KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

石田三成

ここ数日本当によく雨が降りますねー
本日は娘の運動会の日で最後まで天気が持つかと思いましたが、お昼過ぎからどしゃ降りの雨、結局途中で中止になってしまいました。

さて、こういう時はテレビをみながらビールでも飲んで、という人も多いでしょうが、実は私は殆ど地上波のテレビを見ない人間なのです。しかし最近日曜の夜というと結構手持ち無沙汰になることもあり、本当はあまり見ることのなかったNHK大河ドラマをよく見ています。
昨年の篤姫から見出したのですが、今年の天地人は上杉家の家老の直江兼続が主人公ということも興味があった理由の一つです。

今まで大河ドラマは信長、秀吉、家康といった戦国の「勝ち組」が主人公であることが多いですが今度の上杉家は関が原では西軍に属し、いわゆる「負け組」からの視点というのは今までより新しく感じたからです。

直江兼続は秀吉の羽柴秀長、伊達家の片倉小十郎景綱と並ぶ戦国の名参謀といわれていましたが、直江兼続の場合は単に家老、名参謀という域を出て殆ど上杉景勝との二頭政治といってもいいほどの権力を持っていたようです。
結果的には一時百二十万石までいった上杉家は関が原で「負け組」になったため三十万石にまで結果的に減らされてしまいます。なぜ上杉が家康に反抗したかといえば、兼続が石田三成との友情があったためとされています。

そこでその石田三成について考えたいと思いますが、今まで石田三成といえばたいていの戦国ドラマではネガテイブに描かれていたと思います。しかし最近はこの石田三成を再評価する動きがあるようです。

山岡荘八の「徳川家康などに出てくる石田三成などはここまで悪人にしていいのかと思うほど石田三成を悪く書いていますが、別に私は石田三成ファンではありませんがこれはいささか公平さに欠けると思います。

既に最近の研究で今まで三成に関して最も有名な「通説」だったものが事実ではないことがわかっています。

1. 豊臣秀次を謀反の嫌疑により切腹、一族を処刑した黒幕は三成と淀君である

この事件は秀吉政権での最も痛ましい悲劇であり、結果として豊臣家の力が衰える原因にもなった事件ですが、三成は首謀者にされています。

山岡荘八などはこの説を取り入れていますが、実は最近の文献で実は全く逆のことがわかってきたようです。これは秀次の家臣であった前野忠康の文書、世に言う「武功夜話」の「五宗記」という史料に書いている部分で、従来の三成のイメージと全く違う姿が描かれています。

武功夜話より、前野長康の証言】-------------------------------------
 文禄二年に秀頼殿が生まれてから、太閤秀吉殿と淀殿は、秀次公を疎んじ
はじめました。私(前野長康)は、石田三成殿、細川幽斎殿らと話し合い、
何とか事態の収拾を図ろうとしました。三成殿は「豊家の内紛は、その滅亡
につながる。」と大変憂慮されておられました。
 文禄三年の終わりになると事態は益々悪化し始めました。この時、頼みの
三成殿は、薩摩の検地のあと常陸の検地に赴かれており、都には不在でした。
 文禄四年になり、私と木村常陸介は、増田長盛殿と長束正家殿に呼び出さ
れ、両人から秀次公の素行について尋問を受けました。我々は無論、秀次公
の弁明に勤めました。
 ですが、その後に三成公に別室に呼ばれた私は、今回の尋問が単なる素行
の問題ではなく、謀反の嫌疑であることを知らされました。毛利輝元が、秀
次公から求められた連判状を、謀反の証拠として太閤に提出したというので
す。
 三成公は、「都を留守にしていた為、事態がここに至るまで何の手も打て
ず、申しわけない。」と述べ、「これは豊家内部の力を削ごうとする、外様
大名の陰謀である。今はともかく自重するように。私が太閤に執り成す。」
と述べられました。
 しかし三成公が動くより早く、翌日には太閤の問責使・前田玄以殿が秀次
公の元を訪れ、「謀反の意志が無いなら、自ら太閤の元へ出頭せよ。」と強
い調子で述べられました。そしてその翌日、伏見の太閤の元へ赴いた秀次公
は、太閤へ会うことも適わず、そのまま捕らえられ高野山切腹を命じられ
たのです。

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これがなぜ真実味があるかというと、秀次の遺臣長康自身は、三成の奔走により事件への連座を免れますが、結局その後責任をとって自ら自害しますが、秀次の遺臣の多くは事件後、三成に仕えていることがわかっています。もし三成が、真実、自分の主君を陥れた人物なら、その重臣たちが果たしてそういう人物にすぐ仕えるというのは常識では考えられないといえましょう。

なぜ、ここまで三成を悪者にする必要があったかというとこれは徳川政権が自らの簒奪を正当化するために「悪者」が必要だったということもあるでしょう。そして三成は見事なまでに徹底的に悪者に仕立て上げられました。

では実際には石田三成という人物はどういう人物だったのか?

