KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

高杉晋作と坂本龍馬

今日の「龍馬伝」は「さらば高杉晋作」−今回高杉を演じた伊勢谷友介はこれでかなり人気が出るでしょう。しかし本人はあくまで「映画監督が本職」といっているようなので、案外自分で出演をセーブする可能性があり、皆さんが期待するほど露出はないかもしれませんが...

ドラマでは龍馬が高杉晋作の意志を引き継ぐかのように描かれていましたが、実際に坂本龍馬高杉晋作がどれだけの交流があったのか資料があまり残っていないのでわかってはいません。

しかし龍馬は兄の権平への手紙で高杉を「天下の大人物」と評しており、高杉は龍馬に上海で手に入れたアメリカ製のS&Wモデル2アーミー33口径を贈呈しており、さらには三吉慎蔵を護衛につけていること、また龍馬が上京の折、高杉晋作が慶応2年(1866)1月に贈った漢詩を誌した扇面が伝存することからも二人はかなりの親交があったことは間違いないでしょう。

特に幕府第2次長州征伐軍で共に戦った折に、高杉が身分の分け隔てなく組織した奇兵隊を見て坂本龍馬が大いなる刺激を受けたことは想像にかたくありません。おそらく新しい日本を作るための「同志」という意識があったと思われます。

とかく似通ったところがあるという二人ですが、二人の出会いについて作家の植松三十里さんによると

高杉晋作がイギリス公使一行を斬りに行こうとした前日。
この時、龍馬と一緒にいた武市半平太の口から、襲撃計画が土佐藩に洩れて、さらに事前に幕府側にまで伝わってしまい、結局、計画は失敗。
もし実行していたら、高杉晋作は国際テロリストになるところでした。

そういう重大事の直前に、ふたりが出会ったというのは面白い

http://30miles.jugem.jp/?eid=240

ということらしいです。それが事実だとしますと二人の交流は5年余りということになります。それにしても何か象徴的な出会いという感じがしますね。

吉田松陰に非凡さを見出され、松下村塾三秀の1人と呼ばれていた高杉ですが当時不治の病の労咳結核)で僅か二十八歳の生涯を閉じました。もし高杉が明治まで生きていたら歴史は大きく変わっていたでしょう。私の勝手な想像ですが、もし長生きしていたらおそらく初代の総理大臣は高杉晋作だったかもしれませんね。伊藤博文山縣有朋も高杉の子分みたいなもんでしたから..

同じように坂本龍馬がもし暗殺されなかったら...

まあ歴史にIF 「もし」「...たら」というのは禁物ではありますが..(笑)

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