KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

本日立憲と国民民主党が統一会派で合意、異論は出なかったようだが...

先日より報じられている立憲民主党と国民民主党統一会派構想

一時は停滞するのではないかとも思われたが、本日統一会派構成に合意した模様

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本日8/2012時30分より、立憲民主党の枝野代表と国民民主党の玉木代表が国会内で会談して合意

驚いたことに政策合意書で、原発0の方針に国民民主党の一部の議員から異論は出なかったようだ。安倍政権の改憲発議にも同意しないということになる。

これで一次降ってわいたような維新との統一会派の話とか、安倍政権から送られた秋波も結果としては無駄となり、参議院が3分の2切っている以上改憲の話もうすっ飛んだことになるはずだ。

だが、国民民主党、本当に全員がこの統一会派の覚え書きに納得しているのか正直疑問ではある

 
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 一応基本政策で合意して統一会派を形成した以上は単なる野合とは言えないと思うが、国民民主党から脱落者が出ないとは言い切れないのが気がかりだ。何せ国民民主党には連合の電機労連と密接な議員もいる。彼らが素直に原発0を受け入れるとは思えないのだが..

いずれにせよ衆議院でも109人の大きな野党が存在することになり、統一会派になったことで選挙調整もやりやすくなるだろうと思う。これで今度はれいわ新選組共産党との野党共闘体制を一刻も早く作ってもらいたい

たぶん8割以上の確率で年内に解散総選挙があると思われる。

今度こそ勝たねばならない

NHKスぺシャルの「かくて“自由”は死せり ~ある新聞と戦争への道~ 」を見て

さて明日は終戦記念日、12日の月曜日にオンエアされたNHKスペシャル「かくて“自由”は死せり ~ある新聞と戦争への道~ 」が興味深い番組だったのでそれについて述べる

www6.nhk.or.jp

日本は戦前「大正デモクラシー」という民主主義が一時定着したものの、それが崩壊して軍国主義から破滅の道を進んで行った経緯についてのドキュメントである。 現代日本にも共通する点が多く、ある意味背筋が寒くなった。

そこには民主主義を徹底否定する「日本新聞」という存在があり、発行部数は少なかったものの、様々な社会運動を通して結果として日本社会を一変させるような影響力を持った。「日本新聞」の論説委員の中谷武世は国粋主義的風潮をさまざまな場所に顔を出すことで広げて行ったし、事実上暗殺等のテロも肯定していた人物、その中谷は岸元首相ー安倍晋三の祖父ーと懇意にしており思想的にもずいぶん共感していたという。

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中谷武世と岸信介

安部晋三は「日本新聞」の危険な国粋主義的エッセンスをかなり受け継いでいると考えて間違いない。 

その中で「日本新聞」が特に激しく批判していた長野県飯田市のリベラルな音楽教師が当時の社会的風潮に流され変貌してしまう様が取り上げられていた。欧米のリベラル、民主主義、というか、ヒューマニズムを実践していた当人までもが、深刻な貧困と飢餓の蔓延を目の当たりにして、あっさりファシズムに転向する怖さを描いていた。そう昭和の初期の大恐慌が民主主義からファシズム軍国主義に社会全体が転換する様をこの番組は描いていた。実に恐ろしいと思った。

今この時期の日本に現代の日本はあまりに酷似していると感じる。

20年近いデフレにより日本人の多くが貧困に陥り、「日本新聞」は現代ではあそこまで酷くないかもしれないが、産経新聞に近いといっていい。阿比留みたいな記者もいるし(もっとも阿比留とを比べたらいくらなんでも中谷武世に失礼か、あそこまで知能は高くないしな)そして何よりも「政府にとって不都合な表現」「ネトウヨが気に入らない情報」を流すとヒステリックに叩く風潮など、戦前のこの時代とあまりに共通し過ぎている。

今日本は戦前と同じ過ちを犯そうとしていることがはっきりわかる番組だった。

今のNHKの報道局は実質的に安倍政権の広報だが番組制作はまだ健全なところを残しているのが一連の終戦をテーマとした番組でもわかるのがまだ救いである。

思ったのは早く安倍政権を倒さないと本当にこの国は取り返しのつかない。戦前のような破滅に向かってしまうという危機感を新たにした。次の選挙では何がなんでも野党に勝ってもらいこの政権を倒さないといけない。もうあまり時間は残されていないかもしれない

立憲+国民+社保統一会派構想に関する考察

既にご存じの通り、参院選後、立憲民主党+国民民主党社会保障の明日を考える会の統一会派の動きがでていますが..
 
