎上を点火する行為もあり、話題をフォローする反面、芸能人のそれよりよっぽど悪質な政治家や財界トップの不正疑惑、スキャンダル不祥事には全く反応しないー無関心になっている点だ。ちょっと前ならマスコミを含め政権がふっとんでもおかしくないスキャンダル(ex:甘利前経済相の収賄疑惑等)に対しては驚くほど静か無反応なのが昨今のネットの風潮だ

つまり情報が多いと情報の流れにそのまま流されていく、情報に対して思考停止になっていく、そんな傾向が最近強まっているような気がする。
情報に対してただ流されるだけ、思考停止になるというのは紛れもなく情弱(情報弱者)になるわけで私が今一億総情弱になりつつある、というのはそうした背景にある。

私が運営しているグループが機能不全になる、などはまだ小さな問題かもしれないが、日本人全体が情報化社会に対して機能不全になる、情弱の傾向になりつつあるとしたらこれはゆゆしき事態である。まして政治家の不祥事、不正スキャンダルに対して無関心、鈍感になりそれが当たり前になれば政治家はさらにやりたい放題やり、余計に国民をバカにすることになろう。

上記の記事は「情報に対して受け身にならず、自分からもっと働きかけよう」という意味で書いたのだが、

日本人は元々情報に対して受け身の姿勢がしみついているのかもしれない。「お上」がくれる情報に対してもマスコミの流す「意図的」な情報に対しても何の疑問もなく受け入れる傾向が強い。いわゆる先進国の中でもその傾向が突出して高い。実際、大半のサラリーマンやOLはマスメデイアが流す情報のみ接し、「お上」の情報に無条件で従う「飼い犬」のようなメンタリテイにされてしまっていることを感じる。

最近の選挙や政治に対する無関心、投票に行かない、という傾向もこれに関係しているのではないだろうか? あれだけ心ある人が「投票に行こう」といっても一向にあがらない投票率

情報に対する無関心=情弱  

という考えをもっと徹底して広めるべきだ、と私は考える

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