KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

日本に「脱原発」の動きが加速しない理由ー河野太郎の記事を読んで

私は河野太郎は基本的にはタカ派だし好きではない。しかし以下の河野太郎氏の記事になぜ現在日本のリベラル勢力が低迷し今や虫の息状態なのかというヒントが隠されているような気がする。

■脱「脱原発セクト化」
http://www.taro.org/2013/08/post-1392.php

以下引用させていただく。

福島第一原発の事故以後、「脱原発」を真剣に、あるいは現実的に目指す人が飛躍的に増えたのは事実だ。

現実的に脱原発を実現しようとするならば、同じ方向を向いている人を結集し、最大公約数の目標を多くの人で共有していくことが大切なはずだ。

しかし、ネット上の様々な書き込みを見てわかるように、そうした動きに対して逆行しているものも多い。

原発を推進しようとする勢力原子力村の利権を可能な限り守っていこうとする声と戦うのではなく、脱原発を主張している人たちの間の細かな主張の違いを取り上げて、あいつはだからダメだ、このグループはまやかしだ、こんな主張はとんでもない等と、本来、脱原発という共通の目標を持っているはずの人を盛んに非難する人がいる。
再稼働なんて絶対に認められない。いや、将来的には脱原発するにしろこのまま原発を全く動かさないなんて非現実的だ。

今すぐ脱原発と言わないのは子供の未来を考えていないからだ。2030年までに段階的に原発依存を減らしていくのが現実的だ。

がれき処理に賛成なんて脱原発派じゃない。何を言ってる、被災地のことを考えない脱原発なんか自分だけ良ければいいのか。

脱原発のためには電気代がいくら高くなったって仕方がない。馬鹿なことを言うな、エネルギー安全保障を考えた現実的な脱原発のシナリオが必要だ。

共産党なんか非現実的だ。自民党なんか原発推進じゃないか。原発ゼロだけど再処理は継続という民主党なんかわけわからない


本当に脱原発を実現しようというならば、敵は推進派であり、まだ残る原子力村・電力村である

脱原発という同じ方向を向いている他人の悪口を言っても脱原発は進まない。

大きな現実的な目標を共有して運動をすると、自分のグループがその中に埋没してしまうと危惧する人たちは、それを嫌がる。

自分たちが一番正しい、他のグループはいい加減だということをことさら強調することにあくせくしている人たちがいる。

そういう人たちは、事細かな違いを取りあげて、努力している人でも批判する。

インターネットの書き込みを見ていると、そういう人が少なくないのに驚く。

いうまでもなく昨今の日本のリベラル勢力の衰退は目を覆わんばかりだ。そしてなぜそうなったのか、というヒントが河野議員のこの記事に集約されているような気がする。

脱原発に限らないが、こういう「小異」やつまらん思惑でせっかくのムーブメントが停滞を余儀なくさせてしまう、原水禁原水協の対立などがいい例だがそうやって日本のリベラルムーブメントが停滞を余儀なくされ、本来市民レベルで「脱原発」を真剣に論じなくてはならないはずなのに、原子力村の利権とそれを守る政治家(安部などがその筆頭だ)らの勢力に対して殆ど無力になってしまっている。

要はリベラル勢力に「後ろから鉄砲を打つような人間」が多すぎるのだ。やがてはしたなくも民主党の野田政権のように「現実的路線」と称して既定の保守と何の変わらない勢力になってしまう。自ら作ったマニフェストを事実上否定し、やらないといっていた消費税を始めとする政策を強行してしまう。民主党が国民の信頼を失ったのはまさにそれが最大の理由である。民主党はいまだにこれがわかっているように見えない。いやわかっていてもそれを認めることができないのか?)

くだらん政治的思惑などにこだわらず「再処理はやめよう。再生可能エネルギーを増やしていこう。どこかの時点で脱原発を実現しよう。」という理念を共有して「小異を捨てて連携する」

それができない自称リベラルが多いから、自民党絶対安定多数を許しやりたい放題できる状態を作ってしまった。いうなれば自滅だ。

私が大学生の頃はリベラルでない考え方を持つ人間はどちらかというと蔑まれた。最近の大学生は全く逆でリベラル的な考え方を持つ人間が軽蔑される傾向にあるという。マルクス主義に傾倒するなんて論外、嘲笑の対象ですらあるそうだ。

だが若い人は時代の流れに敏感なのだ。そういう流れはリベラル勢力の現状を見ればやむを得ないかもしれない。

なぜならそういう雰囲気を作ってしまったのはリベラル勢力そのものだからである。私はそういう状態にしてしまった既存のリベラルや革新勢力といわれている人たちを激しく糾弾したい。真の庶民の声、国民の声を聞く勢力を殆ど無力にしてしまったからである。

原発ゼロの会は、なるべく共有できる目標を一緒に共有しようとしてスタートした。こういう勢力が中心に何とかリベラル勢力を再建してほしい、と切に願うものである。

河野氏も云っている

後ろから鉄砲を打つような人を相手にするのはやめよう。

脱原発という同じ方向を向いて、なるべく多くの目標を共有していきながら、現実的に、一歩ずつ歩いていこう。

相手はいまだに闇の中でうごめく原子力村だ。

脱原発運動、リベラル勢力を衰退させた「戦犯」は相手にしてはならない

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