以下は私個人の単なる考察です。勿論間違っているかもしれません。しかし今まで国民その他で党の合流をあれほど嫌がっていた枝野氏がなぜ急に態度を変えたのか?その理由をずーっと考えていました。そして思ったのですが、一見これは「旧民主勢力の再結集」のように見えますが、たぶんそう単純な考え方ではないような気がします。
 
元々衆参ともに立憲民主党が数的に第一党になっているわけでここで立憲から無理して統一会派を作って大きくする理由は普通に考えればありません。それを考えると枝野氏はある明確な目的があって今回の行動をとっていると考えた方が自然です。
 
その目的とは
 
(1) 安倍改憲の流れを収束させる
 今回の参院選参議院では自公維の改憲勢力が3分の2を切りました。そのため国民民主党に対する秋波が激しくなり、維新との統一会派構想まで飛び出ました。立憲と国民が統一会派になることによってそれを阻止することができます。これで安倍の改憲再度の環境作りをそれだけで妨害することができます。ちょうど都合よく玉木氏は「衆参で統一会派を協議したい」といってきています。たぶん枝野氏はそれを飲むでしょう、
 
(2) 国民、社保で立憲と活動できる人を飲み込む
国民民主党との統一会派を作るのには政策協議が欠かせません。特に原発0」「消費税」は3党で大きな違いがあります。私は枝野氏が国民民主、社保の全員が立憲と統一会派に加わるとは思っていないと思います。特に国民民主党には電力労連に近い議員も多いので彼らは「原発0」は到底受け入れないでしょう。消費税も野田を始め存続論者がいますので5%に下げるのも反対するでしょう。
 たぶんそういう人たちは自然と統一会派から離れて行く可能性が大きいと思います。枝野氏もたぶん去る人を追うことはしないでしょう。それをやった上で立憲が国民や社保でいっしょにやっていける人を飲み込むのが目的のような気がします。
 
(3) 来たるべき衆院選で候補調整をしやすくするため
 そして最終的には政策協議を終えてある程度まとまった段階で立憲とれいわ、共産との候補調整を含め野党共闘の体制を整えやすくする、という目的があるかもしれません。参院選では立憲と国民の候補調整が難航したケースが少なくなかったのでその手間はなくなるかもしれません。それだけでも大きいです。

 

つまりおそらく年内に間違いなくあるだろうと思われる衆議院解散をにらんで選挙に勝つ体制を枝野氏は整え始めた、と考えでいいのではないかと思います。

今回で野党の中心が立憲かられいわに移りました。そのれいわと共闘体制を作りやすくするための第一段階、という風に考えられないでしょうか?

尚、衆議院は選挙区は289もあります。その各選挙区に野党の単独候補を入れるのは大変です。おそらくは国民民主党社会保障を考える会で立憲と統一会派に加わらなかった議員とも「選挙区の住み替え」は行うと考えられますが

まあそんな風に愚考しますが、皆さんのお考えはいかがでしょうか?

避暑地ー白馬の栂池に行ってきました

残暑お見舞い申し上げます。

ということで酷暑の東京を離れ長野県の栂池高原に行ってきました。

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宿から少し見える北アルプス

北アルプスは個人的に高校時代、大学時代ともに合宿で過ごした思い出があり、北アルプスのパノラマを見たいなと思ったのですが、山脈はガスっており期待したほどは見れませんでした。

それでも僅かに雪渓をみることはできました。

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北アルプスしろうま岳の雪渓

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栂池からゴンドラ→ロープウエイに乗って栂池の自然園に行きました。

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自然園の湿地

尾瀬を思わせる自然園でした。

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風穴

風穴、ここから頂上からの冷たい風が吹いてきます。さながら天然の冷蔵庫です

せせらぎもありました。綺麗な水でヤマメも泳いでいました。

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展望の湿原、本来なら北アルプスのパノラマが見えるはずなんですが...

