KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

母校の校長が「崩御」した

私の高校の校長が逝去したという。

http://www.cc.toin.ac.jp/GAKUEN/info/

http://www.cc.toin.ac.jp/gakuen/info/071127.html

創立者でそれ以来ずーっと学園長をしていた人物で、この学校の「天皇」みたいな存在である。私の時は一学年600人、今は女子部も入れてその3倍はいるというマンモス校である

ここで「逝去」でなく「崩御」と書いてありますがそれはあるOBがさるSNSで書いてあったのをそのまま引用させてもらいました。天皇かおまえは、と思うでしょうがあの学校ではホント天皇みたいな人だった。


心からお悔やみを申し上げ、ご冥福をお祈り申し上げます。

というのは確かなのだが実は正直いって私自身、この高校の「鵜川昇」なる人物の死はやや複雑な感情を持っている。

私自身はこれまでの人生、結果はともかく、良くも悪くもここまではある程度充実した内容の人生を送ってきたと自負しているが実は青春真っ只中の高校時代は少々悔いの残る必ずしも満足のいく生活とはいえなかった。

高校といっても予備校がそのまま高校になったようなところで、しかも戦前のメンタリテイを引きずっていたスパルタ教育、そう石原とか先に首相を投げ出した安部とか、いわゆる岸信介からの流れの保守右派がないて喜ぶような授業内容だった。体育でも他の学校なら当然問題になるような暴力教師が大勢いたし、今でいうパワーハラスメントみたいことなど日常茶飯事だった。正直この学校にいるのが苦痛だった。今思い出しても嫌な思い出である。高校生活のキーワードで思い出されるのは、日の丸掲揚5分前精神(戦前の軍隊が兵士の心得として教育した内容と同じ)頭髪検査、どれもマイナスのイメージだけだ。わずかに学園祭で音楽活動したことくらいが数少ないポジテイブなイメージとして残っているに過ぎない。

それゆえ、私は右翼思想、保守右派的な思想というものにイメージ的にある種の嫌悪感を持っているのは否定できない。それは私だけでなく私と同世代のOBでそういう人間が多い、いや、正しくいうとこの学校の卒業生は極端に保守右派的になるか、極端にそういったものに反発するかのどちらかで私は後者の方である。

自慢じゃないが卒業してから一度も行っていない。たぶんこれからも行かないのではないかと思う。

自分がこの高校で人生の一時期を過ごしたのは事実だ。そして内心反発はしつつもその高校の校長の逝去ーそれは悲しむべきことなのだが、本来はーしかし自分の中でいまひとつ気持ちの整理がつかない

でも私がこれだけへそ曲がりで、反権力的、そして自分でいうのもなんだが個性的な性格になったのもこの高校にいたからかもしれない。ちなみにうちの高校出身の芸能人では一クセも二クセもある有名人が多い

デーモン小暮やくみつる 桜金造織田裕二、他にもまだいる

その意味では感謝しなくてはならないのかもしれない

改めてご冥福をお祈りいたします


この記事は音楽ブログに掲載されたものですが、音楽の話題ではないためこちらのブログの方に記事をうつしました。

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