KyojiOhnoのブログ

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

自分が絶えず「正しい方にいたい」という渇望が社会の「正義の暴走」を許す危険な風潮。現代日本の諸悪の根源になっている

現在社会を騒がしている「煽り運転」による傷害事件

勿論犯人の行動は論外で断罪されて当然だが、ここでは別の観点からこの事件を見てみたい。非常に的確に分析した記事があるのでここで紹介したい

president.jpこの記事を読んでいると現代日本の病巣が見えてくる。実はこの件だけではない、昨今の日本社会のさまざまな風潮とこの煽り運転の犯人に対するバッシングには共通項がある。

自分が絶えず「正しい方にいたい」という危険な渇望が日本を極めて不健全にしている

世の中にはたえず右で無ければ左、白黒どちらかの判断をしないと気が済まない人がいる。だが実際には世の中のことはグレーゾーンに入ることの方が圧倒的に多い。そういう状況が不安と感じている人が少なくないらしく、「自分がただしい側にいることを相対的に保障してくれる存在で安心したい」と考える人が多いようだ。

そこで誰もが無遠慮に罵倒し、石を投げてもよい存在が求められている。なぜなら「正しくない」存在を規定し、これを糾弾・非難することによって、自分の「正しさ」が保証されるからだ。自分の「正しさ」を確認してくれる証人は多ければ多いほどよい。世間のだれもが糾弾する「悪」を、みんなで一斉に制裁することによって、その場に参加する全員が「自分はちゃんとして正しい側なのだ」という肯定や安心を手にすることができる。

そのため芸能人が不祥事を起こせばまさに格好のターゲットになる。先日のピエール瀧のコカイン所持事件などは、普段電気グルーブなど見向きもしない連中が「我こそは正義の味方である」といわんばかりに徹底的にバッシングする側に回った。これは先日の吉本の闇営業問題を始め、特に芸能人の不祥事はだれもが糾弾する「悪」としてバッシングの対象になりやすい。

今回の煽り運転の犯人はまさしく人相からしていかにも「悪い奴」に見える。というのも、「あおり運転をするような奴は、自分勝手で、乱暴で、他人の生命を危険にさらすことを何とも思っていない悪人に違いない」というイメージにぴったりの男だったからだ。その結果巻き起こったのは「厳罰に処すべき」という圧倒的な声だがあくまで刑罰は犯した罪によって法律で定められたものが適用されるだけだ。「メディアで注目され、世間のより多くの怒りを集めた事件なのだから、厳罰に処するべき」という論理は、法治国家の行動ではない。

「正義の暴走」は感情の赴くままで理性の入り込む余地がなくなる危険なものに発展していく

「政治権力=正しい側」という思い込み(勘違い)が日本社会を極めて不健全なものにしている

最近気になるのは「権力に不都合」、「権力を批判的」な発言をする芸能人不祥事のような激しいバッシングが沸き起こることだ。それが必ずしもネトウヨ、といわれている人に限らないことが日本社会を危険な方向に誘導している。

先日の「あいちトリエンナーレ」の慰安婦少女像において主催した愛知県に対して1日だけで約200件苦情電話があり、なかには「ガソリンもっていく」とテロ予告した者(後に逮捕)したケースは名古屋市長の批判コメントから「あいちトリエンナーレ」が糾弾する「悪」にされてしまった結果であり、苦情コメントはおそらく右翼やネトウヨだけではあるまい。ご丁寧に名古屋市長が批判=これは「悪」と短絡して日頃からバッシングの対象を血眼で探しているような輩が格好のターゲットとしてバッシングをした結果がこうなった。結果としてこの日本という国にはもはや表現の自由というものが存在しないことが明らかになってしまった。

日本人には昔から「お上」意識があり、「お上のいうことは全て正しい」かのような暗黙の了解があったりする。何よりも「権力側に寄り添う」ことで自分が「正しい」側にいると実感しやすい状況が起きる。それゆえ「安倍政権批判」に対して過剰反応する輩もいるし、今回の名古屋市長の「あいちトリエンナーレ」への批判も「取りあえず政治権力側を支持する」ことが自分の「正しさ」を保証してくれるものだ、という勘違いが蔓延った結果がこうなったのだ。

不思議なことに自分が「正しい側」にいるのかどうか不安が強まり、その不安を打ち消すためにますます「悪」とされる存在を追い求めていくのだが、そのわりには「権力側にいる人間の犯罪」には今回の煽り運転犯人に対するようなバッシングは起きない。

現政権が文書改竄、統計不正、さらに司法やメデイアの圧力を強め、本来なら逮捕されて有罪になるべき犯人(伊藤詩織さんレイプ犯の山口、池袋で親子をひき殺した飯塚)を実質無罪放免させても、安倍政権に対する批判、バッシングは起きない。

それは「政治権力=正しい側」という思い込み、勘違いが世間に蔓延しているためではないのか?その結果権力側がどんなにメチャクチャなことをしても「権力側を批判するのは正しいことではない」などという勘違いが蔓延っているためではないのか?

だとしたらこの「正しい方にいたい」という渇望は極めて日本社会を不健全で危険な方向に追いやっていることになる。政治権力の暴走や悪行にたいしても批判を許さないという実態

以前も当ブログの記事に書いたが今社会はあらゆるところで「正義の暴走」が行われている。

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日本社会の劣化、「正義の暴走」という病巣はかなり深刻といわざるを得ない