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栂池自然園の展望湿原

残念ながら全て隠れてしまいました。本来はこう見えるはずなんですが

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栂池自然園の展望湿原ー本来はこうなるはずでした(>_<)

久々に自然を満喫、リラックスできました。

「日本病」が日本を後進国にした元凶である。周囲にイエスマンしかおかず「異質な人間を排除」する「日本病」ー早く治癒させないと手遅れになる

既に当ブログでも何回も書いたように残念ながら日本は完全に「後進国」の仲間入りになってしまった。それはシステムとかハードウエアの問題ではない。AIでは後れを取っているが、日本が後進国になった原因はそれではない

kyojiohno.hatenadiary.com

kyojiohno.hatenadiary.com

ひとことでいって「日本人の意識の低さ」が原因である。だからこそ問題の解決は容易ではなくやっかいである。

そして最大な問題は今特に日本の経営者や日本の組織に蔓延する「日本病」である。

■日産、吉本興業東芝、国会議員……「卑しいリーダー」が増殖するわけ

https://news.yahoo.co.jp/byline/inouehisao/20190731-00136438/

該当部分を引用する

<前略>

「粗にして野だが卑ではない」の意味は、身なりや言葉遣いは粗削りだが、私利私欲はなくて志が高く、言動は明快で出処進退も潔いということだろう。

 しかし、最近の企業トップや政治家など社会のリーダーと言われている人たちは、その真逆のタイプが増えたように筆者は感じる。身なりや言葉遣いは何となく洗練されているが、自分や自分の派閥・側近だけが栄達すればよいと考える「卑しいリーダー」が増えたように思えてならない。直近の事例では、「闇営業問題」で世間を騒がしている吉本興業の大崎洋会長や岡本昭彦社長はその典型ではないか。

《中略>

産は今年6月の株主総会での決議を経て社外取締役が中心となる指名委員会等設置会社へ移行した。その移行を提言したのが、昨年12月に設立された外部有識者で構成される「ガバナンス改善特別委員会」だ。そこで共同委員長を務めたのが、東レで社長・会長を務めた前経団連会長の榊原定征氏だ。

 氏の評判は財界や官庁ではよくない。榊原氏をよく知る霞が関の官僚は「自分の考えがなく、記者会見の前に事務方が作った想定問答集を完璧に丸暗記するのが得意。逆にこれは事務方のシナリオ通りに動いてくれるということなので、これほど扱いやすい経営者はいない。西川氏の意向を受けた日産事務局に操られていたのではないか」と言う。

 さらに東レの内情に詳しい関係者が明かす。「榊原氏は東レ社内の一部では『ミニゴーン』と呼ばれるほどの疑惑があったため、東レとは絶縁状態。移動用のクルマも東レが面倒を見ないので、榊原氏と親しい別の会社が提供している」。こんな人物が主導した日産のガバナンス改革を信じていいものだろうか。

組織内が「オール与党」の弊害

 少し前になるが、世間を騒がした東芝粉飾決算では、嘘でもいいから好業績を上げ、経営トップとしての名誉にこだわった結果、投資家、社員らあらゆるステークホルダーに迷惑をかけた。さらに社長と会長の間にあった確執も要因の一つと見られる。当時の社長が、前社長の会長に負けまいと無理をした結果、粉飾につながったとされる。

 その確執が尾を引き、後継社長には無能で害がない人物が選ばれたのも衆目の一致するところだ。東芝粉飾決算は、経営者の見栄や私利私欲によって招いたものと言えるだろう。メディアなどの前では紳士的に振舞いながら、見えないところではどろどろの醜態をさらしていたのだ。

 コンプライアンス強化と言われながら、日産や東芝のように有名大企業の不祥事が絶えない。その根底には、卑しい経営者が増えたと同時に、組織内が「オール与党」になってしまい、非主流派や異端児と呼ばれる人が組織から追い出されてしまったことがある、と筆者は感じる。組織内に健全な牽制勢力がいなくなった結果、トップの無謀な独裁や不正がいとも簡単に行われ、見過ごされるようになったのではないか。

 政治の世界にも似たようなことを感じる。野党の力は弱まり、与党である自民党の中は「安倍一強」。それをいいことに国会での丁寧な議論が行われていない。それとは次元は変わるが、そもそも国会議員にその資質を疑うような人が増えた。セクハラ、パワハラ、暴力行為、失言・暴言のスキャンダルで毎週のように週刊誌をにぎわしている。

外見だけ取り繕い「中身がない」リーダー

 有権者に分かりやすく訴えようと思ってついつい政治家は「失言」することがある。それを言葉狩りのようにメディアが追及することに筆者は違和感をおぼえるが、最近の政治家の失言は破廉恥、下劣なものがあり、笑うに笑えない。

