KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

八重の桜「会津の決意」−京都守護職

えー先週は超多忙状態だったのでブログ更新どころではなかったのですが、取りあえず今回の八重の桜「会津の決意」について述べます。

それにしても今回の大河ドラマ、結構史実の進行が早い気がしますね。
先週桜田門外の変かと思ったら、あっという間に松平容保京都守護職就任、

八重の桜が始まった時にペリーの黒船来航かと思いきや、たった一か月で10年近く過ぎてしまいました。確か今回の大河ドラマも50回あるはずなんでそれを考えるとどういうストーリー展開を考えているんでしょうか?

いずれにせよ先々週咸臨丸でアメリカに行ったかと思った勝海舟はもう日本に帰ってきてますしね、個人的にはこの辺りももう少しゆっくり描いてほしかったんですが... そして今回は後に戊辰戦争でも共同歩調を取り、函館戦争で活躍することになる榎本釜次郎こと榎本武揚が出てきました。おそらく戊申戦争、その他の展開で出てくるんでしょうね。ただ山本覚馬とのからみはあまりなかったように記憶していますが、そこら辺りは今後どう描かれるんでしょうか? この榎本武揚はその才を買われ明治で6つの内閣で大臣を務めています。(余談ですが特筆すべきは足尾鉱毒事件を政府として初めて責任を認め国が対応すべき公害であるとの立場を明確にして対策を講じた大臣としても知られています)

さて前置きが長くなりましたが、そういうわけで松平容保京都守護職を拝命するところが描かれました。ここでも会津を結果的に不幸に陥れる会津家訓十五箇条』会津を大きく縛ってしまいます。

さてこの京都守護職、よく京都所司代と混同されますが、京都所司代京都町奉行とともに京都の治安を担当する幕府の役人ですが、京都守護職は京都の治安の悪化とともに幕末に設置された役職で、松平容保が最初で最後の京都守護職になります。

いわゆる尊王攘夷のうねりが大きくなっている時代、京都には諸国から過激志士らが集い天誅(要人暗殺)や商家への押し込み(強盗)などの騒乱が横行し、所司代奉行所のみでは防ぎきれないという事情もあったようです。いずれにせよ松平容保京都守護職就任によって会津は時代に大きく翻弄されることになってしまいます。

さて、来週山本覚馬がついに京都に出発するようです。ネタバレになってしまいますが幼い赤ん坊を妻の山本うらさんに託しますがこれが奥さんのうらさんとの今生の別れとなってしまうとは山本覚馬も考えもしなかったと思います。(なぜか会津戦争のあと八重といっしょに京都に行かず、離縁してしまうんですね)

来週からいよいよ幕末の大きなうねりが始まります。たぶん次々回くらいに禁門の変が起きるでしょう、
案外会津戦争まであっという間に来てしまうかもしれないですね。

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