KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

朝青龍引退

例の暴動騒ぎで朝青龍が引退を表明した。

朝青龍引退表明…暴行騒動の経緯
http://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/f-sp-tp3-20100204-591682.html

===================================
最近、相撲をすっかり見なくなった。
確かに最近はつまらない。それは外国人力士云々とは関係ない。
要は朝青龍以外はみんな小粒で、見ていて楽しい感じがしないのだ。

千代の富士全盛の時は、千代の富士にずば抜けた存在感があったし、
貴乃花や曙の時代はハワイ勢も含め個性的な力士がいた。
技のデパート舞の海のような力士もいてみていて結構ワクワクしていた。

しかし最近はそういうものを全く感じない。

朝青龍は確かに強いが、やはり乱暴物の印象もあり(妻へのDVもある)キャラクターはあるものの横綱の品位という点では疑問は残る。

決して外国人力士が多いのが悪いとは思わない。というか外国人力士は古くは高見山からいるので、それに対して今さらどうこう言うのはおかしい。
日本人だけのものにしたいのなら、そもそも相撲協会の関係者が外国へスカウトする活動そのものを禁止すればよいだけの話。

最近の協会内の理事選挙のゴタゴタを見るにやはり相撲の世界の古い体質も問題だ。

要はこの点がいかにも日本人らしく曖昧のままなのだ

「相撲を「スポーツ」にするのか、それとも「伝統」にするのか」

相撲は興業である。プロレスだって興業だ。両者の違いは「日本固有の文化、芸能の保護、保存」という社会的使命が相撲の方にあるからだ。だから相撲協会は社団法人である。
プロレスのようなエンタテインメント性を出すのなら「株式会社」の方にすべきである。

相撲を「古式」にのっとった形で保存するのが第一目的なら、そもそも外国人力士をどんどんスカウトする、というのはおかしいし、寧ろ歌舞伎のような「古典芸能」に徹するべきだろう。

反対に相撲をスポーツにしたいのなら、それこそモンゴルだろうがハワイだろうが我こそはと思う力士を世界じゅうから集める、というのはアリだ。

昔、大関小錦が現役の時「相撲は格闘技だ」といっていた。
このひとことに「相撲の伝統」を尊ぶ人たちは違和感を覚えたはずだ。
その内容の是非はともかく、格闘技、エンタテインメントとしての相撲ならそれでいい。
実際相撲を格闘技とするのなら朝青龍などはこれ以上ない看板だろう。
とにかく強い。 

相撲を格闘技のスポーツとするのなら、朝青龍の一連の行為など「よくあること」で収まるだろう。実際あのくらい気性が激しくないと格闘家にはなれないはず

そろそろ相撲を「格闘技スポーツ」にするのか、「古典芸能」とするのか、明確にするときが来たのではないか。曖昧なまま来ていたがため、相撲協会前近代的な体質が余計に目立つし、矛盾もかなり出てきてしまう。

google.com, pub-3062244771962944, DIRECT, f08c47fec0942fa0