 筆者は企業経営の取材を長らくしてきた。インタビューなどをしていて最近よく「言葉遣いや身なりは洗練されているが、本質を分かりやすく、ずばりと語る経営者が減った」と感じる。だからインタビューしていても面白くない。各方面に忖度や配慮をした結果、その発言の内容が、言語明瞭・意味不明瞭のことも多々ある。

 その要因は大きく2つあると思う。ひとつは、多くの経営者が「メディアトレーニング」を受けていることだ。専門のコンサルタントに発言内容などを事前にチェックしてもらい、決して本音を漏らして失言につながらないようにする訓練のことだ。カメラ写りのよい姿勢などまでアドバイスを受ける。このトレーニングで一応、中身はなくても外見だけは洗練される。

 メディアトレーニング自体は否定しないが、中身のない人がいくら外見だけ取り繕っても本質を見透かされてしまうのではないか。吉本興業の岡本社長の記者会見はその典型的なパターンと言えるだろう。

バカの再生産の連鎖

 もうひとつは、自分の在任期間だけ可もなく不可もなくやり過ごせばいいと考えているサラリーマン経営者が増えているからだ。こういうタイプは、摩擦を避けて言うべきことを言わない。しかし、仕事とは何かを突き詰めていくと、「摩擦」である。取引や交渉ではお互いの言い分は違う。時には争いにもなる。その落としどころを探り、両者にとって納得できる成果を得ることが「仕事」である。この「摩擦」を通じて新しい価値が見つかることもある。

 これまで述べてきたことをまとめると、日本には外見や体裁だけ整った中身のない、せこい経営者が増えたということである。そして、その経営者らが、自分を超えない器の小さい後継者を選んで、もっとせこい経営者が生まれている。言ってしまえば「バカの再生産」が繰り返されているということだ。

異端、非主流派を排除する弊害

 これは企業だけではなく、政治、官僚、大学、マスコミといった本来ならば知的リーダーとして社会を牽引して行く組織のトップ層にも共通しているかもしれない。日本社会から活力が失われ、「やってられないぜ」といった気持ちを抱く人が増えているのも、「リーダー人材の危機」が背景にあるからではないか。

 こうした現実がなぜ起こるのかを考えると、日本社会全体に異端を排除する流れが強まり、かつ、「あえて自分は異端でいよう」と考える人材も減ったからだ。みな主流派になろうとしているのである。かつての日本企業は多くの異端児を抱えていて、それが非主流派として経営層にも残り、主流派が会社を傾けると、非主流派が立て直しに動いた。政治でも自民党は主流派と非主流派が競い合ったから党勢が拡大したと言えるだろう。

「異端妄説」という言葉もある。福沢諭吉の言葉だ。この言葉の意味は、今は主流の考え方ではないが、いずれそれが主流になるという意味合いをもつ。古くはガリレオ・ガリレイの「地動説」がそれに当たる。ローマカトリック教会が唱える「天動説」が信じられていた時代に、異を唱えていたからだ。しかし、今の組織の中では異を唱える人が減った。というよりも、意識的に異端者をとことん排除している。

新たな「日本病」とは

 日本メーカーからヒット商品が出ないのも、異端的なエンジニアを排除してきたからではないか。皆が主流派になろうと、手っ取り早く儲かりそうなものに開発リソースを集中させ、長期的な視野が失われつつある。

 問題は経営者層、リーダー層だけでもない。中間管理職にも、自分さえ良ければいい人が増え、愛情をもって部下を育てない。自分の成績向上のために部下をしごく。だからパワハラがあちこちで起こる。一方でコミュニケーション能力が低い若い社員は、上司が本人のためを思って厳しく指導してくれても、それをパワハラだと騒ぐ。だから真面目に指導するのが馬鹿らしくなる。上司と部下の関係に「負の連鎖」が起こっているのも、結局は、「自分がかわいい病」がはびこっているからだ。

 これに、「コンプライアンス地獄」が加わり、自分の頭で考えて行動することに制約がかかる。結局、本質的なことは何も実行せず、上手に組織内評論家に徹していれば、出世のチャンスが巡っている。内部統制、コンプライアンス社外取締役といったコーポレートガバナンスに関する体裁だけは整えたが、組織は頭(経営陣)から腐っており、それが現場にも伝播し、皆見て見ぬふりで実態は悪い方向に向かう。実は、これは新たな「日本病」なのかもしれない。