私は歴史の専門家ではないし、資料もそんなにあるわけではないのでかなり類推が入ってしまうのは仕方がないですが、彼の仕事ぶりや他の武将との関係から次のことはいえそうです。

1.生真面目で堅物といってもいいくらいの人物であった。  
たとえ、嫌な命令でも上から言われればきちんと職務をこなした。またこれも通説とは異なりますが風紀を乱しがちな淀殿を実は嫌っていたという説もあります。
2.実務能力は高く、官僚としては非常に有能な人物であった。  

有名な秀吉の「中国大返し」は三成の高い実務能力があったこそできたといわれます。また後世に五人組の制度の元を築いた。これは、江戸時代を通じて農政の基本となった制度だそうです。考え方が非常に合理的で司馬遼太郎さんは「三成は近代人の匂いがする」とまでいっています、

3.その一方で強い信念の持ち主で自らの信念に妥協しない面があった。
不正を極度に嫌い、情実も介さず、常に自らの信念に基づいて豊臣政権の行政を司っていたといいます。そのあまりな謹厳実直な性格が、周囲からは融通のきかない傲岸不遜、横柄な態度と映り、諸大名からの人望を得られなかったようです。
4.基本的には無欲な人だったようです。

自分の禄の大半を島左近や渡辺新乃丞に分け与え召抱えるといったことを行い、また佐和山で善政を敷いていたため領民から慕われたそうです。

一方でネガテイブな面として次のような点が揚げられます
1.関ヶ原の戦いの際に、大谷吉継は三成に対して「お主(三成)が檄を飛ばしても普段の横柄ぶりから、豊臣家安泰を願うものすら内府(家康)の下に走らせる。ここは安芸中納言毛利輝元)か備前中納言宇喜多秀家)を上に立て、お主は影に徹せよ」と諫言したという記録があるそうです。確かに横柄な面はあったようです。

2.秀吉の死後、関が原ではかなり独断先行が目立ったようです。関が原の合戦において真田昌幸からは「なぜ事前に教えてくれなかった」という文句を云う手紙が残っているそうです。また関が原の作戦は総大将の毛利抜きに進められたため、毛利輝元は怒り関が原では兵を殆ど動かさなかったとのことです。

3.豊臣秀吉臨終時の五奉行の会議で、徳川家康前田利家に秀吉の死を連絡するかどうかの議案に反対したにも拘らず、個人的に密使を二人に送って秀吉の死を知らせたことが記されています。そのせいで一時期彼は家康と利家の心象を良くし、逆に二人と仲が良かったものの議決に従って秀吉の死を秘した浅野長政には不信を抱かせています。ただし、このスタンドプレーは最終的には家康、利家、長政の三人にバレてしまい、三者を激怒させる結果に終わっています。

以上のことから限定的に見えてくる三成象は

1.官僚として極めて有能
2.私利私欲や私情に関係なく合理的な判断をする人物で妥協もしない人物。そのために融通のきかない、傲慢でそして冷たい奴という印象を人に与えた。
3.確かに基本的に横柄な性格で、自分の能力にやや自信過剰な面もあった。そのため「上司」(秀吉)の死後はかなり独断先行やスタンドプレーが目立った。
の3点がいえるかもしれません。

さしずめ、霞ヶ関あたりによくいるタイプの人間といえるでしょう。もっとも最近の日本の官僚は三成ほど不正や私利私欲に無縁かどうかは少々疑問ですが...

まあ確かに有能ではあってもたぶん友達は作りにくいでしょうね。私ももし実際三成という人物にあったらたぶん好きになれないでしょう。「天地人」の小栗旬扮する石田三成もそうした「嫌な奴」的な三成を演じています。

しかし三成はただの官僚ではありませんでした。自らの信念を元に一人の中堅大名でありながら、三百万石ともいわれる大大名の家康に真っ向勝負を挑んだわけです。この度胸はすごいといってもいいでしょう。これはその辺の小役人にできる発想ではありません。

とはいえ、天下を取るには信念ではなく人望がないと勝てない、ということでしょうね。「嫌な奴」というのはこういう人生の大博打を打つときにはどうしても不利になってしまうということでしょう。

いずれにせよ400年以上も前の人ですし、資料も少ないわけですからどれが真実か見分けるのは難しいですね。だから歴史というのは面白いのかもしれません。

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