KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

選挙に関する誤解ー「白票を投じる意思」「投票しない権利」について

さて、今回の衆議院選挙、くどいようですがあまりにも多くの問題を内包しているように思うので引き続き書かせてもらいますが、今日は特に投票の際に有権者の中ではびこっている大きな勘違いについて書かせてもらいます。

まず最初の勘違い

1.投票したい人がいない場合は「白票」が意思表示になる。

このブログの記事にも書きましたが、選挙公示前に「白票」を「社会を変える力がある」とミスリードする謎の集団「日本未来ネットワーク」なる存在が物議をかましました。

この集団の正体はいまだ謎ですが(かなり資金力のある団体のようですが)、ここで主張している内容は大きな間違いであります。

ちなみに白票に関してかなり的確な説明をしているサイトがありましたので以下に引用させていただきます。

■選挙で支持したい人がいないから抗議の意を込めて白票を投票…とは言うものの
http://www.tsurao.com/archives/1754567.html

そんな中、気になるのは「選挙で支持したい人がいないから抗議の意を込めて白票を投票する」という意見。選挙制度そのものは否定せず参政権は行使するが、ロクな候補者がいないので選べない」→「白票=支持したい候補者がいないという抗議の意」というのが主な主張です。<中略>
日本の衆議院選挙で白票は無効票に数えられます。白票を投じても「今の政治に不満を持つ」と書いても「焼肉定食」と書いても同じ無効票です。これらはまとめて「無効票1,000票」のようになります。
さて、その時に「白票=支持したい候補者がいないという抗議の意」という意見はどこに反映されているでしょうか。
1,000票は無効票ですから抗議とは言えません。佐藤一郎候補と鈴木次郎候補がいる中で「佐藤次郎」と書いたように間違えて無効になったモノもあるでしょう。

また、白票と落書きは違うと言っても、白票の中でも抗議以外の別の意味を込めた票があるかもしれません。複数の候補者を応援しているが1人を選べないという理由からの白票(無効票)があるかもしれません。「白票=好きすぎてどちらも選べない、もしくは、どちらであっても白紙委任」のような意味です。
<中略>
無効票は無効票であり、そこに色はつきません。(いろいろな意図で投票している人がいる以上、賛成の意だとか抗議の意だとか勝手に色を付けるのは傲慢です)

魅力的な候補者がおらず、積極的に支持したくないという気持ちは痛いほどわかります。しかし、白票は抗議の意を示したことにはなりませんし、「魅力的な人がいないから選択しない」で未来は開けるのでしょうか。

仕事でも魅力的な取引先がないからと言って、どことも取引しないで、ただ魅力的な取引先が出てくるのを待ち続けるではビジネスはやっていきません。いろいろ不満がありながらも仕事を続けていくにはどこかを選ばなくてはいけません。

選挙も同じです。選挙で白馬の王子様を待ち続けていてもいつまで経っても来ないかもしれません。<後略>

ここで書いてある内容でだいたい白票について説明しているのでこれ以上は書きません。ちなみに白紙票が意味を成すのは「1選挙区で全部が白紙(無効票)だった場合」のみらしいです。

つまり選挙で本当に自分の意思表示ー「1票の影響力」を誇示したいなら、誰かの名前を書いて有効票にしてこそです。たとえそれが「“誰か”を当選させないために、あえて他の候補者に入れる」ものだとしても、そのこと自身が自分の意思を表明することになると思います。

繰り返します。白票を投じても意思表示には決してなりません。

続いて次の勘違い
2.投票しないのは権利でありー棄権が意思表示になる。

これも全く違います、棄権するのは白票である無効票すら投じない、ということですが結果的には棄権も白票も同じです。

はっきりいって何の意思表示にもならないばかりか、結果的には現政権を追認、支持していることと同じ行為です。

テレビでも20代の若者が、「投票しないことが権利だ」などと信じられないことを発言していました。

写真の人物は投票に行かない事を「権利」とはき違えているようですが、これを別の権利に置き換えてみるといかにおかしな話になるかわかります。

投票ーつまり棄権するのが権利だというのであれば、たとえば自分の人権を棄てる、などといったらどうでしょうか? 「自分の人権を棄てることが権利だ」というわけで人権無視され、下手すれば命すら奪われても、「殺されることが権利」などということで片づけられることになりかねません。勿論自分で「自分の人権を棄てる」などという人はいないでしょうが、実質的に写真の若者はそれと同じレベルの主張をしていることになります。
はっきりいって一体どんな教育を君たちはうけてきたのだ、といいたくなります。

しかし上記の写真の人物だけでなく一部の文化人も含め「投票しないことを正当化する」言質をばらまく人間がおり、そういうことには本当に腹立たしさを覚えます。

投票しない権利、などという権利など存在しません
。中学の社会の公民や高校の政経の教科書のどこをみてもそんな権利については書いていないはずです。

投票に行かないことは「権利」ではなく「権利放棄なのだ」というこんな簡単なことがなぜ理解できないのでしょうか?

以上の2点の勘違いがかなり大手を振ってまかり通っているのが現状です。

やはりこれを見ると日本は民主主義の教育の基本的なところが全くできない、行われていない、といわざるを得ません。

ネット選挙になってから投票率は落ちるばかり、この現状に歯止めをかける方法はないものでしょうか?

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