 まあ今までこのブログでも何回も書いてきたことと重複することになるが、とにかく最近の日本の経営者の「サラリーマン化」が今の日本経済の閉塞状況の大きな原因になっていることは間違いない

つまり

1.周囲にイエスマンしか置かない。非主流派や異端児を組織から追い出す、そのため「差し障りのない」言動、行動しかしない人間で組織があふれてくる

2.外見だけ取り繕い「中身がない」リーダー 頭から組織が腐り現場にまで波及する

3.自分さえ良ければいい人が増えている。長期的なビジョンがなくなり「自分がかわいい病」がはびこる。

4、「自分の頭で考える」ことがなくなっていく。業務の上で「おかしな点」「異常な点」があっても見て見ぬふりをする

5.目先のことしか考えない。

この「日本病」
治癒させるのは至難の業かもしれない。

しかし誰かがこの風潮を止めないと取り返しがつかなくなる

「日本人の心を傷つける」と称して表現の自由を踏みにじった河村名古屋市長と良識を保ち「権力の介入は憲法違反」と批判した愛知県知事

私の「音楽ブログ」の方にも書いた「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展」

実は今回の一連の騒動にはおそらく芸術監督の津田大介のある種の「仕掛け」があったのだが詳しいことはこちらをお読みいただきたい

kyojiohno.cocolog-nifty.com結果的には河村名古屋市長の「表現の不自由展」の慰安婦の少女像が「日本人の心を踏みにじる」と決めつけ、政府の菅官房長官も間接的ながら結果的にあおるような行動をとり、「表現の不自由展」は8月3日に中止となった。

これは云うまでもなく政治家の表現の自由に対する政治介入であり、事実上表現の自由そのものを否定する行為である。そもそも表現の自由というものは例え自分が不快に思ってもその存在を容認するというのが前提にある。「日本人の心を踏みにじる」と感じたのはそれは河村市長個人の問題であり、一方では過去の不幸な歴史を忘れないための立派な芸術作品だと考える国民もいるのも事実。

最近の日本の特に政治家や論客に共通するのはそういった「多様性」を認めない風潮が非常に強いことだ、芸術作品は受け止め方は100人100様でいいのである、それを理解しない人間が多すぎる

それに対して大村愛知県知事はまだ良識を保っていた

www.asahi.com

展示の中止を求めた河村たかし名古屋市長らを「憲法違反の疑いが濃厚と思う」と批判した。
こうした行為について「憲法21条で禁止された『検閲』ととられても仕方がない」と指摘。「行政や役所など公的セクターこそ表現の自由を守らなければいけないのではないか。自分の気に入らない表現でも、表現は表現として受け入れるべきだ」と述べた。企画展の費用は420万円で、全額寄付で対応するとした。

 大村知事は今回の中止については「安全安心を第一に考えた」苦渋の決断だったと述べた。例の「ガソリンを持ち込む」テロ予告については愛知県警に脅迫未遂の容疑で告発したとも述べた。

これに対する河村市長の反論はこうだ。

www.asahi.com

まず、河村市長の問題。

1、自分の作品に対する印象が全ての人が受ける印象だと決めつけ。思い込んでいる点。「見るに堪えない」とか言って、作品を抹殺してしまうことが表現の自由を否定しすることになると全く理解していない点

2.脅迫やテロ予告に関する犯罪行為を全く黙殺している点。本来ならば行政が全力をあげて公共の安全を守るべきなのに全くその意識が欠落している

まあ安倍政権や安倍政権支持者、そして最近の日本人全般にいえることだが憲法21条を全く理解していない、のひとことにつきる。公権力にいる者が、"この内容は良い、悪い"と言うのは、憲法21条のいう検閲と取られてもしかたがないのだ、

大村知事の言動

最近の論調として、税金でやるならこういうことをやっちゃいけないんだ、自ずと範囲が限られるんだと、報道等でもそうことを言っておられるコメンテーターの方がいるが、ちょっと待てよと、違和感を覚える。全く真逆ではないか。公権力を持ったところであるからこそ、表現の自由は保障されなければならないと思う。というか、そうじゃないですか?税金でやるからこそ、憲法21条はきっちり守られなければならない。

 今回の事態は極めて残念だし、図らずも津田さんの仕組んだ「表現の不自由展」のパフォーマンスで名古屋市長がまさに「表現の不自由」の実績を作ったわけだが、しかし救いは愛知県知事はまだ良識を持った人物がやっていた点だけか

最近の日本は公権力を批判する、というだけでその人間を誹謗中傷したり過剰なほど叩いたりする傾向が強い。今回の一連の脅迫やテロ行為もネット等の表面的な情報のみでわかった気になって攻撃してくる奴らばかり。元々アートに見識も理解などもあろうはずがない。単に憂さ晴らしして叩きたいだけだ。

こういう人間が多すぎるし、こういう連中は100害あって一利ない奴らだから社会としても対策をとる必要があるだろう

改憲めぐり「草刈り場」になる可能性のある国民民主党、安倍政権改憲めぐり与党野党の政界再編が起きる?

