八重の桜ー二本松少年隊の話と山本覚馬の「官見」
八重の桜 本日は白虎隊と並ぶ戊辰戦争の悲劇である「二本松少年隊の悲劇」そして来週はいよいよあの白虎隊と今週来週とちょっと見るのが辛い会ではあります。
この「二本松少年隊」は白虎隊に隠れているので以外に知られていませんが、実態は年齢層が白虎隊より若いことを考えますと、ある意味白虎隊以上に悲惨です。戦死した子供たちも十二歳、十三歳と私の娘と同じくらいなので余計に胸がしめつけられる思いです。
本来戊辰戦争への出陣は12歳や13歳では不可能なのですが、二本松藩には危急の際には年齢を2歳加算すると言う入れ年(実年齢より高い年齢として出兵の許可を出す)の制度があり、最少年齢の隊士の年齢は12歳となってしまいました。それゆえにこのような凄惨な悲劇となってしまったわけですが、二本松少年隊のうちにドラマで描かれたのは武衛流師範で江戸留学の際に西洋流砲術を学んだ木村銃太郎指揮下の25名で、この中の木村を始めとする16名が戦死してしまいました。白虎隊と違い正式な名称がなく「二本松少年隊」という名称は戊辰戦没者五十回忌に命名されたものです。
正直この「二本松少年隊」の話と白虎隊の話をすると暗い気分になってしまいますので、ドラマの中で少し前向きな部分を取り上げたいと思います。
「二本松少年隊の悲劇」の影に隠れがちですが、今日山本覚馬が獄中で書いた「官見」が完成しました。
私はこの「官見」は坂本龍馬の「船中八策」に匹敵する、いやそれ以上の内容の重要な政策提言で、これだけで山本覚馬の名前は歴史に刻まれてもいいのではないかと考えるほどです。
「官見」には「政権」「議事院」「建国術」「女学」など23項目にわたる具体的な政策内容がもりこまれており、特に注目すべき内容として「三権分立」「2議院制」「女性の教育」「学校建設」「西暦の採用」などの近代国家の方針が述べられている当時としては画期的な内容といっていいと思います。これは後の明治政府にも大きな影響をもたらすことになり、明治から幕末にかけての重要な政策提言といっていいと思います。
龍馬の「船中八策」や岩倉の『叢裡鳴虫』が比較的政策提言でも概略にとどまったのに対し、覚馬の「官見」ほど詳細かつ具体的に日本の将来の政策について提言した政策提言は他に例をみないといっていいでしょう。
そしてこの「官見」が覚馬の運命も、そして妹の八重の運命も大きく変えることになります。
それにしても西島秀俊扮する獄中の山本覚馬、声も枯れ果て苦しい獄中生活の感じを見事に演じていますね。戊申戦争では不遇の獄中生活を送りますが、兄つぁまの本当の活躍は戊申戦争終了後の「第二部」に入ってからです。
今はちょっと暗い話ですが、「第二部」は雰囲気はガラッと変わるはずなので
今日の「二本松少年隊」 モニュメントみても暗い気持ちになりますからね ↓
と少し明るい話をしたかった今回の「八重の桜」の記事でした。