9.11:テロから9年ー今も対立が..
ニューヨークでは米同時多発テロから9年を迎えた11日、ニューヨークやワシントンでは追悼式典が行われた。ニューヨークに長年住んでいた人間としては、あの忌まわしい事件に対していまだに気持ちが整理できないでいる。
あの事件は何だったのか。
なぜ起きなければならなかったのか。
そしてなぜあれほど多くの何の罪のない人たちの命を奪わなければならなかったのか。
いまだにこれに対する答えが見つかっていない。
あれから9年、アメリカは報復戦争に走り今でもアフガニスタンやイラクではテロが耐えない。こうしている間でも人命は失われている。戦いは全く終わっていないのだ。あの戦争が「テロとの戦い」というのならアメリカの報復戦争は明らかに失敗である。
憎しみは憎しみしか生まない、そしてそこから生まれるものは何もない。
人類の歴史はこの繰り返しなのに、なぜ誰もこのことを学ぼうとしないのだろう?
特にやっかいなのはこの911以降の一連の戦争も事実上、宗教戦争の様を呈している点である。実際ブッシュ政権を動かしたのはアメリカ南部中心に根強い「キリスト教原理主義」勢力であり、この一連の戦争は「キリスト教原理主義」対「イスラム教原理主義」という最悪の対立構造が背景にある。オバマ大統領は自身イスラム教とのかかわりがあったため、この構造だけは避けようとしているようでそれは賢明である。
しかしアメリカ人のイスラム教に対する偏見は根強い
■9.11:テロから9年 宗教対立、今もなお
http://mainichi.jp/select/world/news/20100912k0000m030067000c.html
私は音楽家の端くれとしてこのことに関して、音楽で自分の考えを表明すべく毎年国境なき楽団の運営するセプテンバーコンサートに参加している。今年で4年連続4回目の参加になる。毎年会場が違うが必ず演奏する曲が二曲ある。一曲は私自身のピアノ曲、もう一曲は戦災孤児に関する戦争のプロテストソングである。
私がこのセプテンバーコンサートのために書いた曲、「911とその後の戦争の犠牲者に捧ぐーTo the victims of 911 and after"」である。
もう一曲は「君の笑顔を見てみたい」、弊社のアーチスト奥津恵の歌である。
この2曲はそもそも911とそれ以降の一連の戦争によって一音楽家として何か表現しなくればならない、という衝動から書かれた。911とアフガニスタン、イラクの戦争がなければこの2曲は存在しなかった。来年はあの忌まわしいできごとから十年目の節目にあたる。私にとっての911はアフガニスタンやイラクで戦いが終わるまで続くかもしれない。