KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

日本社会にはびこる病気ー失敗をしたくない症候群

ネットマガジンにてこんな記事を発見した

「失敗をしたくない」世代が急増中?8割の20代が毎月貯蓄をしている実情。
http://promotion.yahoo.co.jp/charger/exit/column/index0804.php

まあこれは貯蓄に関するデータであり、基本的に貯蓄をするのは悪いことではないのだが問題はその貯蓄をする理由のトップが

「いざという時」や「病気・事故の備え」、「老後の蓄え」

ということらしい。この記事の書き方にいささか論理の飛躍があるように見えるが、それでも今日本社会全体に「失敗をしたくない」という観念が非常に強く広まっているのは否定できない。特に大企業を中心に強くはびこっているのは最近ものすごく感じる。何か日本社会に「失敗」というものを社会的な「死刑宣告」であるかのように受け取っている人間も多い、


例えばある新しい提案をある会社にしたとする。担当者が「上と相談してまた連絡します」という答えをした時はたいていの場合決まらない。それは「上」つまり部門長クラスの人間は、全員がそうだとはいわないが大半の人間が「保身、責任逃れ」というかつては霞ヶ関の官僚の特徴だった精神構造を持っており、「失敗というものを極端に恐れる」人種となっている。その結果どうなるか、「前例のあるもの」のみ採用し少しでも面倒くさい、新しいものはたいていの場合却下かよくて机の書類の山の中に埋もれるのが関の山である。

私自身こういうことを何度も経験している。

これは特に中間管理職の場合「失敗=リストラ」という強迫観念が企業の中に蔓延してしまい、新しい新鮮な発想を受け付けなくなっている体質ができてしまっているためと思われる。

だが、あえていわせていただく。

失敗をしない人間は
決して成功しないのである

ナポレオンヒルの「思考は現実化する」にも書いてあるが、歴史に残る「成功者」はたいてい山のような失敗をしている。しかし大事なことは「失敗を恥ではなく、寧ろ喜んでいたことである」

失敗があったからこそそれによってさまざまなノウハウを構築できたのであり、教訓を身に着けたのである。失敗を全くしなかった成功者などいない。

失敗をめぐって恥じることがあるとすれば次の2点

1.失敗から教訓を学ばず、同じ失敗を繰り返すこと

2.他人の失敗をあざけり嘲笑すること。

とくに2番目の行為は私にいわせれば人間として最低の行為である。
1に関しては政治家や官僚がよくやる行為である。なぜなら官僚というのは「失敗」というものの存在自体を決して認めないからである。だから失敗から教訓を学ぼうとせず同じ失敗を繰り返す。恥ずべきのはこういう失敗である。

また失敗から学ぼうとしない人間に限って、他人の失敗を嘲笑する傾向がある。

そういう人間こそ逆に軽蔑すべき人間である

残念ながら最近の日本の大企業のメンタリテイは霞ヶ関の官僚に限りなく近くなってきた気がする。
誰がそうしたか? 日本の経営者だ。なぜなら経営者もサラリーマン化し官僚化しているからである。それを考えると今後の日本の企業の将来は暗いといわざるを得ない。

繰り返す。失敗は恥ずべきことではない。寧ろノウハウを蓄積する絶交のチャンスである。あの史上最高の発明王エジソンですら山のような失敗の実験データがある。問題はその失敗をどう生かすかだけである。そこに凡人と偉人の差がある。

そのことが理解されなくなってきたとしたら日本という国の将来は暗い

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