今回の参院選でいわゆる改憲勢力といわれる自民党公明党、維新の3党で参議院3分の2を切った。

しかしそのことによってかえって改憲をめぐる動きが喧しくなってきた。

あくまで改憲にこだわる安部晋三、これは焦りのうらっ返しだと思うのだがその安倍晋三が目をつけたのが国民民主党

国民民主党はこれまで何回も「反対ばかりの野党はダメだ」とか「他の野党に埋もれないように」ということで時々他の野党との連携を乱す動きをしてきた。そしてその度ごとに批判を受けては元のさやに納まるということを繰り返してきた

今回も例の「安倍総理憲法について論議する」という発言で4野党で合意したはずの「改憲発議に応じない」という合意を破るのかということで野党支持者から「裏切り者」とか批判が噴出、同じ国民民主党内でも異論が続出した

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憲法改正議論を進める」と発言した記事

参院選前には「安倍政権が進めようとしている憲法『改定』とりわけ第9条『改定』に反対」という書面に、国民・玉木代表はサインしていた。

当然他の野党も驚き、野党共闘を推し進めた国民民主党内でも大騒ぎになった

https://www.buzzfeed.com/jp/kensukeseya/kokumin-1

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結局これもいつものパターンだが自分のこうした発言を釈明する羽目になった。本当にこの男、全く教訓を学ばない男だ

そもそも「野党は反対ばかりしている」とか「スキャンダルの追求ばかりしている」というのはマスコミが行ったステレオタイプな印象操作が原因だ。野党はいつも対案を出しているがマスコミは野党の対案を殆ど伝えないから一般庶民はその存在すら知らない。それに表に出ない法案の8割は野党も賛成している。だから「野党は反対ばかりしている」というのはマスコミが行った印象操作以外のなにものでもない。

玉木氏もそれは百も承知のはず、だが.
とはいえこのようにあっちへフラフラ、こっちへフラフラしていると他党からもそのスキをつかれるものだ。

国民民主党が迷走している理由として、党内に憲法改正に積極的な勢力と憲法改正に反対する勢力が同居していることが原因だ。しかも野党共闘に内心反対している議員もいる、とりわけ連合に近い議員は共産党との連携を嫌がっている議員もいる。

そのため何とか改憲勢力を3分の2にしたい改憲勢力は国民民主党を草刈り場をしようと狙っている

今度は維新からも統一会派の申し出があったという

www.nikkei.com

勿論それをやったら他の野党に対する重大な背信行為である。

取りあえず昨日の金曜日の段階では立憲民主党と国民民主党との連携を確認したようだが、

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立憲と国民の連携確認(7/26/19)

だが今回のような動きは今後も頻繁に起きる可能性は高い。

私は別に政治評論家でもないし、予想屋でもないが、どちらにせよ国民民主党はそう遠くないうちに瓦解していくと思う。国民民主党の前身の希望の党が空中分解したように国民民主党も同じような運命をたどる可能性が高い。今回の参院選野党統一候補の当選があったからいいものの国民民主党の単独の候補としては減らしている。公認の新人候補は全滅である。

少なくとも次回の衆議院解散ー早ければ9-10月にも起きる可能性があるーの時にはそういう動きが表面化すると思われる。

ついでにいうと安倍晋三改憲の動きを強行すれば公明党も袂を分かつ可能性もある。支持基盤の創価学会改憲に反対しているからだ。実際公明党改憲に積極的だったら参議院で3分の2を取った時点で改憲の発議を起していただろう。改憲をめぐって与党と野党の編成が変わる可能性もある。公明党抜きで国民民主党改憲派と維新、自民で参院3分の2になるかは微妙だが、そういう可能性も排除できない。

 

いずれにせよ改憲にあくまでこだわる安部晋三によって与野党の動き、政界の新たな再編が起きる可能性も小さくはない

 

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